その19  決 闘

「俺たちの方が先のようだ。」
夏のこととてまだ明るいが、大きな通りから一筋はずれているこのあたりには通る人もない。 カルム・デショーはこちら側には窓のない妙な建物で、当然ながら人目のあるはずもなく、そんなこともここが決闘の場所に選ばれるのに向いているらしかった。
「明日の朝にしたほうが、酔いが醒めていてよかったのでは?」
星猫亭でかなり飲んでいた筈のミロは平気そうにしているが、相手のワルドは一滴も飲んでいないのだ。 普段飲まないカミュにしてみればその差が結果に響くのではないかと心配でならない。
「俺も少しは考えたが、時間が経てば経つほどこういったことは知れわたるものだ。 いくら恩赦があるといっても禁令は禁令だ。 現場を押さえられたら逮捕されかねん。 決闘なんてものはその場でやるのが一番手っ取り早いが、こちらが一方的に飲んでいるのではあまりにも不利だからな、この時間が妥当だろう。」
「酔いは醒めた?」
「ああ、なんの問題もない。」
剣の柄を軽く叩いたミロが、
「ワルドの奴を地に這いつくばらせて詫びを言わせる。 血の一滴くらい流れるかもしれんが、奴にはそのくらいしないとわからないだろう。」
そう言ったとき僧院の角を曲って二人の男が現われた。
「来たようだ。 向こうの介添え人は一人だから、こっちはレオナールに頼もう。 ディスマルクはカミュと一緒に離れて見ててくれ。」
「ああ、わかった。 早いとこ決めろよ。」
ミロとレオナールが空き地の中央に向かいワルドたちと合流するのをはらはらして見ているカミュの腕をディスマルクが掴んだ。
「もっと離れていたほうがいい。 わざわざワルドの奴に顔を見せて昔のことを思い出させる必要はないからな。」
「ああ……そうだな。」
決闘が始まれば双方とも頭に血が上る。 成り行きいかんによってはワルドが再びカミュの赤い眼について暴言を吐かないとも限らないのだ。 そんな言葉をカミュが聞く必要もなければ、そのカミュの心痛を考えたミロが怒りに我を忘れる危険を冒す必要もない。 決闘の最中には、気を散らせないために利害関係者はある程度離れているのが常識だ。
「ワルドって、どんな男なのだろう?」
店ではとても直視できなかったカミュだが、これだけ離れていれば安心して観察できる。 小さかった頃に嫌な思いをさせられたことは事実だが、それがどの子供だったかなど到底思い出せるものではない。
「ワルドの奴は枢機卿の抱えている護衛隊の隊員だ。 レオナールがいる銃士隊とはことごとく対立し、実に気に食わん! 知ってるだろうが、枢機卿は国王に張り合おうと自分でも私的に護衛隊を作って悦に入っているところがあるからな。 そんなこともあって銃士隊とはあちこちで衝突しているんだよ。」
むろんミロは銃士隊寄りなので、枢機卿お抱えの護衛隊の権威を鼻にかけるワルドとは以前から気が合わない。 そこにカミュのことについての不愉快な発言を聞いたのだから黙っていられるわけがないのだった。
「レオナールの兄貴は銃士隊の副隊長だ。 ミロとも親しくて、あいつも気分的には銃士隊の一員みたいなものだ。 本人が望めばいつでもあの制服を着られるんじゃないかと思うぜ。」
「では、なぜ銃士隊に入らないのだろう?」
銃士隊に入るのが若い貴族の憧れなのはカミュも知っている。 騎馬で街を通っていく青い制服姿に憧れの眼を向ける市民も数多いのだ。
「ミロの親はトゥールーズ伯だからな。 その気になれば親の口利きでいつでも即入隊だ。 素行にも実力にもなんら問題はない。 ただ、俺の見るところ、あいつは自由な立場が好きだし、銃士隊に入ればさすがに勤務に縛られるから、それが嫌なんだろう。 それに…」
快活なディスマルクが口ごもるのは珍しい。
「…それに?」
「この夏にお前と知り合ってからはますます忙しくなったようだ。 たぶん一緒にいて守ってやりたいんじゃないかと俺は思うね。 ワルドみたいな奴もいることだ。 銃士隊に入ったんじゃ、そこらへんの自由が効かないんだよ。」
「………そう…かな。 だとしたらミロには申し訳ない。」
「いいんだよ、あいつが好きでやってることだ。 カミュが気にすることはない。 世の中に出たのはほとんど今日が初めてなんだろ? 思いっきり守ってもらえばいいさ。 正直、俺だって心配で見てられないがミロに任せておけば安心だ。 おっと、始まったぜ!」
出会いがしらにぶつかっていきなり剣を抜きあっての決闘とはわけが違う。 介添え人も交えて正式に申し込んだ決闘では、いざ立ち会う前に、卑怯な真似はしない、死んだときに遺恨を残さない、などのわかりきったこととはいえ重要なことを互いに確認する必要があるし、万が一死んだときの手配りに関する意思も表明しておくものなのだ。
それも済んで少し離れた位置に立った二人が同時に剣を抜いた。

睨みあっていたのはほんの僅かの間で、すぐに剣の音が響き始めた。 初めての夜の散策で見た活劇は暗すぎたし、屋敷でミロに剣を教えてもらうときにはゆとりをもって基本からじっくりと指導してもらっていたので、本物の一対一の闘いを見るのはカミュには初めての経験だ。 はらはらしながら見ているとミロの鋭い突きがワルドの肩先を切り裂いた。
「あれじゃ、皮膚には届いてないな。 奴の動きが鈍っていない。 ミロは奴を殺す気はないから、加減が難しいのさ。」
こんなことは日常茶飯事らしいディスマルクは平気な顔をしているが、カミュの心臓は今にも破裂しそうなのだ。 決闘で命を落とす者が多いことはよく知っているし、いくらミロに自信があるといっても万が一ということがある。

   もし………もしミロになにかあったら、いったいどうすれば……!
   私などと係わり合いになったから、こんなことになったのだ

ちょうどそのとき、勢いよく踏み込んだワルドの剣先がミロの帽子をはね飛ばして金髪の一房が宙に舞った。
「あっ!」
思わず駆け寄ろうとしたカミュの腕をディスマルクが掴んだ。
「お前さんが今行ってもなんにもならないだろうが! かえって邪魔になるだけだ! ここはミロを信用しろ、大丈夫だ!」
もっともな言葉にその場で息を呑んで見つめていると、ミロの剣がワルドの右の二の腕を刺し、激痛に耐えかねた相手が剣を落としたその咽元にミロがぴたりと剣先を突きつけた。
「これまでだな、ワルド! 貴様の非礼を詫びてもらおうか!」
「うっ………!」
額に脂汗を滲ませたワルドが口を開きかけたそのとき、僧院の石壁の角を曲ってきた一団が制止の声を上げながら駆け寄ってきたではないか。
「なにをしているっ! 決闘は国王陛下の御名により固く禁じられている! 我々は護衛隊の者だ、双方とも剣を収めろっ!」
「くそっ、いらぬところで邪魔をしてくれる!」
ディスマルクが舌打ちをする。 思わぬことにふたたび駆け出そうとしたカミュを、
「行けば騒ぎになるぜ、それはミロのもっとも望まないことだろうが! ここはミロとレオナールに任せておけ、何とかなる!」
引き止めてくれたディスマルクにミロはあとでどれほど感謝したかわからない。

護衛隊がやってくるのを見て剣を引いたミロがワルドにすっと近寄って、
「余計なことは言うなよ。 俺の言うことに頷いていてもらおうか!」
そう言い終ったとき、周りをわらわらと囲まれた。
「ワルドに………こっちはトゥールーズの…! 貴様ら、決闘をしていたな! 国王陛下の禁令を知らぬとは言わせんぞ! 原因はなんだ?!」
同じく護衛隊のワルドの顔が知られているのは当然として、ミロの方も顔が売れているらしいのはさすがにトゥールーズ家の威光と見えた。
そのときには慌ててそばに寄ってきたレオナールとワルド側の介添え人がそれぞれ事情を話そうとしたときだ。
「この男が俺を侮辱してくれた!」
ミロが護衛隊の隊長を真っ直ぐに見据えて言い放った。
「こともあろうにこの俺の金髪をヒマワリのようだと言ってくれたのだ! 男として許せるわけがないだろう!」
「ヒマワリ……だと?」
隊長の目が呆れたように細められ、予想もしないことを言われたワルドがぽかんと口を開けた。
「そうだな、ワルド! 違うとは言わせん!」
振り返ったミロにギンと睨まれたワルドが観念したように渋々頷いた。 ここでカミュの眼のことを持ち出せば、自分の将来に暗雲がかかることは理解したものと見える。
「それで怒らない奴は男じゃないな、ともかく二人とも来てもらおう! 介添え人も同様だ!」
厳しい表情の隊長が、
「こともあろうにトゥールーズの息子をヒマワリだと? ワルドの奴、頭がどうかしてるんじゃないのか?」
と吐き捨てるように呟いたのをレオナールが聞いていて、のちにミロをおおいに面白がらせたのだった。
そのときにはカミュに、待っていろ、と固く言い含めておいたディスマルクが近くに様子を見に来ており、ミロに、カミュのことは任せろ、と合図を送っているあたり手馴れたものだ。。
「お前はなんだ?」
隊長に誰何されて、
「俺はただの見物人♪」
と素知らぬ顔で答えている。
そうして一同が行ってしまうとディスマルクがカミュのところに戻って来た。
「あの……ミロは? いったいどうなる……?」
取り囲まれて連れて行かれるミロに必死にすがるような視線を送っていたカミュには、もうそのことしか考えられないのだ。
「大丈夫さ! ただでさえ決闘には恩赦が出るし、うまいことにミロは相手に軽い傷を負わせただけだ。 それにこういうときにはトゥールーズの名が物を言う。 心配ないさ、じきにお咎めなしで戻ってくるだろうよ。」
「それならいいのだけれど、私が事情を説明しなくてよかったのだろうか………」
「よせよ、ますます事が面倒になるだけだ。 ミロもそこのところはよくわかってる。 あの場でお前の眼のことをワルドが切り出せば、お前もあの場に引っ張り出されて辛いことになったろう。 それがわかってるからミロはワルドに口止めをして自分が侮辱されたことにしたんだよ、うまく考えるじゃないか。 それにしてもヒマワリとは面白すぎる♪」
くすくす笑ったディスマルクがミロの腕を取った。
「さあ、今日は俺が屋敷まで送らせてもらおうか。 物足りないかもしれないが我慢してくれ。 」
「あ………どうもありがとう。」
紅潮した滑らかな頬に長いまつげが影を落とす。

   ふうん………俺の付き合った中の一番の美人でもかなわないかもしれん!
   だが心配するな、ミロ
   俺は女にしか興味がないんでね ♪

夕風が熱い空気を吹き払う。
心配顔のカミュを連れたディスマルクが夕闇に姿を消していった。