その2  眠る人

部屋は思ったよりも広く、窓にはたっぷりとしたドレープのゴブラン織りのカーテンがかけられて調度備品の趣味も良い。 かすかに漂う香りは香水というよりも、一箇所だけ開けられている窓から入ってくるライラックの香りらしかった。 貴婦人の部屋といえば、こぼれんばかりに飾られている花とむせかえるような香水の香りに満ちあふれているのが当たり前の昨今では、この部屋は珍しい部類といえるだろう。 これまでに見知っている婦人の部屋に比べれば、簡素とまではいかないが、清楚なたたずまいの部屋であるには違いない。

   ふうん………こんな部屋に住んでいる娘もいるんだな  すっきりとして気持ちがいいじゃないか
   だから、来て見なきゃ、わからないんだよ

部屋の位置からするとこの屋敷の夫人の部屋というよりは二人の令嬢のうちのどちらかの居室なのだろうが、片側の書棚にはたくさんの本が並び、落ち着いた雰囲気が好ましい。厚手の絨毯にかかとが沈み込む感触は、それが最上の品であることを示していた。
左側に天蓋付きのベッドがあり、そこにこの部屋の主が静かな寝息を立てている。
向こうを向いて寝ているため顔立ちはわからないが、サイドテーブルに置かれた蝋燭の灯りがやわらかい光を投げかけ、床に届きそうなほどに流れ落ちた長い黒髪の艶々しさを見せていた。わずかに見えている頬から首筋にかけての線がすっきりとして美しい。

   さて、ここまでは及第だが………
  
音を立てぬように気をつけてそっと近付いたとき、身じろぎをして寝返りを打った女が今度はこちらに顔を向けた。はっとして足を止めたが、幸い起きる様子もなく深い溜め息をひとつついただけである。女は若く、二十歳前後といったところだろうか。 前髪からのぞく額はいかにも聡明そうで、きれいにカールしたまつげは長く影を落としている。白い頬が夜目にも美しく、甘い蜜を含んだような唇が愛らしい。 不意の侵入者に盗み見られているとも知らずに無心に眠るさまは天使のようで、これを見て心が騒がないといえば嘘になる。

   ほぅ………これほどの美人には、どこの舞踏会に行ってもそうそうお目にかかれるものではない
   これで性格がよくて才気もあれば申し分ないのだが、はたしていかがなものか?
   
しばらく見とれていた男が、すっとベッドに近付いた。 傍らのサイドテーブルには手の込んだ細工の宝石箱が置いてあるのだが、それに目もくれないところを見ると盗賊でないのは確かなようだ。
身をかがめた男が枕元に豊かに流れる髪のそのひと房を手に取った。 さらさらとした感触を楽しむようにすくい落としたとき、そのわずかの気配を感じたものか、女が目を開けたのだ。