その3  抱擁

無心に見開いた目が、かすかな当惑から恐怖の色に染まるのを待っている気はなかった。
すっと近寄り、呼び紐に伸ばされた手をあっさりと とらえてぐっと引き寄せる。 声を出す暇も与えずに唇を重ねると、しなやかな身体が震えおののき、そのやわらかい感触が男を夢中にさせた。
深窓の花の唇は思いのほかに甘やかで、助けを呼ぶのを封じるための口付けが必要以上に長く綿密になってゆく。 とても力ではかなわないのだが、なんとかして逃れようとするのだろうか、ゆるゆると頭が振られるたびに白麻のシーツの上に長い髪がうねりを見せ、その清艶な趣きに目を奪われる。
思わぬ収穫に心躍らせていると急に相手の身体から力が抜けて驚かされた。
「おいっ、大丈夫か?」
抱きかかえて声を押し殺して呼びかけると、荒い息をついて真っ赤な顔をそむけている。 少し乱れた髪から覗いている耳朶までが濃い朱に染まって美しく、思わず見とれてしまうのだ。
「息が………息ができなくて…」
「……え?」
キスのときに息ができなくて気絶するというのも珍しいが、声質になにか違和感がある。一抹の疑念を抱きつつ訊いてみた。
「おい、……名はなんという? 」
「私は………カミュ・フランソワ・ド・アルベール…」
「カミーユ?」
「そうではない、カミュだ。」
答える声はか細く震え、突然の闖入者に唇を奪われた衝撃から立ち直るのは困難らしい。

   カミーユは女の名だが、カミュといえば男だろう?
   しかし、こんなにきれいな男がこの世にいるのか?

「悪いが、確かめさせてもらおうか。」
「…え?」
手を引いて立ち上がらせると、有無を言わさずもう一度抱いた。 今度は唇を合わすことはせず、やさしく抱きしめてシルクサテンの夜着の上から全身の感触をゆっくりとさぐってゆく。
「あ………なにを…」
見知らぬ男に深夜 抱かれていることの異常さに気付いたのだろうか、腕の中のしなやかな身体が震えおののきしっとりと汗ばんでゆくのがなんともいえぬ手ごたえなのだ。
「ふうん………やっぱりそうなんだ。 俺としてはそれでも一向に構わないが。」
くすっと笑った男は、薔薇色に染まったカミュの頬を軽く指でなぞってから残念そうに身体を離す。落ち着いて眺めてみれば、背丈はたいして変わらないものの、肩幅はそれほど広くない。長髪流行りのこの頃でも腰近くまである髪は珍しいのだが、これがまた女よりも美しいのだ。

   これでは、女と間違うのも無理はない
   昼の光の中で見たら、どれほど美しいことだろう!

「いったい何のことだ? それに、お前は何者か?」
ようやく我に返ったカミュに問いただされた男が帽子を取って礼儀正しく一礼をする。波打つ金髪が肩に揺れ、洗練された物腰は実に優雅なのだった。
「俺は、ミロ・スコルピーシュ・ド・トゥールーズ。 どうぞお見知りおきを。」
仄かな蝋燭の灯りの中で端整な顔立ちの若い男が笑っていた。