その22  旅 の 途 中 2


夕食は白ワインとバターを使ったソースのかかった白身魚のソテー、鴨胸肉のハーブロースト、白インゲンとアスパラガスのサラダなどがテーブルに並び、田舎風のたっぷりとした盛り付けにカミュは眼を丸くした。
「こんなに食べられるだろうか?」
「いけるさ! 旅に出ると食欲が湧くものだ。 ここの鴨はパリよりも味がいいと思う。」
二本の蝋燭がテーブルの上を照らし窓からの風が炎を揺らす。 初めての旅でミロと囲む食卓はカミュには物珍しくてたまらない。
「部屋で食べないときは食堂に? こういうのは特別なのかな?」
「ああ、たいていは下の食堂に用意されるが、部屋で食べることも多い。 俺くらいなら下でかまわないが、例えば父と母がここに泊まるとき、他の客と一緒に食堂で食事を摂るということはちょっと考えられない。」
ここは宿屋としては上質の部類で、貴族階級のための部屋も用意されているが、ごく普通の客も多いのだ。 そんな雑多な庶民と伯爵夫妻が隣同士のテーブルで食事をするのはたしかにあり得ないことだろう。
「それならよかった! 私の眼のせいで宿に面倒をかけているのかと思ったものだから。」
「心配することはない。 ここはうちの定宿だし、馬車や馬の管理も行き届いてる。 もう少し飲める?」
「あ……それでは半分くらいなら。」
二本目のワインを半分ほど残したところでミロが栓をする。
「残りは朝に取っておこう。」
「え? 朝からワインを?」
「旅先だからいいんだよ。 それに馬じゃないから馬車に乗っているうちに酔いが醒めるし、なんの問題もない。 だいいち、これ以上飲むとあとに祟る♪」
くすっと笑ったミロに悪戯っぽく見つめられたカミュが困ったようにうつむいた。

食事がさげられたあとは寝るだけだ。
「自分の部屋以外で寝るのは初めて?」
「そうだ。 なんだか変な気がする。 それに、この匂いはなんだろう?」
枕を持ち上げたミロが匂いをかいだ。
「この中にハーブが仕込んであるんだよ。 これはラベンダーだ、安眠効果がある。」
持参の夜着に着替えてベッドに入るとすぐにミロが滑り込んできた。
「やっと安心して抱ける♪」
「ん……」
今まではこっそりアルベール邸に忍び入ることがほとんどで、カミュに剣を教えるという名目でしばらく泊まりこんだことがあるとはいうものの、客用寝室からカミュの部屋に忍んで行ったことには変わりない。 恋を盗むというスリルもいいが、やはり朝まで落ち着いて一緒にいられる安堵感といったらないのだ。
「でも、あっちのベッドをまったく使わないっていうのも問題だな。」
「……え? どうして?」
「どうしてって………俺たちが出かけたらこの部屋を片付けに来るんだぜ。 そのときに片っ方のベッドしか使ってなかったらまずいだろう? この先、泊まりに来られなくなる。」
「あ………なるほど…」
「だから、あとで俺のベッドに引っ越そう♪」
「……引っ越す??」
「窓を開けていてもかなり暑い。 向こうのベッドが冷えていて、さぞかし気持ちがいいと思う。」
「ええと………そういうものかな…」
「そういうものだよ♪」
恥じらうカミュを引き寄せたミロが額に一つキスをした。

翌朝の目覚めは聞きなれない声とともにやってきた。
「ミロ! あれはなにっ?!」
びくっとして眼を開けたカミュがミロを揺り起こす。
「………え? ……ああ、あれはニワトリの声だ………ん〜、おはよう♪」
「ニワトリ?………あ…」
けたたましいとしか言いようのない声を気にもせず、ミロが唇を重ねてきた。
「やっぱり、いいな♪ お前を抱きながら朝まで寝られたなんて最高だ! そうは思わない?」
「え………あのぅ…」
真っ赤になったカミュの耳を再びニワトリの声が強襲する。
「ニワトリっていつもあんな声で? まだ暗いのに?」
「そういえばたしかにパリでは聞かないな。 田舎ではどの家もニワトリを飼ってる。 卵を産ませて 朝のオムレツにするためだ、俺たちもこれから食べる。 で、ニワトリは coquerico って鳴くんだよ、コクリコ〜!」
「……コクリコ?」
「ほら、猫は Miaou ミャウだろ。 ニワトリはコクリコって聞こえるってわけ。 」
「そうかな?」
「そうだよ、ほかになんて鳴くんだ? そんなことより……」
ミロがカミュを引き寄せた。
「昨夜のお前の声の方がはるかに素敵だった♪ もう一度聞かせてくれないかな?」
「え……そんな………」
声を出した記憶のないカミュが頬を染める。
「冗談だよ♪ ニワトリが鳴いたらもう朝だ。 宿の者も起き始めるし、俺もあの声を聞きながら……というのは願い下げだ。 風情がなさすぎる。」
東の空が白んできた。

ミロの言ったとおり、朝食に出てきた鮮やかな黄色いオムレツは熱々で二人を満足させた。
「これが、あの……?」
「ああ、きっとあのニワトリのだ。 俺の腕の中で気持ちよく眠っていたお前を驚かせたリベンジってこと♪」
昨夜の残りのワインを注いだミロがくすくす笑う。
「少し飲まないか?」
「では少しだけ。」
ミロがワインを含み、慣れた様子で唇が重ねられた。

「では、ミロぼっちゃまのお帰りのときをお待ちしております。」
朝食を全部たいらげた二人の健啖ぶりは宿の主人を喜ばせ、グリモーに手渡された昼食のバスケットはずっしり重い。
「ああ、一ヵ月後に、また来よう。」
他の客の眼に触れぬよう、カミュを一足先に馬車に乗せたミロが主人に軽く手を振った。
走り出した馬車の窓は全開にしてあるので吹き抜ける風が心地よい。 それはいいのだが、髪を吹き乱されたカミュは困ったような顔をする。
「こんなときには髪を結べばいいんだよ。 え? やったことがない? そういえば見たことがなかったな。 ちょっと向こうを向いて!」
ポケットから青緑のリボンを出したミロは艶やかな髪をさっとまとめると手際よくひと結びにした。
「俺も頼めるかな?」
「ああ、いいとも。」
同じ色のリボンを受け取るとカールした金髪を丁寧にまとめて、ちょっと考えてからふっくらとした蝶結びにしてみた。
「できた!」
「人の髪を結ぶのは初めて?」
「ああ、まったく触ったことがない。」
「この旅は初物が多いな。 きっと楽しめることと思う。 」
ニワトリの声にも驚くカミュなのだ。 牛の乳搾りを見せたらどんなに眼を丸くすることだろう。

   トゥールーズに着いたら川でマスを釣ろう  冷たい水に足をひたしたらどんなに喜ぶことか!
   それから鹿狩りもだ!  おっと、その前にギャロップを教えなくては!

これから先の楽しい計画にミロの胸は弾む。
昼食にちょうど良さそうな木陰を見付けて馬車を止めさせたグリモーが、外に降り立ったミロの髪のリボンを一目見て、その女子供の好むような可愛い結び目に仰天し、教えたものかどうか悩むことなど知りもしないのだった。