その26  ギ ャ ロ ッ プ


ブランコに堪能した二人が城の東側に続く小道を歩いてゆくと、向こうからバザンがやってきた。
「おはようございます、ミロ様、カミュ様。」
「おはよう! 馬の調子はどうだ?」
「はい、疲れも取れたようで、まぐさもよく食べましたし毛艶もよろしいです。」
パリからトゥールーズまでの旅は馬にもだいぶ疲労がたまる。 早馬を走らせる場合は、宿の抱えている替え馬に次々と乗り換えて夜に日を継いで一刻も早くと急ぐのだが、取り立てて急がぬ普通の旅では宿の厩で一晩ゆっくりと休ませた同じ馬を使うのだ。
トゥールーズ家の定宿では馬に与えるまぐさも上等で、手入れも良いので馬の疲れがずいぶん違う。
「そいつはよかった、お前もゆっくり休めたか?」
「はい、おかげざまで。 やはりトゥールーズの空気は、ようございます。」
「ああ、ここで日頃の疲れをとるといい。」
御辞儀をしたバザンが城の方へ行った。
「厩舎には何頭くらいの馬が?」
「二十頭くらいかな。 ほかに客が乗ってきた馬の世話をするために二十頭分は空けてある。 今日は俺たちの馬が4頭だけだが、来週サガとカノンが来ればあと8頭は増えるからかなり賑やかになる。」
「それは大忙しだ。」
パリのアルベール邸では馬車用に4頭と乗用に2頭なので規模がまったく違う。 やがて行く手に厩舎が見えてきた。
「カミュにはヌーベル・ネージュに乗ってもらう。 ソレイユと同じで、おとなしくてよく言うことを聞くいい馬だ。 ほんとは俺が乗ろうと思っていたんだが、父にああ言われては仕方がない。」
「なにか困ることでも? ミロだけにとてもよくなついているとか?」
「いや、そうじゃなくて。」
くすっと笑ったミロが、
「新雪、という名前の通りの真っ白い馬なんだよ。 俺が乗って白馬の王子様になろうと思っていたのにそれが残念で!」
そう言ったものだからカミュも笑うしかないのだ。
「では、最初はミロが乗って私に見せてくれ。 白馬の王子姿を胸にしかと刻むから。」
「それもいいな。 俺が乗るソレイユは鹿毛だ。 よく走るいい馬だよ。」

そんなことを話しながら厩舎に着くと朝の手入れが一段落したところで、何頭もの馬がミロを見ていななきを上げる。 いずれも手入れがよく行き届いていて艶々とした毛並みが美しい。 奥の方にいた一頭にミロが近づくと軽くいなないたその馬が首を伸ばして匂いをかいできた。
「これがポムだ。 すっかり歳をとってしまったが、いまだにリンゴが好きなんだよ。」
心得た厩番の少年の手からリンゴを受け取ったミロがポムの口元に寄せるとあっという間にリンゴは姿を消した。
「いい子だ!」
鼻づらを撫でたミロが、
「ヌーベル・ネージュとソレイユを。」
と言うと、二人の男がさっそく二頭を引き出しにかかる。
その間にカミュがポムを撫でているのを見たミロが、少年を手招きしてなにごとか言った。
「カミュ様もポムにリンゴをどうぞ!」
えっ、と振り向いたカミュにリンゴを差し出している少年はにこにこしていてなんの恐れ気もないのだ。
「ああ、どうもありがとう。」
つられて笑うと少年も嬉しそうにする。 まだ十二、三歳だがゆくゆくは厩舎の世話頭になりそうなはしっこい子供だ。
「この子はバザンの甥なんだよ、よく気が回る働き者だ。 では馬場に行こう!」
馬を引いたミロに促されてカミュもヌーベル・ネージュの手綱を持ってみる。 ミロの前で馬に乗るのは初めてでなんだかどきどきしてしまうのだ。
「私は屋敷の中でしか乗ったことがなくて、ほんとに基礎しかわかっていないから………」
「大丈夫だよ、伯爵にお聞きしたが、カミュに馬を教えたのはパリでも一流の教師で引く手あまたのジェローデルだというじゃないか。 子女の乗馬をジェローデルに教えてもらいたがる親は多いと聞いている。 」
「えっ、そうなのか、まったく知らなかった!」
「だからギャロップに移行するのもそんなに難しくはないだろう。 さあ、乗った!」
明るい夏の日ざしが降り注いでいる馬場はかなり広くて、向こうの森の近くまで続いている。 草叢にはキンポウゲの黄色い花が揺れ、遠くの方で雉が歩いているのが見えた。
「うまくなったら領内のどこへでも行ける。 森の中を抜けるのも小川を越えてゆくのも楽しいものだ。 夏の森も涼しくていいが、秋の紅葉は身体が染まりそうなほど美しい。」
並足でゆっくり進みながら語るミロの話が夢のようでカミュの胸は弾む。
「並足は四拍子、そして速足は………こんな風に二拍子だ。 そう、それでいい。」
整えられた馬場を一緒に並んでゆくだけでもこんなにどきどきするというのに、自由自在に野山を駈けて行ったらどれほど楽しいことだろう。
「ではギャロップだ。 ギャロップは二拍子で、乗り手の身体の柔軟性がさらに求められる。 馬の頭と首が大きく動くので、乗り手はその動きを邪魔してはならない。 首、背中、腰、膝、足首、もちろん肩もひじも柔らかくすることが肝心だ。 肘を柔らかくして、馬の首が激しく前後に動くからそれに合わせて手綱を伸縮させる。 ちょっとそこで見ていてくれ。」
ざっと説明したミロがソレイユに乗って馬場を一回りしてきた。 カミュには羨ましいほど軽々と乗りこなし、動きに無駄がない。
「ともかく速度になれることだ。」
「やってみる。」
緊張した面持ちのカミュが考えながら教わったとおりにするとヌーベル・ネージュが走り出した。
「落ち着いて! もっとひじを柔らかく!」
すぐに伴走してきたミロが横から指導してくれるのだが、初めてギャロップに挑んでいるカミュの方は心臓が高鳴ってどうしても身体に力が入ってしまう。 一回りして元のところへ帰ってくると早くも身体が汗ばんでいる。
「こんなに早いとは思わなかった!」
「あれで半分くらいかな。 慣れたら俺と競争だ。 まだ先の話だろうが、俺に勝ったらその夜はお前の好きなようにさせてやるよ。」
「そんな……!」
真っ赤になったカミュが可愛くてミロが笑う。
「そんなに心配しなくても、トゥールーズにいる間はとても無理だと思う。 それまでは俺の好きにさせてもらうから大丈夫だよ。 ほら、もう一度、練習だ!」
こんな風にヌーベル・ネージュとソレイユが二頭並んで走るのは珍しいことなのだ。 真剣に練習に励む二人の頭からは、ミロが最初に白馬の王子を演じることが忘れられていることは間違いなかった。