その28  ド ラ ゴ ン

森を抜けている途中も様々な鳥の声が聞こえ、ミロが次々とその名を言っていくのがカミュには羨ましい。
「あれはウタツグミだ。」
「あっちで鳴いているのはコマドリだな。」
そんなに違いが聞き分けられるのかとカミュには不思議でならないのだが、慣れれば自然とわかるとミロは言う。
「しかたないさ、今までずっと屋敷の中にいたんだから。 ここにいる間に十種類くらいは覚えられるだろう。」
「だといいけれど。」
突然頭上の高いところからよく響く声がした。
「あれはなに?」
「カッコウ coucou だ。 名前通りにククーと鳴いているだろう。 このあたりの女の子はその年に最初に聞いたカッコウの鳴き声の数で自分が何年後に結婚するか占うのだそうだ。」
「え?」
耳を澄ますとカッコウは一回しか鳴かなかったようだ。
「一回だった。 すると来年?」
「でも俺たちは男だし、そんな占いには無関係だ。 それにカッコウが鳴いても鳴かなくても俺の気持ちに変わりはないから。」
「ん………ありがとう。」
頬を染めたカミュが照れ隠しに脇の草叢に目をやった。
「あ、ここにもジロールが!」
かがみ込んで、さっき見つけたのよりも見事なジロールに手を伸ばそうとしたカミュが固まった。
「ミロ……あの…」
かすれた声は興奮と緊張を示している。
「どうした?」
カミュの後ろから覗き込んだミロが見たのはとぐろを巻いた黒褐色の大きな蛇だ。 ジロールのそばでちろちろと赤い舌を出しながら淡黄色の目でじっとこちらを見ているさまがカミュを驚かせたに違いない。
「大丈夫だ。 警戒しているだけで俺たちを襲うようなことはない。」
カミュの腕を引いてそっと後ろに下がらせると蛇の方でも身体をくねらせて森の奥に消えていった。
「あれが蛇っ! 初めて見た! すごい!」
「ああ、初めてだったのか! それじゃ驚くのも無理はない。 心配ないさ、このあたりにはたくさんいるごく普通の蛇だ。」
「あれが普通っ?! だって悪魔の化身なのに?!」
「え?」
たしかに聖書には悪魔に操られた蛇が人間をそそのかしたと書いてあるが、蛇は単なる蛇にすぎないとミロは思っている。 しかし蒼ざめたカミュは悪魔を見たような気でいるらしい。
「聖書にはそう書いてあるが実際には蛇はどこにでもいるし、そんなに恐れるものでもない。 むろんいい気持ちはしないが、ただそれだけのことだ。 このあたりには毒蛇もいないから大丈夫さ。」
「毒蛇っ!!」
唇を震わせたカミュが目を見開いた。 どうやら毒蛇の存在も知らなかったようなのだ。

   まったくこうもものを知らないと、ますます心配で手放せなくなってくるな………
   蛙とか蜘蛛とかは知ってるんだろうか?
   ………エスカルゴは? アルベール邸では食卓に上ったのか??
   知っているとしても、その本体を見たことがあるかどうかは疑問だな?

ちらっと横を見ると湿った木のうろの中に大きなカタツムリが二匹いる。 教えるべきかどうか迷ったが、万が一ショックを受けてもいけないのでその講義は後日に譲ることにした。 初めて蛇を見てまだドキドキしているらしいカミュをこれ以上驚かせることは慎むべきだろう。

   搭の上の姫君じゃあるまいし まさか気絶はしないだろうが、
   蒼ざめてすがるような目で見られたら、こっちの理性に自信が持てないからな

「フランスにもクサリヘビっていうのがいて牙には毒がある。 噛まれたらまずいがトゥールーズでは見たことはない。 ついでに言っておくがドラゴンもいない。」
ほんの冗談のつもりで言うと、
「ああ、よかった! 実はそれが気になっていた!」
「……え?」
「さっきの蛇の舌がドラゴンの口から吐く炎と似ているので、もしかしたらこのあたりにドラゴンの巣があるかもしれないと思って!」
頬を赤らめて言われてはとても我慢などできるものではない。 ぎゅっと抱き寄せて口付けた。

   可愛いっ、可愛すぎるっ……!
   この年になってもドラゴンの存在を信じているとは!

このまま信じさせておいて時々怖がらせるというのも可愛いだろうが、そんなことをしていて誰かとの話題になったとき恥をかいても困るのだ。
「ドラゴンは伝説で、実際にはいない。 」
満足したところで唇をはなしてそう言うと、
「……え? そうなのか?」
真っ赤な顔をして唇をそっと押さえながら真顔で訊いてくる。
「もっとも俺としては、お前の前でドラゴンをやっつけていいところを見せたいんだが。」
剣の柄をたたくミロの手をカミュが止めた。
「だめだ。」
「え?」
「もう危険なことはして欲しくない。 決闘だけで十分だから………」
「カミュ……」
魚釣りという目的がなければミロはその場でカミュを抱いていただろう。 かろうじて自らを抑制し、なめらかな頬にやさしい口付けを贈る。
「大丈夫だ。 いつもお前のそばにいる。 ドラゴン退治になんか出掛けないから安心して。」
「ん……」
こんな調子で、魚釣りの場所に辿り着くのは予定より少々遅くなった。


                                        


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