その33  隠 れ ん ぼ

「カミュ様〜!」
サロンに入ってくるなり駆け寄ってきたのはいちばん小さいアンヌ=マリーだ。 長旅の疲れもどこへやら、カミュの手をぎゅっと握って大にこにこの様子がいかにも子供らしい。
「こんにちは、アンヌ=マリー。」
かがんだカミュの頬に唇を寄せるのも慣れたもので横で見ていたミロを感心させる。
続けて姿を見せたサガ夫妻と長男のアンドレ、次男のマクシミリアンに二人が挨拶しようとすると、
「今度はミロおにいちゃまの番ね!」
アンヌ=マリーがミロの手を引いて頬に口付けをする。
「あらあら、アンヌ=マリー!」
「ほんとにアンヌ=マリーったら、おませなんだから!」
「立派な貴婦人にはなれないよ!」
「なれるもん! きちんとご挨拶、できるもん!」
頬を薔薇色に染めたアンヌ=マリーが姿勢を正して優雅にドレスをつまみ会釈をするのが愛らしい。
「はいはい、わかりました、アンヌ=マリーは立派な淑女です。」
くすくす笑ったミロが重々しく認めて一同は笑い崩れるのだ。 賑やかな声に気づいたカノンの子供たちがサロンに顔を出し、ますます賑やかさを増した。

サガとカノンの家も当然行き来があって子供たちはとっくに知り合いである。 元気な子供と言えどもトゥールーズの城の大きさは手にあまり、隅々まで探検したつもりでも次々と知らない小階段や隠し扉が見つかってどきどきの連続だ。
カノンの長男セドリック、長女のカロリーヌ、次女のセレスティーヌは昨日初めてカミュと会って、最初こそ紅い目にびっくりしたのだがすぐに仲良くなれた。 パリでサガの子供達に何度も接していたカミュが子供の扱いに慣れていたのが功を奏し、また、ミロやトゥールーズ伯夫妻との親しげな様子が子供の警戒心を解いたのだ。
「さて、午後からこの城で隠れんぼをする。 なにしろ広いので隠れる場所が多すぎて探すのがたいへんだ。 そこで、3階だけを使うことにする。 2階にも4階にも行ってはいけない。 最初に見つかったものが次の鬼になる。 最後まで見つからなかったものの勝ちだ。 」
ミロの演説に目を輝かせて聞き入っていた子供たちがすぐに隠れたくてウズウズしているのが手に取るようにわかる。
「最初の鬼は私がやる。 この階段の踊り場で30数えるから、数え終わるまでにどこかに隠れるように。 危険なことはしないこと。 とくに男の子は天井のシャンデリアに隠れようなんて真似をしてはいけない。」
「まさか!」
「そんなことできないよ!」
「きれいなドレスの女の子も暖炉の中に隠れたりしてはいけません。」
「やぁだぁ〜!」
「淑女はそんなことしないもん!」
「ではみんな3階に上がって!」
ミロがぱしっと手を叩き、それを合図にカミュと6人の子供たちが一斉に階段を上がっていった。
「ではこれから30数える。 数え終わったら探しに行くから、それまでに隠れているように!」
ミロが数え始めるのを背中で聞きながら薄暗い廊下を左右に別れててんでに隠れるところを探し始める。
トゥールーズの城は一階の中央に広いホールがあり、サロンや図書室、大食堂、撞球室、武具室などが配置され、二階には家族と客用の寝室が数え切れないほど続いている。 ミロが隠れんぼに使おうとしている3階は普段は人の出入りはないが、じきに催される鹿狩りにやってくるたくさんの来客の着替えや休息に使用されるため窓を開けて風を入れている最中で子供が出入りしてもいささかも困ることはない。 使用人たちにもこの予定を伝えてあるので危険なものは片付けてあり、遊ぶにはもってこいなのだ。
「カミュ様、カミュ様! こっちよ!」
アンヌ=マリーに手を引かれて左の廊下の奥の方の部屋に連れ込まれたカミュが見るとそこは格式ばった寝室でゴブラン織りのカーテンが重々しく風に揺れている。
「え〜とね、この中がいいわ!」
部屋の隅の衣装箪笥の扉を開けたアンヌ=マリーがカミュを手招いた。
「ここに?」
「だってベッドの陰なんかじゃ、すぐに見つかっちゃうでしょ。 静かにしてなきゃミロおにいちゃまにわかってしまうからお話してちゃだめなの。」
扉を閉めると真っ暗で、子供の遊びとわかってはいるものの自分の心臓がどきどきしているのがよくわかる。 遠くでミロが30まで数え終わる声がした。 小さいアンヌ=マリーに合わせてカミュがしゃがみこむと、すり寄ってきたアンヌ=マリーが耳元でささやいた。
「ねぇ、カミュ様、なんだかどきどきしちゃう………ドラゴンが出てきたら守ってくれる?」
「ドラゴンっ?!」
「し〜っ! そんな大きな声を出しちゃだめ! ミロおにいちゃまより先にドラゴンに見つかっちゃう!」
「だって、あの………ドラゴンはほんとうはいないから大丈夫だから。」
「でもご本にはドラゴンがいるって書いてあるもの! 古いお城には必ずドラゴンが住んでて人をさらっていくのよ、知らないの?」
ちょうどそのとき窓から吹き込んだ風が出口を求めて暖炉の煙突の中を吹き上がり恐ろしい響きを立てた。
「きゃっ……!」
アンヌ=マリーがカミュにしがみついた拍子に閉めておいたはずの扉がギイッと鈍い音を立ててゆっくりと開いてゆく。 ドキッとして思わず目をやると向かいの壁に掛かった絵がカミュの視界に飛び込んできた。 それは、ドラゴンを退治する聖ジョルジュの絵で、槍に刺された首から流れ出る血が実に生々しいのだった。 思わずぎゅっと目をつむりアンヌ=マリーを抱き締める。 そのとたんふたたび吹き込んできた風が激しい勢いで扉をばたんと閉めて今度こそカミュの心臓を縮み上がらせた。
「怖いっ!」
暗闇の中でアンヌ=マリーがしゃくりあげ、慰めようにもカミュ自身がすでに恐怖におののいている有様なのだ。 二人して息をひそめているといまにもドラゴンが鋭い爪のついた手で襲い掛かってくるような気がして冷や汗が流れてくる。 暗闇の恐怖に押しつぶされそうになったときどこかのドアがギィィ〜と開く音がしてさらに鼓動が高まった。 震えるアンヌ=マリーをきつく抱き締めたとき、いきなり扉が開けられた。
「きゃっ!」
アンヌ=マリーがカミュの胸に顔をうずめる。
「見つけた! これで全員だ!」
ミロが立っていた。

「じゃあ、今度はマクシミリアンが鬼だ。 大きな声で数えるように。」
マクシミリアンを踊り場に残してみんながわれ先にと廊下に散った。 カミュの手を引いたミロが右の廊下の奥に急ぎ足で進む。 アンヌ=マリーにはセレスティーヌと一緒に隠れるようにと言っておいたのでついてくることはないのだ。
「ここにしよう!」
ミロが扉を開けた。そこは納戸のようで雑多な品物が納められており、幾つかある戸棚の一つに空間を見つけたミロがカミュを素早く引き込んだ。
「で、さっきはどうしたって?」
「あの………扉を閉めたら真っ暗で…」
「当たり前だな、衣装箪笥には窓はついてない。 この戸棚もそうだけど。」
「で、アンヌ=マリーがドラゴンがいるかもしれないと言い出して。 私はドラゴンは作り話だと言ったのだけれど、彼女は本に書いてあると主張して。」
「うん、それで?」
問いながらミロがカミュを抱き締める。
「そうしたらまるでドラゴンの息のようなすごい音が聞こえるし……」
「そいつは暖炉の中を吹きぬける風の音じゃないのか?」
「それから自然に扉が開いてぎょっとして、壁の絵が見えて………あ……ミロ……」
熱い唇が首筋に押し当てられる。
「それで扉が急にばたんと閉まって心臓が止まるかと思って……」
「そんなに怖かった?」
「ん………」
「今は?」
「怖くない……ミロ……あの…」
キスだけでは終わらないのではないかと不安になったカミュがミロの手を押しのけようとした。
「もう少しなら大丈夫……」
遠くの方で 「見〜つけた!」 という声がする。きゃっきゃっと騒ぐ声が賑やかだ。
「アンヌ=マリーよりお前の方が泣きそうだった。 真っ蒼になってたし。 」
「ん………我慢してた……」
「手を引いて立ち上がらせたとき、抱き締めてキスしたくてたまらなかった。 こんなふうに………」
「………ミロ…」

結局この部屋に捜索の手が伸びたのはそれから10分ほどあとのことだ。
「見つけたっ!」
「おやおや、見つかったか。」
「あれっ、カミュ様、真っ赤だよ!」
「え……そう…かな?」
「夏は戸棚の中に隠れるものじゃないな、息苦しくてかなわなかった。 次はもっと早く見つけてもらわないと困る。」
にっこり笑ったミロがマクシミリアンの頭をくしゃくしゃと撫でた。


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                 ※  聖ジョルジュとドラゴン 1890年 ( ギュスターブ・モロー) ⇒ こちら
                        時代が新しすぎますが、あまりに素敵なので。