その35  ミ ロ と カ ミ ュ と 秘 密 の 部 屋

隠れんぼを5、6回も繰り返すとそろそろおなかがすいてくる。 なにしろ部屋数が多いので一通り探すのにもかなりの時間がかかるのだ。
子供たちを全員見つけたミロが、
「あとはカミュだけだし、君たちはそろそろ午後のお茶の時間に行くほうがいいだろう。」
と言うと、
「カミュ様を探さないの?」
という声が口々に上がる。
「カミュは大人だから隠れるのが上手くてまだまだ時間がかかりそうだ。 ゆっくり探しておくからここで隠れんぼはお終いにして食堂に行きなさい。 今日のデザートはなにか知ってるかな?」
「なに、なにっ?」
ミロを囲む6人の目が期待に輝いた。
「フランボワーズのタルトとシュー・ア・ラ・クレームだ。 クリームがたっぷりついている。」
わっと歓声が上がり子供たちが階下に姿を消した。 子供らしい騒ぎが遠くに行ってしまったところでミロが歩き出す。 もちろんカミュを見つけ出すためだ。
廊下の中ほどの部屋に入り、半ば衝立に隠されていた目立たないドアをそっと開けて暗い衣装部屋に入ると片隅の戸棚に目を凝らす。 閉じられた扉の隙間からわずかに見えているのはブルーのサッシュの端で、それは明らかにカミュが腰に締めているものに違いない。 最初に入ってきたときにすぐに見つけたのだが、どんなにかカミュがドキドキしているだろうと思うとすぐに見つけるのも惜しくて子供たちを見つけるほうを優先することにした。 一人見つけるたびにその部屋に入ってカミュをハラハラさせながらまた外に出る。 そんなことを繰り返していたら最後の一人を見つけるのに思いのほか手間取ってお茶の時間になったのもミロには都合がよかった。
隠れている側からすれば、見つかりそうで見つからないというのがワクワクする面白さだが、それを想像してわざと時間をかけてやるのも鬼だけに許された特権だろう。

   少しくらい演出してもばちは当たるまい

カミュの隠れている部屋の隣室に戻って時代がかった肘掛け椅子を絨毯の上で引きずるとズズズ…と重い音がして聞きようによっては不気味なものだ。 ついでにドアの表面を爪で何度か引っかいて鋭い音を立ててからいきなり戸棚の扉を引き開けた。 からっぽの戸棚の中に膝を抱えてうずくまったカミュが肩を震わせて身を固くしている。
「見つけたよ。」
やさしく言うと濡れた瞳がミロを見た。 なにか言おうとした唇は震えるばかりで言葉を紡げない。 手を差し出してぐいっと引き寄せそのまま両手で抱き締める。 震える身体がいとおしい。
「待った?」
「ん……」
「もしかして………怖かった?」
「ん…」
「遅くなってすまなかった………」
慰めの抱擁はやがて想いを込めた熱いキスとなり、それに続くミロの動作にカミュが息を飲む。
「でも、あの………子供たちが……」
「隠れんぼなら終らせた。 今ごろは食堂でフランボワーズのタルトに夢中になっていることだろう。 ねぇ………俺たちも甘いデザートがほしいと思わない?」
「え…あの……でも、ここで?」
「ん〜、それもそうだな。 ちょっと興趣に欠けるかな。」
たしかに人目にはつかないが、窓もないこの部屋にあるのは古めかしい戸棚と幾つかの椅子だけだ。
「いいところを思いついた。 案内しよう。」
上気しているカミュを連れて廊下に出たミロは、左右を見て人のいないのを確かめると4階へ続く階段を昇り、廊下のいちばん端の部屋のドアを開けた。 昔は寝室だったらしいその部屋は重厚な造りの暖炉やクラシカルな天蓋が残っているが今はまったく使われていない余分の場所らしい。 人の入った形跡はなくて空気がよどんでいるようだ。。
「4階と5階は鹿狩りのときさえ使わない。 昔は使っていたのだろうが、今は無人の部屋ばかりだ。」
ミロが暖炉の横の大きなタペストリーに近付いた。
「これは1200年ごろの狩りの様子を織り出したものだそうだ。 しかし、重要なのは図柄ではなくて、」
ミロがどっしりとしたタペストリーをはねのけると古い樫材の扉が見えた。
「あっ!」
「ここにドアが隠されているということだ。 」
「この向こうはいったい?」
どう考えても秘密の部屋か通路としか思えない。
これがデスマスクあたりだと、秘密の愛人を連れ込んで三日三晩にわたり痴態の限りを尽くす、といった類の連想をたくましゅうするのだろうが、あいにくカミュの頭にはそっちの方は浮ばない。
「秘密の祈祷室とか? 祭壇があって壁には聖人の絵が掛かっていて毎晩祈りを捧げるため? それとももしかして金銀宝石がどっさり入った黒檀の箱が置いてあるとか?」
「え? そういうのではないが。 むろんドラゴンを飼っているわけでもない。」
びくっとしたカミュの反応を楽しみながらミロがドアを開けた。
「ちょっとした冒険だろう? 来て。」
薄暗い空間に螺旋階段が上に続いているのが見えた。 窓が無いので見上げても真っ暗なのが恐ろしく、ミロに手を引かれて恐る恐る上るカミュの手はすぐにしっとりと汗ばんでくる。 いないと言われたドラゴンの恐ろしい姿が目の前にちらつきドキドキは増すばかりなのだ。
「ミロ、あの………黙ってないで……なにか話して。」
「大丈夫だよ、もうすぐ着くから。 本来なら松明か何かを持って来るべきだろうが、まだ昼間だし。 俺がいるから安心して。」
「ん………」
そうやって何回もぐるぐる回ってゆくうちにやっとドアに辿り着いた。 向こう側は明るいらしく四角いドアの周囲から細い光の筋が洩れている。 ミロがドアを押し開けた。
「ここは?」
そこは直径4メートルくらいのほぼ円形の部屋で、等間隔に配置された四角い窓が四つあり、家具らしいものは何もない。 壁の厚さは城の他の部分と同じく1メートル近くもあっていかにもどっしりとした造りになっていた。
「こっちに来て。」
窓に近寄ったミロに手招きされたカミュが見たものは城の周りの眺望だ。 緑の森も流れる川も一幅の絵のようで遠くの村や街道がかすんで見える。 なにしろ壁が厚いので真下を見ることはできないが、他の窓からは城の屋根部分が手に取るように見えた。
「わぁっ、すごい!」
「いい眺めだろう! 子供の頃に見つけたときは嬉しかったよ。 自分だけの秘密の部屋だ。 たぶんサガもカノンも知らないと思う。」
「四方が見えるということは、ここは搭の部屋? それなら外からも見えるのだから、城の人間には周知の場所なのでは?」
「もっともな質問だが、それがそうじゃないんだな。」
立ち話もなんだから、と言いながらミロが小脇に抱えていた布を床に敷き広げてカミュを座らせたところを見るとどうやら最初からその目的で持ってきたものらしい。
「この搭の階段は実は二重になっているんだよ。搭の部屋も二つある。 ここは知られていないほうの部屋だ。」
「えっ?!」
「五階の廊下の端から誰にでもわかる場所にこの搭に昇る螺旋階段があり、ごく普通に昇ればてっぺんの部屋に着く。 それがここの上にあるみんなが知っている搭の部屋だ。 でもここに続く階段はさっき通ってきたとおりの4階の部屋に隠された秘密の階段で、正式なものじゃない。 ほら、二つの螺旋階段をまったく独立した二重の階段として造ることが可能なのはわかるだろう。 辿り着く部屋もまったく別物だ。」
「でも何のためにそんなものを造ったのだろう?」
「さあ? なにしろ何百年も前に建てられたものだからな。 そこのところはわからない。」
並んで腰を下ろしながら見上げる天井はこの搭が経てきた時代を思わせる。 果たしてどんな人物がこの天井を見上げながら眠りについたのだろうか。 異国の美姫か、憂愁の貴公子か、はたまた白髪の老人か。
「搭を造ったそもそもの目的は、敵が攻めてきたときにいち早く発見してそれに備えるためだ。 もうそんなことがなくなったので使われなくなっているが本来はここに見張りの兵士が詰めて昼夜を分かたず見張っていたのだと思う。 戦さのない平和な時代になると、居室にするにはほかから隔離されすぎていて不便極まりないからいつのまにか使われなくなって、せいぜい子供の遊び場になるくらいだったと思う。」
「でも、それならサガやカノンもここを知っているのでは?」
カミュが周囲を見回した。 男の子が秘密の部屋にするにはぴったりでたくさんの冒険物語ができそうだ。
「それが……」
ミロが楽しそうに笑った。
「子供の頃にさんざん隠れんぼや宝探しをやったが誰一人ここのことを知っていたものはいなかった。 兄たちが知っていれば俺に自慢げに話したと思う。 すべてを探検するにはこの城は広すぎて気がつかなかったんだよ、きっと。 それにごく普通の階段を通ってこの上にあるよく知られている搭の部屋に上るだけでも相当な冒険だ。 昼間でも暗いのに、松明無しで夜中に上るには相当な気力が要るからな。」
「そんな怖いことをやったことがあると?」
「いや、ドラゴンが怖くてできなかった♪」
「えっ!」
びくっとしたカミュをミロが抱き寄せた。
「昔話はここまでだ。 そろそろ甘いデザートにかかってもいいかな?」
「え………でも、あの………もし誰かが来たら…?」
「誰も知るはずはないし、念のため掛け金も掛けてある。 カミュ………」
「あ………」

しばらくして螺旋階段を上ってきた誰かが扉を開けようとして手を止めた。 誰も来ないと言われてもやはり不安が先に立ち、声を押さえていたカミュの隠しても隠し切れないかすかな気配に気づいたものと見える。 間の悪いことにミロが名を呼ぶ声さえ聞こえてきたではなかったか。

   ………おやおや、先客がいたとは!

「誰かが眺めを楽しんでいるらしい。 邪魔しては悪いからまたあとで来よう。」
後ろからついてきた妻に振り返ったカノンがそっとささやいて、上ってきたばかりの階段を降り始めた。
「あなただけがご存知の場所ではありませんでしたの?」
「きっとみんながそう思いこんでいるらしいね。」
「では、わたくしたちもフランボワーズのタルトでお茶にいたしましょう。」
「ああ、そうしよう。」
暗闇の中で握り締めた白い指にカノンが唇を寄せていった。


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