その41 迷 路
大勢が一斉に迷路に入って出口を目指して競争するというのも面白いが、二人で試行錯誤しながら正しい道を探っていくのもいいものだ。
もっとも男二人で迷路遊びをするというのは聞いたことがない
普通は恋人同士が手に手を取り合って楽しく進むものだからな
その場合は、早く出口を見つけるのとは逆の目的であることが多いと思うが
苦笑したミロがカミュとともに右に曲がり左に曲がりして進んでいくと、すぐに分かれ道にぶつかった。
「どっちだと思う?」
「う〜ん……私は右だと思う!」
「俺は左だと思うが、最初はそっちに付き合おう。」
辿った道はやがて行き止まりになり、どうにも進めない。
「あ、こっちじゃなかった!」
「ほらね! 俺の言った通りだ。」
後戻りして何度もそんなことを繰り返してゆく途中には意匠を凝らした立派なあずまやがあったり、恋人同士がちょっと腰をおろして休むのに相応しい瀟洒なベンチがあったりしてカミュを喜ばせる。
「こんなものもあるのか! 考えもしなかった!」
「生け垣だけでは面白くないし、歩き疲れたときに休むことができるのはいいものだ。
女たちの履いてる靴は綺麗で可愛いが、実際には長いあいだ歩くのには向いてない。
すぐに足が痛くなるそうだ。」
「ふうん、そういうものか?」
「そうだよ、彼女たちにとってお洒落とは我慢することに等しいらしい。」
「え?我慢?」
「ウエストをぎゅうぎゅう締め上げるとか、やたら踵の高い靴を履くとか、ああいうのは苦しいに決まってる。それを涼しい顔してやってるんだから、その努力は見上げたものだ。男に生まれてほんとによかったと思うよ。」
「ふ〜ん、そうとは知らなかった。」
むろん、こんなあけすけなことを育ちの良い貴婦人が言うはずもないが、それをあっさりと聞き出してミロに教えてくれたのはもちろんディスマルクだ。
「よくもそんな内輪の話を男のお前に喋るものだな。」
「なあに、簡単さ!女の腰があんなに細いのは固いコルセットで締め上げてるせいだ。
背中のほうで紐を何本も使って毎朝侍女に締めさせてるからあんなプロポーションになるんだよ。
胸がふっくらと寄せてあるのもそのせいだ、そんなことくらい知ってるだろうな?」
「え?… ああ、むろん!」
「で、脱がせるときにコルセットがきつそうだったから、苦しかっただろう、俺が楽にしてやるよ、って言ってちょっとやさしくしてやったらいろいろと内実をしゃべってくれて。
お前もやってみればわかるぜ。 コルセットでぎゅっと締め上げた跡が白い柔肌にこうくっきりと残ってだなぁ、かわいそうに思ってそこをやさしくさすってやると…」
「いや、お前ほどうまくできそうにない。 今の所は遠慮しておく。」
恋の熟練者を自認するディスマルクの自慢話に付き合わされて苦笑いした覚えがあるのだ。
そんなふうにして行きつ戻りつしながら30分ほど歩いていると、いかにももうすぐ出口に近いという別れ道までやってきた。
正面の小枝に 『 最後の選択 』 と書いてある札が下がっているのがその証拠だ。
「どっちかな?」
「俺は右だ。」
「私は左だと思う。」
顔を見合わせたがどちらも譲る気はない。
「ここで最後のようだから別れてみるか?」
「では、そうしよう。」
どちらからともなく頷いて左右に別れることになった。
先に出口にたどり着いたのはミロだ。
「こっちが当たりだったな。 カミュもそのうちに来るだろう。」
気楽に構えていたが、案に相違してなかなか来ない。 迎えに行ったほうがいいかと思ったときに迷路のどこかで押し殺した叫び声と人が倒れるような物音が聞こえ、ミロは迷わず迷路に飛び込んだ。
左に進んだカミュの道は今までになく難しかった。
行き止まりになって引き返し、もう一つの道を先に進むとまた二つに別れ、それを何度も繰り返すと自分がどこにいるのかわからなくなったのだ。生け垣のはるか向こうに高い屋根は見えるものの、一向に出口にはたどり着けそうにない。
辺りも暗くなってきて、これではミロを呼ぶしかないかと困り果てて歩いていると前方にあずまやが見えてきた。 目を凝らすと誰かが大理石のベンチに腰掛けて休んでいるのが見える。もちろんミロではないのだが、ほっとしたカミュはその男に出口を知らないかと尋ねてみる気になった。 この暗さなら目の色は見えないし、今までの経験から見知らぬ人間に話し掛けることにも慣れてきて、少しは自信がついていた。
「あの、すみませんが、出口がどこだかおわかりではありませんか? 迷ってしまったらしいのですが。」
「え? それはお困りですな。」
ゆらりと立ち上がった男が寄ってきた。 三十がらみの貴族で左目に眼帯をしているのにちょっと恐れをなしたカミュが無意識に身を引いたとき、いきなり手首をつかまれた。
えっ?!
「これはこれは、とんだ美形のご入来だ。 ひとつお相手を願いたいものだな。」
酔った口調が馴れ馴れしい。 ミロ以外の人間にこんなふうに身体をさわられたのは初めてでカミュの背に寒気が走る。
何を言われたのか理解できなかったカミュがすぐに逃げ出さなかったのも男の誤解を助長した。
「どこの小姓かは知らんが、今夜は俺の相手をしろ。 いい夢を見させてやる。」
剣を帯びていないカミュは小姓と間違われたのだ。 あまりに美しい容姿は男の食指をそそるのに充分すぎた。
「な…なに…」
怯えた声が男の本能を掻き立てる。
「ふうむ……まだ男を知らないか? 天使のように愛らしい顔をして道に迷っているのは襲ってくれと言っているようなものだ。
よかろう、今夜は俺が恋の道の指南をしてやろう。」
「ぁっ…」
危急のときに大声を出せるような性格ではなくて、動転したカミュは気ばかり焦り声も出ない。 強い力で抱きすくめられてしまい、押し返そうとしてもどうにもできなくてもがいているうちに男の唇が迫ってきた。 必死に顔をそむけてあらがっているうちに、足を絡められてあっという間に押し倒された。
やっとミロを呼ぶことを思い付き、
「助けて!」
と震える声で呼んだとき、男の手がシャツの合わせ目から忍び込んで来た。
「いやぁっ…」
何かを求めてはい回る手がおぞましい。
「可愛いやつめ、悪いようにはしない。 泣くほど喜ばせてやろう。 助けを呼んだら恥をかくのはお前のほうだ。
こんな姿を人に見られたくはあるまい? 黙って身を任せるのが宮廷の恋のルールだということを知らないか?
」
酒臭い男の息が気持ち悪くてカミュが息を止めた。男の言葉が頭の中をぐるぐる回る。
こんなに………こんなに嫌なのに、人を呼んではいけないのか?
一瞬の戸惑いが隙となり、あっという間に両手を捕らえられて身体の自由を奪われた。
「あっ!」
「それでいい。 よく見ればリュイーヌよりも美しいではないか、存分に可愛がってやろう。
今夜は十分に楽しめそうだ!」
にやりと笑った男の重い身体がのしかかる。 もうだめだと思ったとき、カミュの心の中にミロに言われた言葉が電光のように浮かんだ。
「もしも俺以外のやつにキスされそうになったら、すかさず引っぱたくように。」
両手は押さえられていたものの、まだ自由の効いていた足で男の腿の辺りを思いっきり蹴飛ばした。
「なにをするかっ!こんな可愛い顔をして 痛い目に遭いたいか!」
腕をねじ上げられたカミュが悲鳴を上げる。 しかし男の優位もそこまでだった。 その場に飛び込んで来たミロが後ろから男の襟首を掴んで地面に投げ飛ばしたのだ。
「大丈夫かっ!」
「ミロ……ああ、ミロ…」
手を引かれて助け起こされたカミュの頬を安堵の涙が伝う。
「とんでもないやつだ! 迷路の中で永久にさ迷っていろ!」
やっと起き上がりかけた男の胸倉をつかんで顎に一発喰らわせたミロが吐き捨てるように言った。
男は地面に伸びてびくりとも動かない。
「ありがとう、ミロ……ありがとう…」
「お前を独りにした俺が悪かった。 もうこんな目には絶対に遭わせないから……!」
震えのやまない手を引いてその場を足早に去り、出口が見えたところで立ち止まってカミュの乱れた胸元を直してやりながらもミロの怒りは収まらない。
「まさかパレ・カルディナルで流血沙汰もできないから生かしておいてやったが、ほかの場所なら即座に串刺しにしているところだ。 それにしてもひどい目に遭ったな。 大丈夫か? まさか……キスなんかされなかったか? あの……胸も大丈夫?」
ミロとしてもこんなことは言いにくいが、とても聞かずにはいられない。 心配そうに覗き込まれたカミュが頬を染めた。
「大丈夫だ、必死で避けた。 あの……どこにもいやなことはされていないから……この唇は……」
しなやかな手がそっとミロの首に回される。
「ミロだけのものだから…」
胸の動悸が一つになって、迷路の中で甘いキスが交わされていった。
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