その46 興 奮
「侍従長からの呼び出し状だ。 用件は書いてなくて、この書状を受け取ったらルーブルに来られたし、とある。」
「ルーブルって……でも、あの……」
突然降って湧いた話に混乱したカミュがなにか言おうとするより早く、夫人と姉たちが、
「いったいなんの用件でしょう? それにカミュは王宮に行ったこともなくて、どうしたらいいかわかりませんわ、きっと!」
「お父様も一緒にお行きになってくださいな! カミュ一人であんなに人の多い宮廷にはやれませんもの!」
と口々に言い始め、とてもカミュの出る幕ではない。
「まあ、待ちなさい。 心配しているのは私も同じだ。 今までほとんど外に出たこともなかったというのにいきなり呼び出される理由がわからない。
子爵、なにかお考えはありますかな?」
みんなが一斉にミロを見た。 むろん驚いていないのはミロだけである。
「その書状はいつ届いたのでしょうか?」
「7月10日です。 カミュがトゥールーズに発って一週間ほどしか経っていなかったので、侍従長にそのことを説明して呼び戻したほうがよいか聞いたところ、その必要はないからパリに戻ってきたらルーブルに来るようにとの返事をもらってあります。」
一週間後というなら途中で行き会ったトレヴィル公爵夫人がバリに着いて数日後ということになる
おそらく夫人がカミュのことを話題にし、それが回り回って国王の耳に入ったのだろう
さすがは耳ざといものだ
「陛下、耳寄りな話がございます。 アルベール伯の子息はリュイーヌ公によく似ているとか。」
「ほう! 幾つだ?」
「当年とって二十歳だそうで。 しかも目がルビーのように美しい赤なのだそうでこざいます。」
「それは見てみたいものだ。 呼ぶようにせよ。」
「かしこまりました。」
そんな会話があったのだろうとミロは想像する。 もともと男色を好む国王のことだ、何年もそばに置いているリュイーヌに似ていてしかも年若いカミュに興味を持つのは無理もない。
いくらお気に入りといってもリュイーヌももう三十近くになるはずで、みずみずしい若さのカミュに気を惹かれてもなんの不思議もないだろう。
カミュに好意を持ったに違いないトレヴィル公爵夫人は、いずれ訪問してくるだろうカミュが人々に受け入れられるようにと 『
ルビーのように美しい目 』 を強調して噂にしただろう。 夫人にすればそれはカミュを世間に認めさせる布石なのだが、カミュがリュイーヌに似ていることに気付いていた誰かがそれを噂に付け加えてもなんの不思議もない。
国王も紅い目に驚きはするだろうが、リュイーヌによく似た美しい宝石を手元に置きたいと考える可能性は高い。
これが叙位の件ならその旨が明記してあるはずだ
めでたい公式な話を伏せておく必要はなにもない
それに、トゥールーズに来たリシュリューが叙位を思いついたのは7月後半だから時期も合わない
用件を書けなかったというのが真相だろう。 王がカミュに興味を持ったとはいくらなんでも書けはしない 。
「実はこれはまだお話ししていなかったのですが、パリに戻って来たのは昨日のことで、昨夜はパレ・カルディナルに泊まりました。」
「えっ!」
アルベール伯夫妻と姉たちが驚きの声を上げた。 屋敷のあるサン・トノレ街をまっすぐに行くと左にはルーブル、その向かいにはパレ・カルディナルがあってどちらも実に豪壮華麗な建物だ。
ルーブルの舞踏会には何度も出掛けたことはあるが、枢機卿の私邸であるパレ・カルディナルに足を踏み入れたことはない。
行くだけでも考えられないのに、そこに泊まったというのはおよそ考えられないことである。
「これは驚き入りました。 いったいどうしたわけでしょう?」
そこでミロが、鹿狩りのときに偶然やってきた枢機卿の知遇を得てパレ・カルディナルに招かれた話をすると、もうそれだけでたいへんな興奮を呼び起こすことになった。
「なんと! カミュが枢機卿のお目にとまったのですか!」
「まあぁ、どうしましょう!」
「いえ、これで驚かれては困りますので。」
そしてミロが、枢機卿の帰邸が遅くなったために一泊を余儀なくされ朝食を共にすることになり、ついには叙位の話や神学の勉強会に出席することになった経緯を披露したものだから、さあ大変だ。 女性たちから興奮の悲鳴が上がり、伯爵は驚きのあまり口がきけない有様だ。
「ですから私が思いますに、」
ミロが咳ばらいをした。 叙位の件については日にちを曖昧にしておいたほうがいい。
「このルーブルからの呼び出しは叙位に関することではないかと思います。 トゥールーズにいるときも枢機卿から叙位の話があったのですがこんなに早いとは思いもしませんでした。」
「なるほど、そうでしたか!」
「そしてルーブルに行くについてもご心配には及びません。 明日はパレ・カルディナルに行き、枢機卿と同じ馬車でルーブルに伺侯することになっていますので。」
「なんですとっ!」
「そして国王陛下に叙位の御礼を言上することになっています。 全ては枢機卿の計らいです。」
「えっ!」
今度こそ伯爵が倒れそうになった。
「カミュが……うちのカミュが!」
「まあ……あなた、どうしましょう……」
あまりのことに夫人が蒼ざめてしまい、心配したカミュが一生懸命に安心させようと慰める。
「ご心配は要りません、母上。 ミロが一緒に行ってくれますし、枢機卿倪下も、とても親切にしてくださいます。
それに神学の勉強会でご一緒するジョセフ神父もやさしくしてくださいますし。」
「ジョセフ神父! もしやあの灰色の睨下?!」
「え?」
ジョセフ神父が灰色の倪下と呼ばれている重要人物だということを知らなかったのはカミュだけだったが、カミュの家族たちはそのことをカミュに悟らせないようぐっと言葉を飲み込んだ。
大事な話を知らないのは自分だけだと思わせて、寂しい思いをさせることはない。
「ジョセフ神父もたまたま朝食に同席していて、そこで神学の話になり勉強会に誘われたのです。
カミュのラテン語が見事だと褒めていただきました。」
「ああ、ラテン語を。 そうでしたか。 しかし、実に驚き入ったことですな。」
ミロの説明に伯爵も少しは安心したようだ。
「国王陛下の御前に出るのでしたらたいへんですわ! すぐに服と靴を選びませんと!」
少しは落ち着きを取り戻した夫人が現実的なことに気を回して急いで行ってしまい、アフロディエンヌとシュラーヌもあとを追う。
婦人たちが行ってしまうと伯爵が心配そうに切り出した。
「子爵、その……カミュの目のことは大丈夫でしょうかな?」
「それもご安心を。 枢機卿はすべてわかったうえでカミュをルーブルに伴ってくれるのですから、私も心配はしていません。」
ミロが力強く言ったものだから、アルベール伯もやっと安堵の色を見せる。 もしも国王に不快感を示されようものなら今後の身の振り方に大きな影響が出てくるのだ。
「明日はこちらに来てから一緒にパレ・カルディナルに行くつもりです。 それで、これからカミュにルーブルのことをいろいろと教えておこうと思います。
そのほうがカミュも安心でしょう。」
「そう願えれば有り難いです。 ほんとに子爵にはなにもかもお世話になりっぱなしで。」
「当然のことです。 お力になれて幸いです。」
伯爵と握手をしてから二人でカミュの部屋に行くと、衣装部屋で夫人と二人の姉たちが衣装選びに余念がない。
「あの、母上、なるべく目立たないのをお願いします。」
「わかっていますわ、大丈夫よ。 だいいち目立つ服など一枚もないではありませんか。」
そうして選び出されたのはシックな茶とベージュの品のある装いで、ミロとカミュをほっとさせる。
婦人たちが行ってすぐにプランシェがプチフールを持ってきて、二人もやっと寛ぐことができた。
「明日は気疲れするだろうがきっとうまくいく。 大丈夫だよ。」
「ルーブルのことがなにもわからないのでよろしく頼む。」
「リシュリューの赤いマントの後ろにぴったりとついていけばいいさ。 国王に言う台詞も明日リシュリューに確かめておこう。」
「ミロが子爵になったときはどうだった?」
「俺のときはなにしろ三番目の息子だからな。 父が申請して叙位書を受け取ってきておしまいだ、簡単なものだ。」
「それは羨ましい。 こんな気疲れするのは好きじゃない。」
カミュが溜め息をついた。
「しかたないさ、なにしろあのリシュリューのお声がかりだからな。 これ以上の仲介者は王族しかいない。
うちもサガのときは、トゥールーズの跡を継ぐ立場なのでさすがに大仰だった。」
「やっぱり国王に拝謁を?」
「俺は見てないから詳しいことは知らないが、拝謁自体はすぐに済んだと言っていた。
そのあとの挨拶回りとか披露パーティーとかがいろいろあったな。」
「えっ! それは困る!」
「そのときによって様々だよ。 俺のときなんか、挨拶状を出して内輪の晩餐会を開いただけだ。」
「よかった! 父にもぜひそうしてもらおう!」
挨拶状こそたしかに簡単だったが 内輪のはずの晩餐会はいつのまにか百人規模に膨れ上がり、とてもパリの本邸ではできなくなってトゥールーズに場所を移して大宴会になったのはミロの記憶に新しい。
勢いでディスマルクとレオナールも来たからな
祝いだからとやたらワインを注がれてついに撃沈したのを覚えてる
ともかく賑やかだったとしか言いようがない
しかし、それは大貴族のトゥールーズだからで、招待される側もそれに相応しいことを期待する。 普通はそんなに大げさになるものではない。
「明日さえ乗り切ればなんてことないさ。 リシュリューがついてるんだから大船に乗った気でいればいい。
それにしてもラテン語があんなに得意とは知らなかった。」
「家庭教師に教えてもらったけれど、実際に役に立ったのは初めてだ。 あの時は嬉しかった。
言葉が心の中から湧いてくる。 勉強会に出るのが楽しみだ。」
「それはよかった!」
問題はそれにつきあう俺のほうだ
もう一度家庭教師についたほうがいいかもしれん それともカミュに教えてもらったほうがいいのか?
カミュは喜ぶだろうが、こっちが集中できるかどうかは疑問だな
一対一の勉強を思い浮かべたミロがちょっと赤くなる。 今まではすべてにおいてミロがカミュに教えてきたが先を越されたのは初めてだ。
ちらりと見ると、昨日と今日の興奮がいまだ冷めやらぬカミュの頬も赤くてしかも明日のルーブル行きが待ち構えている。
久しぶりに離れて眠る今夜が安らかなものであるよう祈りながらミロはやさしく唇を重ねていった。
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