その8  正式の訪問

「スコルピーシュ子爵様のお越しでございます。」
プランシェに先導されて応接間に入ってきたのは、むろんミロである。
ミロの父親であるトゥールーズ伯ルイ・アレクサンドルの跡を継ぐのは長兄のサガで、これもむろん子爵になっている。
「これはこれは、ようこそお越しを!」
「初めてお目にかかります。 ミロ・スコルピーシュ・ド・トゥールーズです。」
満面に笑みを浮かべたアルベール伯が手を差し延べて儀礼通りの挨拶が交される。 遅れて入ってきた夫人がにこやかに挨拶をし、ふたたび念の入った初対面の紹介が行なわれた。
「今日は、カミュをお訪ね下さったそうですな。」
「ええ、先日ブーローニュで偶然お目にかかりました。」
「プランシェ、カミュをここに。」
扉の脇に控えていたプランシェが音もなく出てゆき、ホールの階段を上って行ったようだ。
「子爵はご存知かどうか………カミュには少々事情がありまして、いささか友人が少ないのです。これを機に親しくおつき合いいただけましたら、こんなに嬉しいことはありません。」
一つ咳払いをしたアルベール伯が声を落としてミロに言い、傍らの夫人もすがるような眼差しでミロを見る。
「ご事情は池のほとりでお目にかかったときに薄々拝察しております。 もとより承知の上でお伺いしたのですから、ご案じくださいますな。」
いささかも動じることなく言い切るミロに夫妻も安堵の胸を撫で下ろしたようだ。
出会ったときの様子をプランシェに聞くと、馬車の中はやや暗く、馬上の人間からはカミュの目の色がわからなかった可能性も考えられるという。友達を欲しくなったカミュが衝動にかられて自宅に誘ったのはいいが、訪問したあとで初めて紅い目に気付かれるような始末であれば困ったことになる。その人物が恐れをなして二度と訪ねてこないようなことになれば、どれほどカミュが傷つくか、考えただけでも恐ろしい。
しかしミロの堂々とした態度がその心配を払拭したのは確かなようだ。 焦眉を開いた夫妻がほっとして顔を見合わせたとき、カミュが応接室に入ってきた。

   きれいだ………!

ミロが最初に思ったのはそのことだ。
今まで幾度も部屋で逢ってはいたものの、いくら上質といっても夜着だったし、そもそも暗すぎて話にもなにもなりはしない。
数日前にブーローニュで遇ったときには馬車の中のカミュは暗がりにいて、しかもミロには陽が当たっていたので肝心の目の色もわからなければ、着ている服も定かではなかったのだった。最後の最後で不安になったらしいカミュとは終始視線を合わすことができなくて、そこも打ち合わせとは違っていた。
それでもわずかの会話のうちに身をかがめてそっと見てみると、なんとなく紅いらしいことは感じられたが、日陰の上に長いまつげが邪魔をした。視線が合わないものは仕方がないので後日の訪問を約してその場を離れたが、気合いを入れてきただけにどうにも残念だったのだ。
だからその夜に逢ったときには、
「すまない………勇気がなくて…」
「しかたないさ、今度昼間にきたときにはどうぞよろしく」
「ん………ほんとに驚かないで…」
「大丈夫だよ。」
やさしい抱擁をしながらそんな会話を交わしてゆっくりと唇を重ねたのだった。

目の前のカミュは手の込んだ仕立ての品のいい服を着て背に流れる髪も艶々と美しい。立ち居振る舞いが洗練されていてなんともいえない気品がある。 伏し目がちに三人のところにやってきたカミュがまっすぐにミロを見た。
「ようこそ! カミュ・フランソワ・ド・アルベールです、もう一度お目にかかれて幸いです。」
「ミロ・スコルピーシュ・ド・トゥールーズです、お招きを受けて失礼をも省みずこうして御伺いしました。これからもどうぞよろしく!」
双方が同時に手を差し出し固い握手が交される。
ちょうどそのとき紅茶が運ばれてきて午後の歓談が始まった。

   ほんとうに紅いんだな………聞いてはいたがこれは驚いた!

「ええ、トゥールーズは良い土地ですね。 パリよりもかなり南なので、冬の寒さもそれほどではなくて 。」
優雅に紅茶を飲みながら上品な会話を心がけ、その場を華やがせるのはさして難しいことでもなくて、ミロの思考はどうしてもそのことに立ち返る。
真紅ではなかったものの暗赤色というには無理がある。手にしているティーカップの白磁の内側に揺れている紅茶の色をもう少し濃くしたようなきれいな色で、これでは外に出るのも難しいと思われた。
「ほう! すると、先週のラ・フェール侯の舞踏会には子爵はおいでになりませんでしたか。 それは残念ですな。」
「ええ、所用がありまして。」
出るはずはない。 そのときにはこの階上のカミュの部屋で忍び逢っていたのだ。
話の輪に加わったり、また静かに耳を傾けたりしながらときおりミロを見るカミュはやや頬を染め、それでもとにかく平静を保っているが心のうちはどれほど波立っていることだろう。

   きっと、俺が紅い目のことをどう思っているか、心配でならないのだろうな
   気になって気になって、いても立ってもいられないのに違いない
   可哀そうだが、それに関しては今はなんの言葉も掛けるわけにはいかないし………
   大丈夫だよ、お前が好きだ  人目がなければ今すぐに抱きしめてキスしてやるよ…

初めて訪問したミロが午後のお茶を楽しみながら共に歓談しているという事実こそがカミュの紅い目を容認していることの証しになっており、 そのことを口に出して 「私は一向に気になりません 」 などと言うのは明らかなマナー違反に他ならない。
ミロがカミュに好感を持っているらしいことはアルベール伯夫妻にも十二分に伝わったと見えて、当初の緊張もほぐれてきたようだ。宮廷でも重きをなしているトゥールーズ伯爵家の子息がカミュを訪ねてきて気さくに話しかけているということが心を軽くしているのに違いなく、ミロに向ける笑顔も自然になってきたのがよくわかる。
「あまりの楽しさに思わず長居をいたしました。 よろしければまた近いうちにお伺いしても宜しいですか?」
「ええ、ぜひお越しください。 こちらこそ楽しいときを過ごしました!」
「心からお待ちしておりますわ!」
丁重な別れの挨拶が交わされ、部屋を出てホールを抜ける間にはカミュと並んで歩きながら当たり障りのない会話もできたのだ。初めての訪問は極めてうまく行ったといえるだろう。

玄関先にはすでにミロの愛馬が待っており、主を見て軽いいななきを上げている。預けておいた帽子と手袋をプランシェから受け取るとミロは馬上の人となる。
「また お邪魔しよう。 今度からは、カミュ、と呼んでもよろしいか?」
「もちろんですとも! では私もミロと呼ばせていただこう。」
馬上から手を差し伸ばし軽く握手をすると、アルベール伯夫妻に丁寧に会釈をしたミロが軽く手綱をさばいて正門を抜けていった。名残り惜しげに見送っているカミュの後ろで夫妻が ほっと溜め息をつく。
「お若いのにほんとにご立派でいらっしゃること! いい方と知り合えて、なんて嬉しいことでしょう!」
「トゥールーズ伯も人柄のいい方だが、ご子息もその血を引いているのがよくわかる。なにしろ、よかった!」
カミュが生まれて二十年ものあいだ夫妻が抱え込んできた心痛を、たった一度のミロの訪問がわずかとはいえ軽くしたのだった。

   ほんとにミロはなんて立派に見えるのだろう!
   目がとっても青くてきれいで………私とはまったく違っていて!
   それに金髪も輝くようで、応接間で初めて見たとき心臓が止まるかと思ったもの!
   それにしてもミロは私の目をどう思っただろう  なんだか聞くのが恐い………
   もしも………もしも嫌われてしまったらどうしよう………

考えれば考えるほど不安になり、ミロの答えを聞くまではどうにも落ち着かなくて食事も喉を通らない。 心配した夫人の勧めで何とか半分ほどは食べたものの、あとは残さざるを得なかった。 失礼を詫びて早々に部屋に引取り、寝支度をして横になる。 一人でいるのが不安でたまらなくなり、ついには枕に顔を押し付けて泣いてしまうのだ。

   私はこんなに弱い………一人でいるのが恐い!
   ミロ………ミロ………早く来て!

そうしてどれほど時がたったろう。 六月のパリは八時になってもまだ明るくて、暗くなるのがこんなに待ち遠しいと思ったことはないのだ。 夜中近くなって扉が小さく三度叩かれた。泣きつかれて震えたままのカミュがベッドから出られないでいると静かにミロが入ってきた。
「カミュ…?」
いつもなら中からドアを開けてくれるカミュがベッドに入ったままでいることにミロが不審を覚えた。
「………どうした?」
ベッドに腰掛けてやさしく背中を撫ぜてやる。
「ミロ………ミ…ロ………」
緊張の糸が切れて一気に感情が高まったカミュが嗚咽する。
「大丈夫だよ、お前が好きだ。 安心して。」
抱き起こして濡れた頬に口付けた。 震える身体がいとおしくて切なくて、ミロはカミュをかきいだく。
「ミロは………ミロの目はあんなに青くてきれいなのに………私の……私の目は………」
あとはもう言葉にならなくて、ただ泣きぬれてしまうのだ。
「カミュ………大丈夫だよ、なにも心配することはない………お前のことが好きだ、忘れないで………とてもきれいな目だよ………おれの青といいペアじゃないか、どっちもとてもきれいだよ、安心して。」
六月というのに腕の中の身体はとても冷たくて、それがカミュの恐れと不安を如実に示す。

   俺が来るまでどれほど不安だったろう!
   ぜんぶを一人で抱え込んでしまって……かわいそうに………カミュ……………

結局、震えがおさまるまでに一時間ほどかかり、そのあいだずっとカミュを抱きしめていたが悪い気はしなかった。
言葉を尽くして慰めながら時々やさしいキスをして、いつかは連れてゆくつもりのトゥールーズ城や豊かな自然のことを話して聞かせると、少し微笑んでくれるのがなんともいえぬ可愛さなのだ。
「もう大丈夫かな?」
「ん………取り乱した……」
うつむいて小さな声で答えるカミュがやっと落ち着きを取り戻し、ミロも安堵の溜め息をつく。
「いいか、忘れないで。 俺はお前が好きだ。 好きでなくて、どうしてここに俺がいる?だから自分に自信をもって! 」
「すまなかった、ミロに心配をかけてしまって………」
「いいんだよ、今までが長すぎただけの話だ。 お前のせいじゃない。」
「ん……」
「で………抱いてもいいかな?」
「……え? でも、もう抱かれているのに?」
そう言ったカミュが少し首を傾げるのが、なんと魅力的なことだろう。
「いや、そうじゃなくてさ………もう一つの抱き方の話。」
「あ……」
真っ赤になったカミュをますますいとしいと思ったことだった。