その1  アイオリア、取り残される

11世紀後半、南仏トゥールーズはトゥールーズ伯ギョーム四世サガが治めていたが男子のいないままに病床に着き、ついにたった一人の娘を後継者に指名したのち亡くなった。 しかし半年の服喪期間が終る前にギョーム伯の弟カノンが簒奪者として城を攻め、城主を欠いた守備軍は三日の攻防の後ついに力尽きた。 死屍累々たる城内に入ったカノンは得意満面でさっそく二階の豪勢な寝室を我が物にすると戦闘の後始末は配下に任せその日から酒に女にと欲望のおもむくままに日を送り始めた。

「まったく自制心というものはないのか! 王位簒奪したうえに道徳心まで地に捨てたと見える!」
入城の翌日、日の暮れるまで城のあちこちの捜索に忙しく歩き回っていたミロが吐き捨てるように言う。昼過ぎまで女と過ごしていたカノンがさっそく酒宴を始め、追従する者たちとの乱痴気騒ぎがこの四階までかすかに聞こえてくるのが耳障りだ。
「ミロ様、お声が大きすぎます。 内緒ごとはもっと小さな声で。 壁に耳ありと言いますから。」
従っていたアイオリアが廊下の奥の一室の扉を開けた。
「ここはまだ調べておりません。 ご注意を。」
「まだ敵が隠れ潜んでいるかもしれん、油断するな。」
なにしろ広い城で、部屋数も多ければ思わぬところで隠し階段が見つかったりして迷路のように入り組んでいる区画に入り込むと地図が必要なのではと思うほどだ。 今朝からの捜索でも暗がりからいきなり切りかかられて返り討ちにしたことが五回ほどあった。 城からの出口はすべて固めてあるので逃げ場を失った敵は死に物狂いなのだ。
窓の小さいその部屋は夕暮れということもあって薄暗く、天蓋つきのベッドがあるほかは家具の形も定かではない。
「なにもありませんな。」
部屋の中央であたりを見まわしたアイオリアが剣を納めようとしたときだ。
「いや、待て! あれはなんだ?」
ミロが左手の壁に掛かっているタペストリーに近寄った。 床から拾い上げたものは金のイヤリングだ。
「良い品だ。 素晴らしいサファイヤがついている。」
「女が逃げるときに落としたのでしょう。」
「何かにぶつからなければ落とす筈はない。 そして拾い上げなかったところを見るとよっぽど急いでいたに違いない。」
ミロがアイオリアに、黙っていろ、というように合図した。剣の先でタペストリーをそろそろとめくる。

   あっ……!

隠されていたドアがちらりと見えた。 にやりとしたミロが小さなノブを回すとゆっくりと押し開けてゆく。 開ききったが中は真っ暗でなにも見えはしない。 ミロが警戒しながら半歩踏み込んだときいきなり暗闇から剣が突き出された。 鋭い刃音がしてミロがすんでのところで身をかわし幾度かの鋭い応酬のあと相手の胸を深々と刺した。
「一人だけのようだ。」
アイオリアが倒れた男の身体を部屋の方に引きずり出した。
「隠し部屋ですか?」
「いや、」
扉の向こうでじっと目を凝らしていたミロがささやいた。
「螺旋階段が続いている。 上ってみるから援護しろ。」
「松明を持って来ますか?」
「その必要はないだろう。 人の気配はない。」
そろそろと手探りで上ってゆくとやがてミロが上るのをやめたのでアイオリアはあやうくミロに衝突するところだった。
「ドアがある。 少し下がっていろ。」
「気をつけて。」
錠がかかっていたら体当たりするつもりだったが、少しの抵抗があっただけでドアが開くことがわかった。 

   誰かが隠れていれば錠を掛けない筈はない
   ………ここには誰もいないのか?

抜き身を構えながらミロがゆっくりとドアを押し開ける。 かすかな軋みを立てて開ききったドアの向こうの暗がりにミロは思わぬものを見た。
「……アイオリア、そこで待っていてくれ。」
「は……」
後ろ手にドアが閉められ、アイオリアは真っ暗な螺旋階段に一人で残された。