その2  アイオリア、悩む

ドアからもっとも遠い、といってもたかだか4メートルほどの距離なのだが、壁を背にして二人の女がいた。 一人は背後の女をかばうようにしてミロに短剣を向けているのが暗がりでもはっきりとわかる。 顔立ちや衣装はよく見えないが全体の雰囲気に品があり、高級侍女か、もしかしたら城主の一族の女性かもしれなかった。
「怖がらなくていい。 何もしない。」
そう言ってみたが警戒する様子には変わりがない。 この状況で、はい、そうですか、と信用するはずもなく、ちょっと考えたミロは手にしていた剣を鞘に納めると静かに床に置き、女たちの方に蹴りやった。 驚いた二人の女が顔を見合わせる。
「この通り剣は手放した。 いい加減、警戒するのはやめてくれないか。」
しばらくの沈黙のあと、手前の女が初めて口を開いた。
「まだ短剣が残っているわ。」
「ああ、なるほど。 チェックが厳しいな、そら!」
ベルトに差していた短剣もあっさり蹴り飛ばしてきたミロの行動に少しは自信を得たのだろうか、そろそろと手を伸ばして長剣をつかんだ女は持っていた短剣を後ろの女に渡すと自分はミロの剣を抜いて身構えた。とはいうものの、日頃剣など持ったことのない細腕ではミロの目から見て隙だらけであっというまに叩き落せそうなのだ。
「おいおい、いったいどうする気だ? 俺を殺す気か? せっかくだが、いくら丸腰でもろくに剣を持ったことのない女に切り殺されるほど間抜けではないし、百歩譲ってそっちが俺をめでたく倒したとしても、階段の向こうで待っているやつが物音を聞きつけて入ってきて俺が死体になって転がっているのを見たらさすがにただではおかないだろう。 まさか女を殺すようなことはしないと思うが、成り行きによってはわからんぞ。 とっくに死んでいる俺には止めようがない。 まず殺さないだろうが、捕えて引っ立てていくだろう。 ここは剣を引いたほうが得策だと思うが?」
もとよりここで女をどうこうする気はないのだ。 そういう品性下劣な行為はミロのもっとも嫌うことで、昨夜来のカノンの不愉快な振る舞いを思い出しただけでも虫酸が走る。 逃げ遅れた城の女たちを手当たり次第に寝室に引き込んだカノンのことだ、この女たちが見つかったら新たな餌食になるに違いなかった。
「マリン、この方の言うとおりよ。 剣を収めなさい。」
後ろの女の声がした。 少し震えてはいるが涼やかなやさしい響きで、ミロは気を惹かれざるを得ない。
「話がわかってもらえてありがたい。 俺は敵兵を探していただけで、逃げ遅れた女を殺す気もなければ、つかまえてカノンに進呈するのもまっぴらだ。 」
「…えっ」
二人の女が息を飲んだ。
「嫌な話を聞かせるようだが、カノンのやつは好き放題に振る舞って見つけた女を酷い目に遭わせている。 お前たちを捕まえればその片棒を担いだも同然で寝覚めが悪い。 といってここから逃がすことも不可能だ。 まだ城のいたるところに兵がいて、残党がいないか鵜の目鷹の目で探している最中だからな。」
沈黙が下りた。 戦闘とそのあとの城内の様子から察してはいたのだろうが、突然入ってきた敵方であるミロの口から聞かされると蒼ざめるのは無理もない。
「あなたは……わたくしたちをどうするおつもりですか?」
後ろの女が聞いてきた。
「どうするもこうするも………つかまえたくはないし、といって逃がすこともできないんだから目をつぶってるしかあるまい。 そっちはどうして欲しい?」
「どうしてって………」
マリンと呼ばれていた女が絶句した。 男が入ってきたのを見て、今はこれまで、と殺される運命を覚悟していたのにどうやらそれはまぬがれたようなのだ。 口には出していなかったが殺されるよりも悲惨な運命をもひそかに怖れていただけにミロの申し出には戸惑った。
「この方の情けにおすがりしましょう。 見も知らぬ貴方様、どうかわたくしたちをお助けください。」
引き止めようとするマリンの手を意に介さず、後ろにいた女が窓からのわずかな光の中に歩み出してきた。 淡いターコイズブルーのドレスの裾を引いた若い女の顔立ちが臈たけて美しく、そこまでとは思わなかったミロを驚嘆させる。
「貴方様は死をも覚悟していたわたくしたちに射した最後の光です。 運命を貴方様の手に委ねます。」
そう言って軽く頭を下げた女のきれいな耳にミロの目が引き付けられた。
「どうやら貴女の忘れ物のようだ。 運命のことはわからないが、神は一足先にこれを俺の手の中に委ねられたらしい。」
ミロがポケットから金色のイヤリングを取り出した。
「まあ、それは……!」
「俺はミロ・スコルピーシュ・ド・トゥールーズ、名の通り、この土地の生まれだ。 」
ミロの金髪に月の光が射して輝いた。 名乗られた女が頬を染める。
「わたくしは……」
「姫様! お名乗りになってはなりません!」
「姫だと?」
驚いたミロがマリンを鋭く見た。
「あ、あの………」
「隠しても自ら知れましたね。 いいのです、マリン、この方にはすべてをお話いたしましょう。 わたくしはカミーユ・ヴァリエール・ド・トゥールーズ、トゥールーズ伯ギョーム四世の後継者です。」
すっと差し出された指先に思わず口付けながらミロはこれから先のことに思いを馳せ、カミーユ姫は手の中に押し込まれてきたイヤリングの暖かさに心を動かされ、マリンはそれ以上姫様に近付いたらただではおかぬと睨みつけ、暗闇の螺旋階段で気を揉んでいるアイオリアは今すぐ扉をぶち破ったものか、それともかすかに聞こえてくる話し声に耳を塞いでもうしばらく待つべきか思い悩んでいた。