その3  ミロ、頬を染める

「どうなさるのです? ミロ様。」
「できることなら城の外に逃がしてやりたいが、今のところは不可能だ。 あの場所が他の者に見つからないことを神に祈るしかできん。」
翌日の昼、城の周辺の見回りをしながらミロとアイオリアが話し合っている。
「まさか、トゥールーズの後継者を捕まえました、と手柄顔してカノンの前に突き出して恩賞を貰って犬のようにしっぽを振るわけにはいくまい。 そんなことをしたらそれこそ魂が腐る。 この戦を仕掛けるときからカノンはあわよくば姫を捕えて結婚を承諾させ、自分が正当なトゥールーズの後継者であることを証明しようと企んでいたのだからな。 いざ城に入ってしまえば実質上の支配者になったわけだが、このうえ姫が見つかれば濡れ手に粟だ。 強引に結婚に持ち込むのは知れたこと。 カノンの思う壺にはさせん。」
「あの姫が結婚など承諾するでしょうか?」
昨日、あれから部屋に呼び入れられて姫とその侍女マリンに引きあわされ、思わぬ成り行きに仰天したことはアイオリアの記憶に新しい。 よりによってカノンがもっとも手に入れたがっている美しい戦利品が目の前に立っていたのだからこれが驚かないでいられようか。 そのときの印象ではカミーユ姫は美しいだけでなく怜悧でしっかりした判断力を持つ女性とみえた。
「むろん、我が城を占領し横暴の限りを尽くしているカノンなどに隷属したくはなかろうが、カノンのやつが、言うことを聞かなければ領民百人を殺す、とでも言ってみろ。 姫には結婚を承諾するしか道はあるまい。 俺の知っているカノンは平気でそんなことをやる男だ。 ひょっとしたら、姫の前に死体を積み上げて脅すこともやりかねん。」
二人が馬で通ってゆく道筋では各地から召集されてきたカノンの手勢が戦闘の後片付けに忙しい。 城の内外から運ばれてきた遺骸を積み上げて焼く煙が厭わしかった。 高く立ち昇るそれを搭の小窓から望見したに違いない姫の絶望が思われる。
「助けるといっても、私たちもいつもそばについているというわけにもいかず、いったいどうすれば?」
「とりあえず水と食料を届けよう。 あの部屋に逃げ込んだときに持ち込んだ分はもうじき尽きる。 昼間はいつ誰に見つかるかわからんから、俺たちが動けるのはみんなが寝静まった夜中だな。 昼間にあの扉が見つからないことを神に祈るしかあるまい。」
消極的な守り方だが、ほかにはどうしようもないのだ。 連れ出すことはできず、かといってカノンの部下という立場上、ずっと姫のそばにいることもできないミロとしてはできることは限られている。 もっとも今朝のうちに、自分の寝ぐらと決めていた三階の部屋から例の螺旋階段のある四階の部屋にわずかな私物を移してきてあるので、少しは姫を守ることにもなるというものだ。 それにカノンの寝室から聞こえてくる悲鳴やらなにやらが三階にもかすかに響いてきて眠りを妨げられていたミロにとっては四階の方が都合もよかった。
「四階なんて地面から遠い部屋を選ぶやつは滅多にいないからな。 とりあえずは安心だ。 しかし、水と食料だけではいろいろと不便なのではないか? 手回り品にはいったい何が必要か、俺には想像もつかん。」
「さて………? 女のことですから化粧道具とか衣装でしょうか?」
知らない者同士で話し合っていてもわかるはずもない。
「そろそろ秋も深くなってくる。 寝具をどこかから調達して持っていってやったほうがいいだろう。 見たところクッションが二つ三つしかなかったようだ。」
「それなら空いている部屋からいくらでも集めてこれるでしょうな。」
トゥールーズの城は五階まであり数え切れないほどたくさんの部屋が続いている。 そんな部屋に寝泊りしているのはミロたち数十人の貴族出身の者だけで、兵の大多数を占める雑兵や急遽借り集められた農民上がりの臨時兵は城の周囲に陣を張り野営しているのだ。 ミロの連れてきた子飼いの兵たちが忙しく立ち働いているのが木立ちの向こうに見えた。
「当座はしのげるとしていつまでもこのままというわけにはいかん。 城の守りが手薄になったときを見計らって姫を脱出させるしかあるまいな。」
「それまでに見つからないことを祈るしかありませんな。」
「うむ。 たとえば一ヶ月経って運悪く見つかったとしよう。 すると、今までどうやって水や食料を手に入れていたのかと怪しまれ必ず詰問される。 むろん、姫もマリンも俺たちのことは一言も言うまいが、あのカノンがそれで済ませるはずはない。」
「………つまり、姫かマリンを拷問するとでも?」
「考えたくはないが、つまりはそういうことだ。 それを避けるためには、姫たちが捕まったときに俺たちも同時に名乗り出てカノンをあざけったあとで見せしめのために殺されると言うことになる。 仮にその場でカノンを倒したとしても取り巻きのやつらによってたかって串刺しにされるだろうな。 昨夜姫たちを見つけて助けると決めた時点で、俺たちは首根っこまで面倒に浸かっているということだ。」
眉根を寄せたミロの言葉にアイオリアも嘆息せざるを得ない。 といってあの二人をカノンの前に差し出すなどできるはずもない。 孤立無援の姫を待つ恐ろしい運命が若い二人の心を奮い立たせていた。
「脱出の機会はあるでしょうか?」
「カノンは酒色に溺れていても警備には手を抜かん。 もう少し様子を見るしかあるまい。」
そんなことを話しながら城に戻り階上へと上るときにカノンの部屋に女が二人連れ込まれるのが見えてミロをドキッとさせたが、背格好が姫たちとは違う。 垣間見た女たちの哀れな運命が思いやられてミロとアイオリアの心を暗くした。
「けだものめ!たたっ切ってやりたい!」
湧き上がる怒りを抑えるのに苦労しながら部屋に戻り、暗くなるのを待って搭の部屋に行く。 誰に気付かれるかわからないので昼間は行かないと申し合わせてあり、こっそりと集めておいた食料や飲み物を携えての訪問だ。
二つノックをすることを3回繰り返すのが合図で、聞きつけたマリンがすぐに扉を開けてくれた。 この扉にはもともとかんぬきも錠もなくてまことに無用心なのだが、力任せに押し入る気になればそんなものはたいして役には立たないだろう。
「お約束のものを持ってきた。 それから寝具もだ。」
ミロに続いてかさばる荷物を抱えたアイオリアが入ってくる。
「ほんとになんとお礼を申しあげたらよいか。」
頬を染めた姫にとって命をつなぐ品々がたった一つあるテーブルの上に置かれた。
「礼を言われるほどのことではない。 城の中から集めてきたのだから本来はすべてあなたのものだ。 昨夜お話したとおり、この階段の下の部屋に寝起きすることにしたので、昼間は留守にしているが夜だけはお守りすることができよう。 」
「ほんとうにありがとうございます、どうかお二方の上に神のご加護がありますように。」
敬虔なキリスト教徒の姫とマリンが十字を切り、ミロたちもそれに倣う。
「ご婦人の必要なものがよくわからないのでとりあえずはこれだけだが、なにかほかに欲しいものがあれば言ってもらえれば調達しよう。」
「ほんとにご親切に。 このご恩はけっして忘れませんわ。」
「ではこれで。 また明晩来よう。」
「もうお帰りですの? マリン、お見送りを。」
「はい、カミーユ様。」
塔の上のささやかな小部屋と言えども今はこれが姫の住まいであり礼儀は欠かさない。
アイオリアを先にやり螺旋階段の暗がりの中を手探りで下り始めたミロにマリンがそっとささやいてきた。
「あの………ミロ様がおいでになるまではカミーユ様はずっとお泣きでいらしたのでおいたわしくてならなかったのですが、今日は朝からミロ様のお噂をなさっていらしてずいぶんとお気持ちが和まれたように思います。 できましたら明日は少しお残りになってカミーユ様とお話をしていただけませんでしょうか。」
「ほぅ、それは………では明日はそのように。」
「ありがとうございます。あの、わたくしがこのようなお願いをしたことはどうぞご内聞に。」
「心得た。」
ほっとしたらしいマリンが部屋に戻って行った。 窓から射すわずかな月明かりだけで過ごす夜はどんなに寂しいことだろう。

   なにか楽しい話をしてやろう!
   せめて少しの間でも気晴らしになるような楽しいことを!

あれこれと考えながらミロもベッドに横になる。 今ごろはマリンが床に寝具を敷きのべて姫を寝かせているのかも知れぬと思うと、男の自分が天蓋つきのベッドでぬくぬくとしているのが申し訳ないような気がしてくるのだ。

   この隣りに姫を寝かせたらどんなに喜ぶことだろう
   ………って、おい、待てっ、それではまるで……!

闇の中でミロの頬が染まった。