その9  ミロとアイオリア、妻を紹介する

南仏の明るい日差しも夕暮れ時ともなればあたりを透き通ったような黄金色に染める。 トゥールーズとは趣の違う景色に馬上の姫とマリンは目を見張るのだ。とりわけ、戦乱のただ中にいた身には目に入るもの全てが美しい。 丘陵沿いの道を馬で行きながらミロが指を指す。
「あの丘もこの河もここから見える土地はすべて父の所領だ。」
「ミロ様のご一族はずっと以前からこの土地に?」
「十五代前までの記録は残っているが、それ以前はわからん。」
とはいえ、ミロもトゥールーズを名乗るからには遠い昔にトゥールーズ直系の姫の血筋から分かれた家柄に違いない。 ミロの父、スコルピーシュ侯はこのあたり一帯を支配する豪族で、その領地は広く、豊かな実りが約束された田園地帯がどこまでも続いていた。
周囲に堀をめぐらしたミロの父の居館は、城というには小さいが、屋敷と呼ぶには規模が大き過ぎるという豪壮なものだ。 堀にかかる橋を渡ってすぐの広い前庭にはよく手入れされた秋の花が色とりどりに咲き匂い、殺伐とした環境にいることを余儀無くされていた姫とマリンの目を和ませた。 両翼の搭には蔦が這い登り、秋を迎えて赤や橙の紅葉が美しい。
「まあ!なんてきれいなこと!」
「トゥールーズと同じ花もたくさんありますわ!」
ミロとアイオリアが馬を並べているので女同士の話も弾む。 三十数騎もの馬が入ってゆくとその馬蹄の響きはかなりのもので、聞き付けた使用人たちが建物からわらわらと出てきた。 一同が整列したところでミロが訓示する。
「皆もよく頑張ってくれた! おかげで一名も欠けることなく故郷の土を踏むことができたのは実に欣快である。 明日は一日ゆっくりと休んで、明後日の午後に集まって欲しい。」
「若君、十字軍はどうなさるので?」
「それはこれから父上と相談してのことだ。 すぐに結論が出るとは限らんし、ほかに忙しい用事もある。」
アルデバランの問いに にやりと笑ったミロが馬上で姫を抱き寄せたので兵たちの間にやんやの喝采が起こり、姫の白い頬を染めさせる。 むろん陰になっていたアイオリアもそれに負けずに手の中の思い人を抱擁したのが姿勢を正しているシュラの目にちらっと見えた。
「ではここで解散する。 各自、 好みの酒を酒蔵から持っていけ!」
どっと歓声が上がり、三十数騎の馬蹄の響きが遠ざかると、今度は使用人たちが寄ってきた。
「ミロ様、ご無事のお帰りで!」
「若君のご帰還、祝着至極に存じます!」
「うむ、今戻った。」
さっそく手綱を取った馬丁に馬を任せて先に降りたミロがやさしく姫を抱き下ろす。 その頃にはミロの両親も出てきていて、戦地に赴いていた跡取り息子の無事な姿に顔をほころばせて抱擁をした。
「父上、母上、ただ今戻りました。 それから突然ですが、」
ミロが恥じらう姫を引き寄せた。
「トゥールーズで妻となるべき人を見つけました。 結婚したいと思います。」
一同があっと驚く中で兵服姿の姫が初めて兜を取った。 無造作に切り取られた髪こそ整わないが天性の美貌が現れる。 じつにこのとき初めてミロは日の光の中で姫の顔を見たのである。 青い瞳、ばら色の頬、美しく弧を描く眉、聡明な額、紅く艶やかな唇。 ミロがひそかに思い描いていたよりもはるかに美しく聡明な面差しが一同を魅了する。
「戦乱のなかでミロ様に命を救っていただきました。 わたくしはカミーユ・ヴァリエール……」
「おっと、待った! その先はあとで。」
軽く制したミロが目くばせをする。 今ここで素性を明かせばその噂が必ずカノンの耳に届き、面倒なことになるのは知れているのだ。 ミロに続き、アイオリアがマリンを紹介したので、重なる縁組に屋敷は興奮の渦に包まれた。

「どういうことか話してもらおうか。」
ひとしきりの興奮が収まり、姫とマリンは心きいた侍女に連れられて沐浴やら化粧やらに行っている。 ミロから姫の素性を耳打ちされた母親も姫の身分にふさわしい部屋の用意やサイズの合うドレスを調達するのに大忙しですぐにどこかへ行ってしまった。
そうして人払いをしたのちに図書室で語られた話はミロの父親を驚倒させた。
「なに! あれがトゥールーズの姫だと?!」
「残党の捜索中に搭の部屋に隠れているのを見つけて結婚の約束をしました。 アイオリアと結婚するマリンは姫の侍女です。」
「すると、カノンとは完全に対立することになる。 十字軍の話はここにも届いているが、去就を決めるのはお前が帰ってきてからだと思っていた。 しかし、そういうことなら答えは簡単だ!」
「では、」
父子の心は決まった。 正当なトゥールーズの後継者を擁してかの地を奪回し、領地をその手に戻すのだ。
「カノンの旗下に入ることを好まぬ者は数多い。 お前が姫と結婚してトゥールーズの後継者になれば、彼らを糾合してカノンに対抗する一大勢力となるだろう。 十字軍の遠征にはかなりの年数がかかる。 カノンの帰還までにはこちらも陣容を整えられるだろうが、すべてはカノンの軍がマルセイユから旅立ったのを確認してからだ。」
「それまでは姫の素性は明らかにせぬほうが良いでしょう。」
「むろん極秘にせねばならん。 しかし、」
「え?」
ミロの父が楽しげに笑う。
「実質的な結婚はしても良いぞ。 正式の披露をあとにすればよいだけの話だ。 だいたい同じ屋敷にいて我慢できるお前ではあるまい? どうだ?」
「は………」
「不自由な思いを耐え忍んできた姫だ。 せいぜいやさしくしてやるがよかろう。 孫の顔も早く見せよ。」
「はい!」
こうしてミロは妻を得たのである。 もちろん、アイオリアも満足すべき夜を迎えたのは言うまでもなかった。