副読本その19  「お気に入り」


日暮れ時、ミロが宝瓶宮を訪ねると、カミュが出かける支度をしていた。
「 こちらから呼んでおいてすまぬが、ちょっと思いついたことがあるのでシベリアに行かねばならぬ。 じきに戻れるだろうから、待っていてくれるか?一緒に読んでから夕食というのもよかろう。」
  
   いいとも、お前が待てというなら、俺は有明の月でも待ってみせよう。
   いや、それはやっぱり不本意だな、山鳥の尾みたいな夜はごめんだぜ。

などとけしからぬことを考えながら、ミロが二つ返事でオーケーすると、
「 退屈だろうから、私のパソコンでも使うか?何を見てもかまわぬぞ。」
そう言い残してカミュは出て行った。

最初は書棚から読みやすそうな本を探してページをめくっていたミロだが、慣れないことはするものではないようで、気のせいか頭が痛くなってきたようだ。

   せっかくああ言ってくれたことだし、パソコンでも開いて見るか。
   同じウィンドウズだから扱いは慣れているしな。
   ふむ、 『 お気に入り 』 か………カミュは何を登録してるんだ?
   ………見ちゃ悪いかな?

自分の 『 お気に入り登録 』 の数々を思い浮かべたミロは、少々考えたが、結局、開いてみることにした。 カミュから許されているのだし、俺達の仲でなんの秘密もあるはずはない、いや、あってはならないという理屈である。
そのくせ、自分のパソコンをカミュに自由に使わせられるかというと、これはまた別問題ではあったが、そこのところには触れないミロである。

   まず、えーと、これは何だ?
   雪氷防災研究所か、うむ、いかにもカミュらしいな、専門的だ。
   ここに行けば、
   ダイヤモンドダストやオーロラエクスキューションから身を守る方法がわかるなんてことはまさかないだろうな?
   敵に知られたら一大事だが。
   まあ、黄金聖闘士の技がそんなに簡単に解析できるはずはないか。

   ここは……極低温量子科学研究センター、学術的だ!
   カミュの絶対零度の裏付けになっているに違いない、さすがだ!
   俺はスカーレットニードルの学術的裏付けなんか、考えたこともないな。

   国立極地研究所南極観測HP、これは日本の南極観測基地のサイトか。
   氷河の関係かもしれん、トップページがペンギンの写真というのはなじみやすくてよかろう。

   電離圏世界資料センター、ともかく固いな………。
   なんのことかあまりよくわからん。
   あ、オーロラのことらしいな、なるほど。

   SCAR?…なんだ、これは………?あ、南極研究科学委員会か。
   ほう!執筆者名らしいところにカミュの名前が!
   論文が載っているようだが、英語のサイトなのでさっぱり分からんな。
   仮にギリシャ語で書いてあっても俺にはおそらく理解不能だろうが。
   それにしても、こういうところで見るカミュの名前は、まさに干天の慈雨、砂漠のオアシスといえる!
   さすがは水と氷の魔術師といわれるだけのことはあるな。
   無味乾燥な画面に一気にうるおいと優雅な情緒が広がるところなどは、俺だけが味わうことのできる醍醐味だ!
   ‥‥‥カミュの味か‥‥‥‥まあ、それはいい。

   思った以上に少なかったな、他にはないのか?
   待てよ?
   ということはカミュは、いわゆる 「小説」 を読んだことがないってことか???
   履歴を消してるってことは………ないな。
   ふうむ………

ミロはあらためて書斎を見回した。
書棚という書棚はいかにもカミュの蔵書にふさわしい学術書や古書などで埋まっており、大衆小説どころか純文学もありそうにない。 かろうじてギリシャ神話全集はあるが、いくら奔放な話が多いからといって、神話は神話、臨場感や細密な描写には欠けている。
今にしてミロは、老師やサガ、シャカやアイオリア達にこの物語を読まれていても、カミュがいささかも動じていない理由が分かったような気がした。

   俺と違って器が大きいと思っていたが、人間ができている、というのとは、また違うんじゃないのか?
   今のところはまだいいが、いったいこれからどうなるんだ?
   俺にはとても教えられん。

違う意味で動悸が高まるミロであった。



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