副読本その22  「霧の中」


「雪の結晶か! あれはまったく綺麗だな、自然界の奇跡だよ! 初めてお前に見せてもらったとき、夢かと思ったぜ。」
カミュにティーカップを渡しながらミロが云う。
今日は久々にカミュの方が天蠍宮に来ている。 いつもいつも宝瓶宮なので、たまには天蠍宮で、とミロが呼んだのである。
「うむ、あれはもう十年位前になるか? 都合よく外にいたときに雪が降ってきたので、お前に見せたくなったのだ。」
紅茶の香りに少し微笑みながら、カミュが懐かしそうな表情を浮かべた。



聖域では、雪が降ることは極めて稀である。 そもそも上空の気温がそれほど低くないので、降ったとしても結晶は元の形を保ったままでは地上に落ちてこない。 そのころのカミュにしてみれば、雪の結晶が半ば融けた形で落ちてくることのほうが驚きだったのである。
ちょうど訓練の終わったあとに落ちてきた雪は、ミロを始めとしてその場にいたものを喜ばせ、その高揚した気分を感じたカミュが、ふっと遊び心を起こしたのも無理からぬものがあった。

  結晶の本当の形はもっと美しい。
  ミロにも、他のみんなにも見せてやろう・・・・・

皆が喜びの声を上げて空を見上げるその横で、目立たぬように小宇宙を抑えながら、カミュはそっと上空の大気に向けて冷気を放った。 慎重に様子をみながら徐々にそれを凍気のレベルにまで上げていくと、やがて地上に美しい六角の形が降ってくる。 カミュにしてみれば懐かしい結晶を、しかし、他の者はそれと気付かずはしゃいで駆け回ったりしているのが残念でならず、そっとミロを手招きして、手のひらに乗せたそれを見せてみた。
「ん? 雪がどうしたんだ? あれっ?! うわっ、これなに???」
ミロの喜ぶ様子が嬉しくて、頬を赤らめているカミュに、
「もしかして、これ、カミュがやったの?すごい、すごいっ!!!」
カミュの空いているほうの手を握って、ぶんぶんとすごい勢いで握手をしたミロは、他の者にも知らせて歩いている。 すると、一斉に上がった歓声に気付いたサガとアイオロスがこちらへやって来るのが見え、カミュをどきっとさせた。

  こんなことに小宇宙を使って、怒られてしまうかも・・・・・

聖域では、私用で小宇宙を使うことは禁じられている。 少し困った様子のカミュに気付いたのか、ミロがそばに駆け寄って来た。
「カミュ、この雪は?」
「違うんです!!雪が降ってきたから、カミュに、雪の結晶を見せてよって頼んだのは僕ですっ!!」
見上げるほどに背の高い年上のサガに訊ねられて、緊張したカミュが口を開くより早く答えたのはミロだった。
「僕が無理に頼んだから、カミュが断りきれずに冷気を・・・」
真っ赤になって早口に言うミロと、はらはらして口をはさもうとするカミュの表情に、年長の二人は事情を察したらしかった。
「アイオロス、雪の結晶の本来あるべき姿を知るのも、勉強の一環と言えるのではないか。」
「ああ、カミュがいなくては、とてもできないことだ。」
にっこり笑ってカミュの頭を撫ぜるアイオロスに、ミロもカミュもほっとしたらしい。 あたりはようやく白くなり始め、見慣れた聖域の景色を一変させようとしている。  
遠くからシュラとデスマスクが息を切らせてやって来た。
「カミュ! もっと降らせられる? 雪合戦っていうのができるくらいに!アフロが雪合戦したいんだって!!!」
困ったようにサガたちを見上げたカミュが、雪が目に入ったのだろう、さかんに目をしばたたいていると上から声が降ってきた。
「たまにはいいだろう。カミュ、できるかな?」
「はいっ!!」
顔を輝かせたカミュがミロたちに囲まれて走って行くのを、サガとアイオリアは微笑ましく見ていた。 世間の楽しみからは隔絶された世界で育つ彼らに、人並みの子供らしい楽しみを与えて、なんのいけないことがあろう。
広場の中央に立ったカミュが、今度は誰に遠慮することなく淡い金色の小宇宙を高めてゆく。 多くのものは攻撃的小宇宙しか持たぬので、冷気を操り地上に美をもたらすことのできるカミュに感嘆の声を上げるのだった。
やがて空の彼方まで届いたそれが華やかに緻密な結晶を創り出し、地上で見守る若い聖闘士たちへのメッセージとなるのだ。


「そうそう、それで俺たちは、生まれて初めての雪合戦ってやつをやったんだったな。 一番命中率の高かったのがアフロディーテ、あ
 いつだったが、考えてみれば投げるのはお手の物だし、修行地がグリーンランドとくれば、雪にも慣れていたはずだ。俺もさんざんぶ
 つけられたぜ。 俺たちも子供だったんだろうな、ギャアギャア騒ぎながらえらく興奮してた覚えがある。」
「聖域に雪が降るのは珍しい。そのときだけは許しをもらって積もらせたものだが、年に一度あったかどうか。」
「大人になってからは、お前、ちっともやらなくなったな。」
「・・・・・積もらせて雪合戦をしたいのか? ミロ。」
「いや、そうじゃないけど・・・・・・・昭王みたいに、おまえが雪を降らせるところを見たいと思ってさ。」
ミロが上目使いにカミュを見たとき、訪問者を知らせるチャイムが鳴った。

やってきたのは貴鬼を連れたムウである。
「ほう、貴鬼まで一緒とは珍しいな。」
「こんにちは! ミロ様、カミュ様!」
むろん顔なじみではあるが、貴鬼が他の宮に立ち入ることは滅多になく、少し緊張しているのが窺える。
「宝瓶宮が留守だったので、こちらに来てみたのです。 実は、貴鬼が招涼伝を読んで、たいそう羨ましがるのですよ。それで、カミュに
 頼みがあるのですが。」
え? といぶかしげな顔をしたカミュにムウが続ける。
「貴鬼は第一回目から自分が出てきたので、毎回とても楽しみにしているのですが、今回、カミュが雪を降らせたでしょう? ここにいる
 貴鬼もまだ雪を見たことがないので、興奮しまして・・・・・。」
赤い顔をして黙って聞いていた貴鬼は、面白そうな顔をしているミロに気付くと、ムウの後ろに隠れてしまい、それがまたミロの笑いを誘う。
「機会があったら、貴鬼に雪が降るのを見せてやりたいのですが、どんなものでしょう? カミュ。」
「それ自体はかまわぬが、もはや3月で、雪の結晶を見せられるほどに大気を冷やすことは、自然に対する影響もあり、あまり歓迎で
 きないのだが。」
「そう固いこと言うなよ。」
口をはさんだのは、そばで聞いていたミロである。
「ここが春でも、シベリアならいいだろう? これから皆で跳べばいいじゃないか、テレポートなら貴鬼もお手のものだ。あそこならお前
 も遠慮せずに、いくらでも凍気を放てるぜ。」
ミロの言葉に力を得た貴鬼の期待を込めた視線が、カミュを苦笑させた。
「燕での私も貴鬼に見せてやったのだ、私もそれに習うとしよう。 だがシベリアの寒さは聖域の比ではない。暖かい服を着てもらわね
 ば困ることになるが用意できようか?」
「私はこれからアテナに面会する予定があるので行けませんが、さて・・・・貴鬼の防寒衣となると・・・・・」
当惑した様子のムウを見て助け舟を出したのは、またしてもミロである。
「氷河たちが小さいころに着ていた服がどこかにしまってあるんじゃないのか? あれを着せればどうだ?」
「なるほど、あれならサイズもちょうどよかろう。」
貴鬼の顔が輝いた。 昭王がミロに擬されていることは、ミロとカミュ以外は知らぬことなのだが、どうやら貴鬼の目には、その都度、有り難い助言をしてくれるミロが昭王並みに偉く見えてきたようである。 ミロには、その視線がどうにもくすぐったい。
「助かります、カミュ。貴鬼もお礼を言いなさい。」
ムウの言葉が終わらぬうちに嬉々として二人に礼を言う貴鬼は、衣裳さえ替えれば、燕にいる貴鬼を彷彿とさせるものがあり、微笑ましいものがある。

   なるほど、歴史は繰り返すというのはこういうことか!
   これでカミュがシベリアで雪を降らせてやったら、貴鬼にはカミュが本気で燕のカミュに見えてくるんじゃないのか?
   昭王が実は俺だと知ったら、どれほど驚くことか。

この展開に笑みを抑え切れぬミロである。


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