「 カミュ………昭王はもう、お前とのチャンスはないんだろうか?」
いい匂いのする髪に顔を寄せながらミロが悔しそうに言う。
「 まだ、最後の晩が残ってるとは思う。 しかし………今までの例から見て、昭王が寝所を抜け出す、あるいはお前が紅綾殿に忍び込むとはとても思えない。そもそもそんなことをする性格とは思えんし………もう無理なのか?」
カミュは返事をためらった。 その数瞬の間も、ミロの手はカミュをいつくしむことをやめない。
「 私は………ミロ……その……論理的に言って……あ……無理だと思う……」
カミュを抱く手が強さを増した。
「 俺は……いやだ………そんなことは認めない………カミュ………何とかできないのか?」
「 そんなことを言われても……天変地異でも起こらぬ限りは、天勝宮の秩序は変わらぬし、もし、天変地異が起きれば昭王の回りにはますます人が駆けつけてきて逢瀬どころではなくなるだろう。」
「 すると、翌日の涙の別れで終わるのか?むろん、二人とも涙を見せるとは思えんが………」
形のよい顎を指でなぞりながら、ミロが優しく口付ける。 昭王ができなかったかと思うと、、知らず知らず思いもこもろうというものである。
「 俺は昭王の逢瀬を夢で終わらせたくない……」
ミロの指が首筋から肩へと伝いおり、カミュが身を震わせた
「 でも……ミロ………希望は持ったほうがよい………夢とは決して不可能なことではない……信じて貫けばきっと現実のものになるというぞ……」
ミロがふっと笑った。
そういえばそんなことを以前氷河から聞いたことがある そして、それは確かに現実のものになったのだ
もしかしたら氷河にこの言葉を教え込んだのはカミュではないのか?
昭王の夢も現実になってくれるだろうか?
「 わかった………俺も信じることにしよう………カミュ……俺のカミュ……」
ミロの声が、低くかすれていった。
「 ………なあ、あの時、ギリシャ通信社の特派員にどんなことをしゃべったんだ?」
「 だからもう言ったではないか、温泉のことだ。」
「 お前ね………そんなこと言ったら……自分の……そのぅ……裸を想像されるとか思わなかった?」
カミュがくすっと笑った。
「 ミロ………そんなことを考えていたのか。それで、あんなに小宇宙のボルテージが高まっていたのだな。
心配するな、それは有り得ない。」
「 どうしてそんなことがわかる?」
赤くなったミロが不審の目を向けた。
「 私は自分が温泉に入った話などしてはいない。話したのは、日本人の温泉好きについてだ。」
「 え?」
「 日本人は温泉紹介のテレビ番組を作り、毎週のように有名人の夫婦や親子が全国各地の温泉に入るのを好んで見ている。
入浴シーンを平気で撮影させ、また日本人はそれを嬉々として鑑賞している世界でも稀な民族だ。
そこのところをギリシャで紹介すれば注目されるだろうと助言したのだ。 ついでに、普通の日本人に温泉の魅力について語らせるとよいだろう、とも言った。
お前が心配するようなことは何もない。」
「 カミュ…………」
ミロが安堵の溜息をつく。
しなくてもいい心配をしてたってわけか………ほっとしたぜ
現実のカミュは俺のものだし、誰にも想像すらさせてなるものか……
「もしかして………ミロ……嫉妬したのか?」
「……え?……いや、俺は別にそんなことは………」
真っ赤になって口ごもったミロに、カミュが笑いかける。
「一度………されてみたかった……」
「え?……なにを?」
「お前に嫉妬されてみたいと思っていた……聖域ではそんなことがあるはずもないが、外の世界では有り得るのだな。」
「で………嫉妬されてどんな気持ち?」
「私は……こんなに……こんなにお前を愛している……それがよくわかった。」
「あ………カミュ……カミュ……」
「 ミロ……きっと昭王もうまくいく………私はそう信じている……」
カミュの手が優しくミロを引き寄せる。
「 今夜は……ミロ………お前に溺れてもよいか?」
ひそやかに告げられたミロが目をみはり、それから満面に笑みをたたえる。
カミュから………俺に?
昭王のための前夜祭になるといいんだが………
「 いいぜ………ただし、深みにはまって息ができなくなっても俺は知らんぞ……そういうからには俺は容赦はしない……」
「 そのときには合図をするから、少し息をつかせてもらおうか。」
「 よかろう……そのくらいは許してやるさ」
昭王にもこんな夜が来ることを願いながら、ミロはカミュを抱きしめていった。
→ 副読本 27