副読本 その27  「 嫉妬 2 」


いつも通りに牧場差し回しの車に乗って宿を出ようとしたとき、事務室から出てきた宿の主人がカミュを呼び止めた。
例のごとく英語の会話が続いている間、俺は退屈しのぎに宿の主人を観察することにした。そうでもしなければ、間が持たんからな。

主人は30過ぎといったところで、背丈は俺とたいして変わらんくらいだから、日本人にしては大男の部類に入るのだろう。
ただし、体型はがっちりとしていて、そこが俺とは大いに違うところだ。
自分で言うのもなんだが、俺の体型はいわゆる 「黄金比」、1:1.618に当てはまる完璧なバランスを誇っている。
なぜそれがわかったかというと、先夜、とある状況においてカミュが頬を染めながら俺に耳打ちしてくれたのだ。
理系のカミュが確信しているからには事実に違いない。 黄金聖闘士が黄金比を保っているというのは、実に論理的ではないか!
むろん、身長は俺とほぼ同じなのに体重は8kg軽いカミュは、身体バランスが黄金比に当てはまらないところもある。
カミュの場合は、なんといってもウエストが細すぎるのだ!
もちろんこれは俺にとっては非常に結構なことで、そっと抱きしめたときの感触は、まるで繊細なガラス細工に触れるような気が……そんなときのカミュは黄金聖闘士というよりも硝子聖闘士というような気がしないでもない。なにしろ、そっと扱わないとこわれそうなほどに、しなやかではかなげで……

宿の主人からカミュに目を移した俺が、あらぬことを考えていると、
「 待たせた。」
とカミュが振り向いたので、慌てて光速で表情を引き締めた。
「 今夜、洞爺湖で花火大会があり、その見物のため、この宿の泊り客専用の船を仕立てるので乗らないか、との誘いだ。」
「 花火大会?」
「 車で一時間ほどかかるのだそうだが、湖面に映る花火が美しいというぞ。どうする?」

   ………ふうん、夜の湖に浮べた船からカミュと二人で花火を見るってわけか!
   花火見物というからには、当然、船の灯りは消してあるだろう。
   花火があがっていない暗いときに素早くカミュにキスをして、
   驚いたカミュが頬を染めたところで花火があがり、恥らう顔を照らし出す!
      「 ミロ………そんなことを……」
      「 花火に照らされてるお前が魅力的すぎるんだよ……いやだった?」
      「 ……そんな……そんなことはないが……人が見ているかもしれぬ……」
      「 それじゃ、宿に帰ったら人が見てないところでゆっくりと………いい?」
      「 ミロ………」
   ふふふ………シナリオもできたことだし、参加しない手はあるまい ♪

「 そうだな、行ってもいいぜ、面白そうじゃないか!」
「 では、そのように伝えておこう。」
カミュが主人に承諾の意を伝えている間、俺は日本に来た幸せをかみしめていた。

予想とは違っていた。
いや、確かに花火は美しく華やかで、わざわざ見に来た甲斐があったというものだが、俺は、宿にはほかの客も泊まっていることをすっかり忘れていたのだ。
俺たちを乗せた船は湖上に出ると花火の上がる方向に船腹を向けた状態で停船した。
いきおい、船の片側に乗客が集まるので人目があることこの上ないではないか!
当然ほかの離れも満室だったので、船上には宿の主人のほかに十数人の客が溢れている。
先ほどまでの計画をいさぎよく放棄した俺は、おとなしくカミュと並んで花火を見ることにした。
人間、意識の切り替えが大事だからな、このあと宿に帰ればふっくらしたフトンが用意され、俺たちを今か今かと待っているのだ、焦ることはない。
それに、枕元に置かれているアンドンという灯りがほのかな光を放ち、これがまた風情があることこのうえないのだ。
白い紙を透かした柔らかい光がカミュを照らすところなどは、実にこう、なんともいえん!!
そのときには紐を引いてごく小さい灯りにするのだが、ほとんど何も見えないようでいて、目が慣れてくるとかなりはっきり物の形が見分けられるようになる。
なにが見えるかというと………そんなことはどうでもいいが、ともかく俺は日本の寝室が気に入っている。
カミュの美しい髪がタタミの上に広がったところなどは、心震えるからな。ベッドでは考えられんことだ。

「 Where are you from?」
突然の声にはっとして振り返ると、日本人の若い女性が二人、俺たちに話しかけているではないか。

   おいおい、またなのか? どうして日本人はカミュを英語の練習台に使おうなんて思いつくんだ?
   アメリカ人がそのへんに掃いて捨てるほど……あ、この船には外人は俺たちだけか………

そんなことを思っていると、カミュが慣れた様子で短く答えた。
「 We are from Greece .」
するとその途端に、彼女たちの顔が輝いた。
そして次に聞こえてきたのは、いささか覚束なくはあるものの、紛れもないギリシャ語だったではないか!
「 まあ、私たちは大学でギリシャ語の勉強をしています。少しお話してもいいですか?」
これにはまったく驚いた。 今夜、この船の上ではカミュとは、ラテン語でしゃべったほうがいいかもしれん。
しかし、俺に、花火の感想をラテン語で綴る能力があるだろうか?

それを聞いたカミュが 「たまにはミロに任せよう」 という顔で湖岸の明かりに目を向けたので、自然に俺が話をすることになった。
日本の感想やら、ギリシャの習慣やら、彼女たちの質問に答えたり、文法的な間違いについて教えてやったりすると、彼女たちは熱心にメモを取り始めた。
日本人はなんて真面目なんだっ!!
語学の練習のため、と言うのは嘘でもなんでもないようだ。
俺が初めての経験にちょっと気合を入れて友好親善に努めたので、どうも嬉しかったらしい。
「 日本でギリシャの方に会うことはとても珍しいです。あのう……一緒に写真を撮ってもらえますか?」

   え? 写真? なんでだ…………?

首を傾げたが、別に困ることもなかったのでOKすると、彼女たちは交代で俺の横に立ち、持っている携帯でほんとうに写真を撮った。
それが終わると、二人そろって丁寧にお辞儀をしてやはりギリシャ語で「ありがとうございました」というとにこにこしながら船首の方に歩いていった。
さて、そろそろ花火が始まる時刻だと思い、カミュの方を振り向くと………、

   ……おい、待てよ、カミュ! そういうのを 『冷たい一瞥をくれた』 って表現しやしないか?

どう見ても不機嫌そうなのは、どういうわけだ???
「 ずいぶん嬉しそうだったな、ミロ。」
「 嬉しそうって………日本に来てギリシャ語で話しかけられたのは初めてだったからな、俺も驚いたよ。」
「 最後のあれは何だ?!携帯のフラッシュが光ったように見えたが。」
「 写真に決まってるじゃないか、そんな回りくどい言い方をしなくてもいいと思うが。」

   ふうん………もしかしてカミュのやつ、嫉妬してるのか? これは面白い♪
   およそ聖域では考えられん状況だな。
   まあ、面白がってないで、こんな誤解はさっさと解くに限る

いつもの俺なら、カミュを抱きしめてキスに持ち込み一件落着となるのだが、船の上では人が多すぎてその手は使えない。
幸い彼女たちは離れたところの手すりに寄りかかって花火を待ち始めたようなので、俺はカミュには触れずに言葉だけで機嫌を直してもらうことにした。
「 カミュ………気にしてるのか?」
「 そんなわけではないが………」
「 じゃあ、なに……?」
「 私は………」
カミュがちょっと言いよどみ、暗い湖面に目をやった。
「 ……お前の写真など、持ったことがない……今まで考えたこともなかった…」
「 俺も写真を撮られたのは、パスポートの取得に続いて二度目だな。珍しい経験をしたものだ。」
「 ミロ……少し悔しい気がする」
「 カミュ、写真なんて一枚の紙切れにすぎん。大事なのは中身だぜ? 
 確かに、彼女たちは世界で一枚きりの俺の写真を持ってる。
 でも、生身の俺の、身体も心もすでにお前の物だ。 それじゃ不足か?」
耳元でささやいてやると、カミュがびくりと身体を震わせた。
「 ほんとはキスしたいが、人目がありすぎる……続きは帰ってからゆっくりと………それでいい?」
ちいさくあえいだカミュがかすかに頷いたとき、大音響と共に空に華やかな光が広がった。 花火の始まりだ。
湖上に設けられた打ち上げ台から続けざまに夜空に向かって光の筋が伸び、遥か上空で華麗な華が開くのは見事な眺めだった。
俺たちの船が一番近くに停泊していて、ほとんど頭上で花開く形になるので首が痛い。
それに音の方もすごかった。
胃の腑に響くようで、音だけならサガの放つギャラクシアン・エクスプロージョンと甲乙つけがたい迫力といえるだろう。
「 綺麗だ……」
上を見上げたままでカミュがつぶやいた。
「 ああ、見事だ!」
花火もきれいだが、お前の方がもっときれいだぜ、といってもよかったのだが、今のところはやめておくことにした。
キスができないのでは画竜点睛を欠くというものだ。

だいぶたったころだ、上空へあがるはずの花火が突然俺たちの船の方へ向かってくるのが見えた。
すざまじいスピードで近づく火の玉に何人かが悲鳴を上げた。
しかし、何事も起こらなかった。
いや、その言い方は間違いだったかもしれない。
それを認めた瞬間、カミュはわずかに手掌をかざし瞬時に巨大な火の玉を凍結させ、俺の方も拳圧で、既に無数に分かれ始めていた火の玉を吹き飛ばしていたのだから。
凍結した花火の玉はそのまま湖中に沈み、悲鳴を上げた人間には、なにが起こったか、まったくわからないのだった。
カミュも俺も眉一つ動かさずに事は終わった。
まあ、日本に来て、このくらいのことがなければ、身体がなまってしょうがないだろう。

最後は水上で半球状に花火を開かせて、湖面に映る花火がたいそう美しかった。
こんなやり方があろうとは思わなかったので、さすがにあっと声を上げたのだが、近くにいる日本人は皆当たり前のような顔をして見ている。
どうも俺たちとは、驚く情景が違っているようだった。

帰りのバスでは、俺たちは誰にも邪魔されないように一番後ろの席に座った。
別に示し合わせたわけではなかったが、カミュもそうしたかったらしい。
動き始めたバスの中でしばらくは花火のことなどを話していたのだが、そのうちに静かになったカミュが俺の肩に頭をもたせ掛けて寝息を立て始めた。

   これもはじめての経験だ!
   なんとまあ、可愛いじゃないか………

背もたれが高く、誰からも見えていないのを幸い、俺は艶やかな髪にそっと口付けていった。

宿に着くと、部屋に向かう俺たちに主人が声を掛けてきて、深くお辞儀をされたカミュが軽く頷き返した。
「 就寝の挨拶にしては、えらく丁寧だったな。」
ちょっと不思議に思った俺が首をかしげると、カミュが言った言葉が驚きだった。
「 主人に 『 先ほどはありがとうございました。おかげさまで何事もなく済みました 』 と言われた。」
「 なにっっ!!!!」
あっと驚いて振り返ると、主人がもう一度こちらに向かってお辞儀を返している。
「 俺たちの動きが見えたというのか? 信じられんっ!普通の人間に見えるわけはない!」
「 おそらくこの宿は、グラード財団と関係があると見える。半年先まで予約で埋まっているはずの離れを二週間も予約で きたのは、そのせいだとしか思えぬ。とすれば、主人は、我々の素性も知っているのであろう。
 ならば、目には見えなくとも、花火を寸前で止めたのが我々であることも容易に推測できるはずだ。
 それに身のこなしにも隙がない。おそらく、なにか武道をたしなんでいると思われる。」

   ふうん、人は見かけによらんものだな………
   まあ、そんなことはいい、このあと風呂に入ってから、カミュだ、カミュ♪♪

写真を撮られたことなどすっかり忘れているミロには、自分の写真が二人の日本女性の携帯待ち受け画面に使われていようとは予想もできないことであった。


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