「 カミュ……お前、今も昔も酒には弱いのな」
「 そういわれても………」
「 体質が受け継がれてるんだよ、たとえばほら、こんなところも……」
「 あ……………ミロ……そんな……」
「 きっと同じだと思うぜ ♪」
「 ミロ……ほんとに私は……あ………」
カミュの指先に思わず力が込められたが、ミロの肌を傷つけたことなど今までにあったためしがない。
どんなに我を忘れようと、相手を傷つけることなど有り得ない二人なのである。

「 俺さ………貴鬼がいなくなったら、すぐにお前を抱くかと思ってた。」
「 まさか! いくらなんでもそれは性急すぎるだろう?」
「 でも、たった一晩だけなんだぜ? 俺なんか毎晩でもまだ時間が足りない気がするが。」
ミロに耳朶をやさしく含まれたカミュが、小さくあえいだ。
「 それは………昭王は……お前とは違うから…………あ……ミロ……」
「 ふふふ……なんにしても、俺は嬉しくてしかたがないね♪ お前もそうだろう?」
「 また、そんなことを私に言わせようとするのか……」
「 うん、ちょっと無理なのはわかってる。だから、さっきは身体に訊いた。ちゃんと返事はもらったぜ。」
「 それなら……」
カミュがなにを思い出したものか、恥らって顔を伏せる。
「 …………もういいではないか」
「 でも、俺は何度でも聞きたいし、楽しみたいんだからしかたないじゃないか。今までどれだけ待ったと思う?」
半身起き上がったミロが、タタミの上の丸盆に手を伸ばした。
ほのかな灯りが金色の液体の入った瓶を浮かび上がらせている。
「 さっきから気になっていたが、それは?」
「 ほら、楊柳青で桂花陳酒っていうのを飲んでるだろ?
 もしかしてほんとにあるんじゃないかと思って宿の主人に聞いてみたら、そいつが今日届いたんだよ。
 苦労したぜ、お前の通訳がなかったんだからな。」
ミロが自慢げに瓶をかざしてみせる。
「 よく意味が通じたな!信じられぬ!」
「 ああ、当たって砕けろ、というからな。ここの主人は気がきいてるから、もしかしたら、と思ったんだよ。
 まず小説の 『 桂花陳酒 』 というギリシャ語を書き写し、その横にやはりギリシャ語で 『 中国の酒 』 と書いてみた。
 それだけじゃ足りん、と思って、それらしい酒の瓶の絵も描いてみたんだぜ。
 その紙を見せたら、なんと驚いたことに、主人がギリシャ語と日本語の辞書を持ってきたじゃないか。
 あれは、俺たちが泊まることになったので、念のために買い込んでおいたんじゃないのか?
 実際にはお前と英語で話していたから使わなかったが、今回は役に立ったというわけだ。」
「 さすがに用意周到なものだな。それで、すぐに酒の名前がわかったのか?」
「 いや、固有名詞の語彙が少なかったらしく首をかしげているので、
 確か、甘い香りって書いてあったな、と思い出して、それを書き加えてみた。それがよかったんだな。
 主人が愛想よくにっこり笑ってお辞儀をしたので、あとは任せることにした。
 で、届いたのがこれだ。 絶対に、とは言わんが、おそらくこの酒を昭王とお前が飲んだんだと思うぜ。」
「 ほう!たいしたものだ!」
カミュを感心させたのが嬉しくて、ミロが満面に笑みを浮べる。
瓶の封を切ってグラスに注いだミロが先に匂いをかいで頷いてから、カミュの鼻先にグラスを寄せた。
「 なるほど、確かに甘い香りだ。」
「 それで、前夜祭だから………いいだろ?♪」
ミロが一口含むと唇を寄せた。
それと心得たカミュが頬を赤らめながら飲み下した桂花陳酒が甘露となって身体に沁みてゆく。
「 俺にも………いい?」
横になって見上げるミロに、今度はカミュが恥らいながら一口含み、おずおずと唇を合わせていった。
やわらかい唇の間を音もなく流れ落ちる金色の露がミロの心を歓びで満たしてゆく。
「 俺たちの間に盃は要らないから………」
「 ミロ…………」
ほんのりと色づく頬をミロの肩に押し当てたカミュの溜め息が甘く香り、楊柳青で果たせなかった昭王の夢を我が物にする思いのミロである。

   もし、あの時、カミュを抱いていたら、口付けくらいは交わせたろうか?
   ………いや、あの段階では、昭王にはカミュの気持ちがつかめていない。
   それに、疲れ切っているカミュを気遣うあまり、無理を押し通すはずもないか。
   第一、昭王はこうしたことには手馴れていないはずだから、とてもそんな体勢には持ち込めないだろう
   やはり槐の香りに包まれた逢瀬が、昭王とカミュの運命だったのだろうな……………

「 カミュ、もう一つやってみたいことがあるんだが……聞いてくれる?」
「 ……なにをだ……?」
物憂げに答える声は、すでにいつもの声音とは異なり艶色(つやいろ)を帯びている。
こうなればしめたもので、多少の無理も通るのがいつものことなのだ。
「 これをつけてほしい。」
「え…? ………なに?」
いつの間に忍ばせておいたのだろう? ミロが枕元から深い緑色の硝子の小瓶を取り出した。
ミロの指が小さな蓋をはずすと甘い香りが広がり、カミュの目をみはらせる。
「 これは、あの………!」
「 ああ、そうだ、夕方見つけたあの花の香りだ。それに……」
「 さっきの酒の香りでもある。 ミロ、一体これをどこで?」

   おやおや……いつものカミュに戻りそうだな……
   まあいい………あとでなんとでもしてやるさ ♪

「 なんのことはない、この宿で買った。」
「 なに?!」
「 今日戻ってきたときに、ふと売店を見たらこの小さい瓶が並んでる。デザインから察するに、どうやら香水の瓶らしい。
 俺は香水には興味がないから目を離そうとした途端、ラベルにあのオレンジの花が描いてあるのに気がついた。」
「 ただそれだけで、お前がこの香水を買ったのか? 興味がないのに?」

   そんなに追求するなよ…………
   花の下でお前を抱きたいって思ったなんて、さすがの俺も言いづらいからな

「 ああ、初めて知った東洋の甘い香りの花だ。 ちょっとエキゾチックだろ? それで………」
「 それで?」
カミュがあっと思ったときには、もう体勢を入れ替えたミロに手もなく組み敷かれているではないか。
「 もう少し飲めよ、まだいけるだろう♪」
「 私はこれ以上は………」
しかし、その言葉はすぐに封じられ、やがて甘い吐息が耐えかねたように漏らされた。
「 夏の夜は短い。カミュ、話はあとだ。」
そう言ったミロの笑顔がカミュを魅了し、あらがう力を失わせる。
すでに半ばいうことをきかなくなった手足が重く感じられ、頬のほてりが理性を痺れさせた。
「 あ………」
ミロの手がやさしく、しかし的確に動き、耳朶の裏側に、手首の内側に、身体の柔らかい部分に香水がつけられてゆくのだ。
ひんやりとした刺激に身体を震わせるたびに、押し殺した甘い吐息がミロをひそかに喜ばせ高揚させてゆく。

「 カミュ………愛してる……もっと俺のものになって…………もっと甘えていいから………」
どこまでも甘い言葉が心を満たし、しなやかな身体にまとわりつくには、さして時間がかからなかった。
甘さを孕んだ夜の空気がカミュを包み陶酔させてゆくさまに、ミロは目をみはる。
紅潮した身体からこれほどに甘い香りが立ち昇るとは、ミロにも思いがけないことだった。
「 ……ミロ……………」

   ………もっと抱いて………もっと強く……………
   ……もっと甘い言葉で私を酔わせてほしい………

すがりつく指が言葉となり、しのびやかな仕草が想いを語る。
「 望みのままにしてやろう………甘美な海に溺れ込むがいい……………」
やさしい口付けが与えられ、身を震わせるカミュをひときわ濃い香りが包んでいった。


                             ⇒後朝(きぬぎぬ)