其の拾参  融和


「姫は……カミュは……その……結婚というものについて、どのようなことをご存知か?」
カミュをやわらかく抱きながら緊張で声がうわずるのを悔しいとは思うのだが、こんな事態を想定していなかった少将としては無理もない。
「……え? ……あの…いとしく思う殿御とともに暮らすのでしょう?」
少将にくつろげられた襟元から白い左肩が少し覗いているのを気にしながらカミュはそれでも答えてくれる。 苦笑いしつつそっと肩をかくしてやると、ほっとしたのか小さな溜め息が洩れた。
「それはそうだが、ただそれだけでは父母と暮らすのとなにも変わらぬでしょう? なにが違うとお思いか?」
「それは………おややができまする…」
「いかにも。」
少将は思わず力を入れて頷いてしまう。 ここまでくれば、と思いはするものの、次をいったいどうすれば良いものか。
「……カミュは、おややを見たことがお有りか?」
「はい、二の姫様付きの女房が、生んだおややをここまで見せに来てくれたことがあります。 それはもう、小さくて可愛くて!」
そのときのことを思い出したのか、姫君の声が弾み、肩から力が抜けたようである。 おそらく、この北向きの淋しい部屋には珍しく、心楽しいひとときだったのだろう。 少将はそっと部屋を見回さずにはいられない。
昨夜は几帳も煤けたようで張りがなく、若い姫君の住まいにありそうな美しい手回りのものなどついぞ見かけなかったものだ。 部屋の床も一段ばかり落ち窪んでいて、普通なら塗籠代わりに使われるようなところである。 そして姫君の衣装もとうに艶が失われて着晒したものらしく、そのあまりの気の毒さ哀れさに、いかに心はやる少将とはいえ、衣にはついに手をかけられなかったというのが真相だ。 肌を見られるのも衣を見られるのも、姫君にとってはどちらも同じくらいに困り果てることではなかったろうか。

「では、カミュは、おややが好き?」
「はい、紅葉のような手も、すべらかな頬も、可愛くてなりませぬ。」
無邪気といっていいほどにはきはきと答える姫君の頬が今までとは違った意味で紅くなり、その可愛らしさに少将は思わず唇を寄せずにはいられない。
「あっ…」
触れた頬のやわらかさが、あたたかさが嬉しくて、朝まで離すものかと思うのだ。 この美しい人をそばに置き、朝に夕に思うさまいつくしめたら、どんなによかろうか。
「ならば……私と結婚しておややをうんでくれる?」
「え?……はい……」
気がつけば、自分の子を抱くことを夢見ているのか、嬉しそうにして頬を染めながら答える姫君の手はいつのまにか少将のたもとをそっと握っているのだった。

   うむ、これは理想的な展開というものではあるまいか♪
   我ながらうまく言ったものだ!

とはいえ、肩をわずかに覗かせただけで固くなられては、やはりどうしようもない。 これほど無垢な姫君にいったいどうして無理強いなどできようか、いや、とてもできはしないのだ。

   念のため、一応訊いてみたほうがよいかも知れぬ……

「カミュは…その……結婚すると、どうしておややができるのか、ご存知か?」
ちょっと首をかしげて答えを考えているさまは絵物語の姫君にも似て、なんとも愛らしい。
「それは、自然に生まれるのです。毎年 橙の木に花が咲いて実がなるように、春になると雀の子が生まれるように、人も自然に子を生みまする。 わたくしはそのように思います。」
にこりと微笑んで答えられては少将の負けである。

   ………まあよい、それに倣ってこちらも自然に任せよう   時が来れば、なるようになるものだ
   競争相手の誰がいるわけでもなし、ゆっくりとカミュの心を解きほぐして……全てはそれからだ
   親しんでもらえば、おのずから道はひらけるに違いない!
   ……でも、少しだけ……♪

「子をなすためには親しくならねばなりません。 私はそなたが好きだから触れたくもなるが、それに慣れてもらえるかな?」
「……え? はい…」
素直な姫君はこくりと頷き、少将に抱き寄せられるままやさしい口付けを受けるのだ。 咲き初めた花のような紅い唇がおずおずと少将を迎え、やがて唇を離してやると、なにも知らぬとはいえ、それでも甘い喘ぎが洩れた。 初めて聞くそれに心をくすぐられ、もう一つ、もう一つと少将はやわらかく口付けてゆく。 上気した頬に、ほんのりと血の色をのぼせた首筋に、ちいさく喘ぐ喉元に唇を落としてゆけば、目元まで薄紅に染めて恥じらうさまがこれはまたなんとも初々しいではないか。
ひとしきりそんなふうに愛したあとで、濃い桜色の耳朶に口寄せて秘めやかに囁いてみる。
「互いに好き合うとこうしたくなるものだし、ほかにもいろいろと……」
言葉を濁して ひたと見つめると、さすがになにか感じたものか、うつむいてしまいそれがまた少将を微笑ませる。
「ところで、昨夜は竹取物語をご覧だったが、物語がお好きなら今度ほかのをお持ちしよう。」
「まあ…! ミロ様、嬉しゅうございます!」
「源氏は如何に? このごろのはやりで、どこの女人も争って読み耽っているらしい。」
姫君が嬉しそうに目を輝かす。
「源氏を? ああ、嬉しいこと! 春ごろに魔鈴が二の姫様にお願いして借りてきたくれたことがありましたが、北の方様がそのことをお聞きつけになり、きつくお叱りを受けましたので一帖しか読めませんでしたの。」
「それはひどい!」
「いいえ、わたくしがいけませんでしたの。 ちょうど北の方様がお読みになろうとしたときにわたくしがお借りしていたのですから。」
源氏の一帖目といえば 「 桐壺 」 で、それほど面白いというわけではない。 せめて夕顔あたりまで読み進んでいれば、少しは恋の道もわかっていたかも知れぬのに、と少将はいささか残念に思うのだ。
「源氏を絵巻物にしたものを中宮様が内裏にお持ちになられたゆえ、そのうちにお願いしてお里帰りの際にはお持ちいただこう。 そうすればカミュにも見せられよう。」
「え? 中宮様がなぜ?」
「畏れ多くも中宮様は我が姉に当たられる。」
「まあ……!」
思いもかけぬことを聞き、驚く姫君に、
「いずれ近いうちにそなたを我が屋敷に引き取るつもりゆえ、中宮様にもお引き合わせする機会もあろう。 でも今は……」
「あ……」
「私のことだけを考えてくれる…?」
滑らかな頬に指を添えてこちらを向かせ唇を重ねると、ひとしきり震えた身体がやがてしなだれかかってきて少将を満足させる。

   急ぐことはない……ゆっくりと愛してやろう……

やがて灯りが消されて、伽羅と白檀の匂いが闇に溶けていった。


                                       ⇒ 続く