其の拾八  親密


ゆっくりと目覚めた翌朝は、昨夜の大雨が嘘のように晴れ上がり、庭先のあちらこちらに残る水溜りがその名残りを見せているばかりである。
褥の中で先に目を覚ましたのは姫の方で、少将の腕を枕にして抱きかかえられるようにして眠っていたのに今更気付き、かっと全身が熱くなる。 どうしてよいかわからずに、それでも起こしてはならぬと思い、じっとしていると、
「う……ん…」
身動きをした少将が姫の身体をぐっと抱き寄せた。

   きゃっ…

首筋に押し当てられた唇の熱さにおののいていると、いつの間にか背中をなぜていた手が前に回ってきて姫を困らせる。
「あの……ミロ様…」
おろおろとして小さな声で呼ぶと、
「……ん? おはよう、カミュ。」
やさしい声がかえってきて、そっと唇が重ねられた。 それでも、姫がうまく息ができないことはわかっているので、すぐに離してくつろがせてくれるのだ。
「もう、朝らしいが……」
北向きのこの部屋には朝の光どころか、一日中 日の当たることはない。 南と東に面した部屋に住み慣れている少将には、朝日の気配のわからない目覚めは初めてなのである。
「じきに魔鈴が戸を開けにやってまいります。」
「それにしても、こんなに暗くては帯の在り処もわからない。 もう少しこのままで……」
「でも……」
その声もすぐにふさがれて、姫は困惑するばかりなのだった。

「少将様、カミュ様、おはようございます。」
控え目に声をかけながら魔鈴が半蔀 ( はじとみ ) を上げはじめ、ようやく部屋が明るくなったとき、少将は初めて光の中で姫の顔を見ることになった。

   ほぅ……、これは!

今までかすかな灯りの中で見ていただけでも十二分に可憐で美しかったというのに、ろうたげな白い面差しや朱をさしたような花の唇が少将の目を奪い、半蔀が次々と上がって明るさが増してゆくにつれ、恥じらって伏せられたまつげの長さやら、少将の手を柔らかく握り返している指のまるで桜貝のような爪やら、細かいところまで美しいのを見つける喜びといったらないのだった。
明るさの中で初めて顔を見られる恥ずかしさに顔をそむけていた姫が、少将の視線を感じてか、みるみるうちに頬を染めてふっくらとした耳朶まで濃い朱に色を変えてゆくのが愛らしく、とてものことに触れずにはいられぬというものだ。
「……あ…そのような………魔鈴が参りますゆえ…」
消え入らんばかりに訴える姫の言葉を聞きもせぬ少将が耳朶を含んで柔らかくまろばせれば、外の気配を感じて戸惑い恥じらうさまが一通りではなくそれも少将を喜ばせる。 思いのほかの手ごたえについ、もう少し、と朝の光を楽しむつもりになった少将がいつくしみの度合いを深めてゆくと、知らず知らずのうちに洩れた甘い吐息がどうやら戸を開けようとした魔鈴の耳に届いたらしい。 はっとして立ちすくんだその時に、
「朝を楽しむゆえ、のちほど参れ。」
絶妙の間合いで中から少将の声がかかり、それと悟って息を呑んだ魔鈴が急ぎ 裾をさばいて引き返していった。
「ミロ様…………ああ…ミロ様…」
「もう誰もいないから………」
明るい中で恥じらう花の顔 ( かんばせ ) 見たさに帰るのを遅らせた少将である。 再び抱き寄せて唇を寄せてゆくと、人目を恐れて震えていた姫のこととて、わななくばかりでまだまだ少将を受け入れてはくれぬのだ。 しかたがないので、懐に抱くようにしながら帝や宮中の諸行事など姫の興味を引きそうなことを話してやると、さすがに目を丸くして聞き入っている。
「春になったら醍醐の桜を見にゆこう、それに、秋には嵐山の紅葉も姫に見せたいものだ!」
「まぁ! どんなにきれいなことでしょう!」
中納言邸から出たことがなく、花も紅葉も邸内のわずかの木しか知らぬ姫には物見遊山など夢のまた夢なのだ。 姫の喜ぶ顔が嬉しくて、つい、うなじに頬にやさしく口付けてゆくと、ちいさく 「 あっ 」 と叫んで首を縮めてしまうのが少将には可愛くも面白い。 そんなふうに喜ばせつつ恥じらわせつつ、三日目の朝の愛撫はまことに初々しいのだ。

一方、姫の朝の支度をしにいったはずの魔鈴が思いのほか早く戻ってきたので、アイオリアは怪訝そうである。
「いやに早かったな。 まだお目覚めではいらっしゃらなかったか?」
「それが……あの……」
若君に何か変事でも? と思ったアイオリアが妙に口ごもっている魔鈴をつかまえて問いただすと、何のことはない。
「え……そうなのか…?」

   ふうん……若君も、なかなかどうして思い切ったことをなさるものだ!
   魔鈴が来るのがわかっていても、姫君様をおはなしにならないとはな………

赤い顔をしてうつむいている魔鈴をアイオリアがつかまえた。
「あっ…」
「かまうことはないさ。 ご主人様のなさるとおりにしていけないことはあるまい。」
「でも、そんな………もう朝になって…」
「そこがいいのさ。」
まだ三日目の少将たちと違って魔鈴との付き合いの長いアイオリアだが、さすがに明るいときに抱いたことはない。 姫の身の回りの世話に忙しい魔鈴は、鳥の声が聞こえるよりも早く起き出すのが常なので、それが当たり前だと思っていたアイオリアには、今朝はまさに千載一遇の好機といえるのだ。

その日の少将と姫君の朝餉はかなり遅くなった。


                                   ⇒ 続く