其の弐 恋人
今日も午後早くから二の姫様の婿君デスマスク様がおいでになられ、お屋敷は下へも置かぬおもてなしでたいへんな忙しさなのです。
わたくしも準備とご接待に朝早くから駆り出され、カミュ様の朝のお支度もやっと時間を見つけてこっそり駆け戻り、お詫びを申し上げながらなんとか御世話できたような有様なのでした。
日頃から誰にでもお優しいカミュ様は、二の姫様付きの女房達からもよく思われておいでになるので、こんなときは皆がカミュ様のことを気に掛けてくれるのが嬉しいことなのです。
暗くなって夕餉をお済ませになられたデスマスク様が二の姫様と几帳の内にお籠もりになられると、やっとわたくしにも自分の時間が参ります。
申し遅れましたが、二の姫アフロディーテ様は都でも評判のお美しい女君で、中納言様のところにはあちこちの公達
( きんだち ) が、ぜひ妻に、としきりとお文 ( ふみ ) をおよこしになっていたのを、ついにデスマスク様を婿君に選ばれたのでした。中納言様も北の方様も、デスマスク様のお家柄をたいそう御立派なものとお喜びになり、よい婿がねというので歓待に余念がございません。
それにつけても、同じ中納言様の一の姫であられるカミュ様の不遇なお身の上が口惜しくてならないのでございます。
亡くなられたお母君様は先の帝の内親王であられたのですが、母方の御実家の後ろ盾が弱くていらしたため世にときめくこともなくて、中納言様に降嫁なさったのでした。
カミュ様をお生みになってしばらくしてからみまかられ、そののち新しい北の方様をお迎えになられてからは、中納言様のお気持ちはそちらに向われ、カミュ様はこのお屋敷の中で淋しくお育ちになられたのです。
新しい北の方様は二の姫のアフロディーテ様と一の君の貴鬼様をお生みになられてその地位は磐石でいらっしゃるのですが、なんといってもお血筋は内親王を母君に持たれるカミュ様に及ぶところではありません。
それが悔しくてならない北の方様は、ますますカミュ様につらく当たられるのでした。
二の姫のアフロディーテ様もたしかにおきれいでいらっしゃいますが、それはお屋敷の皆様がカミュ様のお顔を間近く拝見したことがないからで、もしおきれいにお化粧なさって美しい綾錦をお召しになればどれほど光り輝く女君におなりあそばすことか!
もっとも、たとえカミュ様がどんなに大切にかしずかれたとしても、几帳の向こうにおいでになって滅多なことでは人にお顔をお見せにはならないのが由緒正しい姫君のなさりようですから、誰にもそのお美しさは知れるはずもないのですが。
私としましたことが余計なお話をいたしましたね。
さて、やっと二の姫様の対の屋 ( たいのや ) からお暇をいただき、台盤所
( だいばんどころ ) からなんとか残り物を分けてもらってカミュ様のところに急ぎ参りますと、灯もつけない暗いお部屋にお一人で臥せっておいでになりました。
申し分けなさに胸が詰まり、わざと明るい声でご機嫌を伺いますと、さすがにほっとなされたようで小さなお声でお返事をくださるのです。
どんなにお淋しく心細いことだったろうと思い、涙が出そうになるのもいつものことなのです。
急いで火を灯し、遅い夕餉になってしまったことをお詫び申し上げながらお給仕をしておりますと、外からわたくしを呼ぶ声がいたします。
やっとカミュ様のお世話ができるのに困ったこと、とはらはらしておりますと、
「魔鈴、あれはそなたを呼びにきたのでしょう? きっとそなたのいい人が来たので、誰かが呼びにきたのです。
私のことはいいから早くお行きなさい。」
とおやさしくおっしゃってくださるのです。
「でも、せっかくおそばでお世話ができますのに……。 待たせておきますので、よろしいのですよ。」
と申し上げると、
「それではあまりに気の毒です。 ちょうどお食事もいただきました。 あとは眠るだけなのですから、よいのです。」
と微笑まれるのでした。 もう少しおそばにいてお気を引き立てるような楽しいお話をして差し上げようと思っていたのですが、そこまでおっしゃられてはお言葉に甘えさせていただくことにしようと思ったことでした。
蔀戸 ( しとみど ) を下げ、御寝 ( ぎょしん ) の用意をしてカミュ様が臥所にお入りになったのを見届けてからお許しをいただいておそばをさがり、今度は急ぎ足で自分のいただいている部屋まで行くと、中に誰かのいる気配がいたします。
弾む胸を抑えながらそっと戸を開けますと、すぐにアイオリアに抱きしめられて思わず頬を染めてしまうのです。
「魔鈴……会いたかった!」
「アイオリアったら……いきなりそんな…!誰かに聞かれたらどうしましょう!」
「大丈夫だよ、お前の同輩なら、いつもの通り気を利かせて何かほかの用事を思い出してくれたらしい。
朝までここにいられるのだから心配しないでいいんだよ。」
「そう…なの?」
アイオリアが来るときはこんなふうにそっと部屋で忍びあうことになっていて、そのことはカミュ様にもいつの間にか筒抜けになっており、時々は、
「どうなの? そなたのいい人はやさしくしてくださるの?」
などとお尋ねになり、わたくしをうろたえさせて微笑まれるのです。 とてもお気立てよくお育ちになられたカミュ様はまだ男女のことをなにもお知りにならないのですが、お手元の古い絵物語をくり返しお読みになられていて、まだ見ぬ恋に憧れのお気持ちをいだいておられるのでした。
でも、ご自分のような身の上では訪れてくれる男君はいるはずもないとあきらめておられるらしいのが痛ましくてならないのです。
アイオリアに抱かれながら、ついカミュ様のことを案じていると、
「で、君の大事な姫君はお元気なの?」
「もちろんよ、私ばっかりこんなに幸せにしていて申し訳なくてならないわ!
こちらの二の姫様よりもほんとはずっとおきれいなのに、このお屋敷ではお気の毒なお扱いしか受けられないんですもの、なんとかしてさしあげたくてならないのよ。」
「うん、その話は聞いている……でも、今はやっと逢えた俺のことを考えてくれる?姫君はもう寝ておいでだろうから、気にしなくていいんだよ……」
アイオリアも忙しい日が続き、半月ぶりにやっと訪ねきてくれたことを思うと、それ以上カミュ様のことを言うわけにもいかないのです。
心の中でカミュ様にお詫びを言いながら、やがて私も我を忘れていったのでした。
⇒ 続く