其の参  少将


「これは若君、もうお目覚めでいらっしゃいましたか。」
「アイオリアか。 そちの参るのが遅かっただけだ。 一人でいたせいで、さっきまで母上に散々に泣き言を言われる破目になった。」
そう仰せになりながらこちらを悪戯っぽく睨まれる少将様は、御歳 ( おんとし ) 二十歳 ( はたち ) の若さでいらして主上 ( おかみ ) の御覚えもめでたい花の公達である。 お家柄の良さは都でも群を抜き、一番の出世頭で将来を嘱望されるお方なのだった。 お名前をミロ様と申し上げる。
「またでござりまするか?」
「うむ、母上にも困ったもので、三日に一度はおいでになり、一日も早く妻を娶って孫の顔を見せよ、と矢の催促だ。 」
「それはいたしかたございませぬ。 当大納言家のミロ少将といえば、この都のどんな権門の娘でもよりどりみどり、親の方から、頼むから婿になってくれと頭をすりつけて拝まんばかりの評判の良さでございますから、北の方様がそうおっしゃられるのも無理はございません。」
これはけっして誇張でもなんでもなく、ひとたび参内なされば宮中の耳目は主上についで我が若君の上に集まり、行く先々で見目良き女房どもに色目をつかわれ、娘を持つ殿上人からはこれ見よがしに売り込みをかけられるという日々を送っておいでなのである。

「それが困るのだ。」
脇息に寄りかかってほぅと一つ溜め息をおつきになる若君は、なよやかな直衣をしどけなくお召しになり、襟元を少しくつろげておいでになるところなどはなかなかどうして、男の私がお見申し上げてもまことに見目麗しく艶めいていて、都随一の美丈夫との呼び名が高いのも頷けようというものである。
「それは確かに十五になるやならずで婿入りする者も多いが、そんな若さでこの妻と決められては不自由でならぬ。 それに我が妻となる人は自分で探してみたいのだ。 家のつりあいや財産の多寡で親同士が決めた顔も知らぬ相手に、周囲に言われるままに、『 以前からあなたに恋焦がれておりました、一度だけでもお目にかかってこの燃える思いをお伝えするすべがあればよいのに、と心ははやるばかりです 』 のような決まり切った文 ( ふみ ) を書いてなにが嬉しいのだ? そんなありきたりの結婚などこちらから願い下げだ。」
これまでにも散々そんな文を書かされた若君は、最初の新鮮さもどこへやら、もはや普通の文のやり取りから始まる恋など歯牙にもかけぬ有様である。
「人目を盗んで忍び逢い、胸が躍るような恋をして、この人と思う女人と契りを結び末永く添い遂げたいと思うのが当たり前ではないか!」
手をひらひらとお振りになってまた嘆息なさる御横顔は、鼻筋が通り顎の線もお美しく、先日の宮中の賀宴で青海波を舞われたときに畏れ多くも中宮様にまで溜め息をつかせたと噂されるだけのことはあり、まことに見目麗しくていらっしゃるのだ。
たしかに若君の言われるのももっともで、年頃の娘を持つ家は、どうにかしてよい婿がねを得ようと、自分の娘について、気立てがよく字が美しく教養が高く髪は黒々と丈長く才気にあふれ………と あることないこと触れ回るのに必死なのである。 どこの家の娘についても同じような素晴らしい評判が流されるため、最初はわくわくなさったらしい若君も、場数を踏むにつれてほとほとお嫌になったらしく思われる。

「なにしろ、文を書いても、その返しの文がいずれも申し合わせたように達筆すぎてとても本人の書いたものとは思えない。 もちろん初めのころは周りの女房が代筆をするのが当たり前とはいえ、それは恋文というよりは書の手本のように整いすぎて面白味に欠ける。 まれに文のやり取りが長く続いたときには、姫君のお部屋近くの廂 ( ひさし ) の間まで通るのを許されてやっと本人のお声を聞ける段取りになるはずが、御簾の向こうに几帳を厳重に立て回し、女房の人垣に十重二十重 ( とえはたえ ) に守られて肝心の姫君の気配など微塵も感じられず、その代わりに都に噂の高い大納言家の少将を一目見んものと屋敷中で固唾を呑んでいる様子がひしひしと伝わってきて居心地の悪いことこのうえない。 これで恋をしろ、というほうが無理ではないか?」
とうとうと述べられて、まことにお説ごもっともなこととご同情申し上げるのが毎日のことなのだ。 若さゆえの驕 ( おご ) りと思われるかもしれないが、これほどに美貌と才気と家柄と財力に恵まれていればそうお考えになるのは当然だ。 若君の唯一つの欠点といえば、見目好く心映えもうつくしい女人に恵まれておいでにならないところではないだろうか。
「俺としても、何も結婚したくないと言うわけではないのだ。 どうだ、アイオリア、どこぞに、美しく教養も高く、かといってでしゃばらずに男を立てるよき姫はおらぬのか? 世間に隠れてひっそりと暮しているようなそんな控え目な女人を探し出して燃えるような恋をしてみたいものだ。」
「はて? そう申されましても……」
無理難題を吹きかけられて首をかしげていると、
「時にアイオリア、そちの想い人とはうまくいっているのか? 昨夜もだいぶ遅かったようだが、首尾はいかに?」
とお尋ねになるので思わずうろたえてしまう。
「は………なんとか…うまくいっております…」
ついそう答えたとたんに思い出さなくてもいいことをあれこれ考えてしまい、顔が真っ赤になった。
若君がぷっと吹き出されて、
「すまぬ、余計なことを言った。 しかし、羨ましいことだ……」
とすこし淋しそうになさるので、こちらも困ってしまう。
「若君もきっと素晴らしい姫君にお逢いできる日が参ります。 都には、まだまだたくさんの姫君がおられるのですから。」
「といっても、いったいいつになることやら……父上や母上のお持ちになる縁談を断るのもそろそろ種が尽きてきた。 あまり独り身が長引くと、主上のお声掛かりでどこの姫とめあわせられるか知れたものではない。」
「そのようなことがありましょうか?」
「娘を売り込もうとする親が主上にそれらしいことを仄めかせば、お心の内に留められ、なにかの弾みでそのようなことを父上に洩らされることがあるやもしれぬ。 そうなったらとても断れるものではない。 妻にしたあとで、箸にも棒にもかからぬとんでもない姫だったらなんとするのだ!一生の不作もここに極まれリだっ! ええい、どこかによい姫はおらぬのか?」

若君がお焦りになるのももっともである。 お仕えするこちらとしても、大事にお育てしてきた大納言家の若君に、触れ込みだけは立派で中身はなにもない姫君などもってのほかなのだ。 考え込んでいると、ふと若君が顔を輝かされた。
「そういえば、そちの想い人は中納言家の女房であったな!」
「はい、さようですが。」
「この間、その女房が仕えている一の姫の噂を聞かされたが、その姫はどうだ?」
「えっ、あの姫君様でございますか?」
若君の思い付きにはいつも振り回されるのだが、これも相当である。
「たしかにその姫君様は、中納言様に降嫁された内親王様のお血筋であられますが、聞いたところによりますと、中納言様の北の方様にうとまれておいでになり、着る物も満足にいただけず二の姫の着古したものをやっとお召しになるというお気の毒なお身の上であられます。 住みなすお部屋もお屋敷の北の隅の日の当たらぬ落ち窪んだところで、なんの後ろ盾もなくお淋しく暮しておいでと聞いております。 たいそうお美しくお気立てもよろしいように聞いてはおりますが、そのような姫君様では大納言家とはとても釣り合いが取れますまい。」
「そんなことはかまわぬ、こちらには財は有り余るほどある! もとより、妻の家の財産など当てにする必要などさらさらないのだからな。 よし、決めたっ! アイオリア、俺はなんとしてでもその姫に逢いたい!屋敷の隅にいて人目につかぬというのも好都合だ! そちの想い人に話をつけて、今夜にでも手引きさせよ!」
「えっっ…!!」
無鉄砲なことをなさる若君には慣れているはずなのだが、これにはまったく驚いた。 いくらひどい扱いを受けているとはいえ、内親王様の血を引いておられるやんごとない姫君様を、文のやり取りもなくて、いきなり今夜って……????
魔鈴の怒る顔が浮かんできた俺は、思わず首をすくめたのだった。

                                     ⇒ 続く