其の弐拾参  綿入 ( わたいれ )


あと数日で新年を迎える此の頃は、どこの屋敷でもその準備に追われ忙しい。
ここ金牛中納言の屋敷でも、台盤所は正月の馳走の仕込みにおおわらわで猫の手も借りたい忙しさだし、牛飼童 ( うしかいわらわ ) は牛車の轅 ( ながえ ) やら軛 ( くびき ) やらに磨きをかける。 下人も手分けして庭木の剪定やら築山の掃除やら遣り水の泥さらいやらに精を出し、休む間もないのだった。 北の方もあちこちに目配りして見落としがないかの確かめに余念がなくて、屋敷中で暇そうにしているのは年内の出仕を終えた中納言とまだ小さい一の君の貴鬼だけである。

そんななかで姫君は縫い物に忙しい日を送っていた。
「姫君様、お疲れではありませんか? あまり根をおつめになりますと、お身体にさわります。」
二の姫の対の屋から暇を見て抜け出してきた魔鈴が顔を出し、心配そうにする。
「大丈夫よ、すぐに日が落ちてしまうから明るいうちに精を出さないと間に合わないんですもの。」
縫う手も休めずに答える姫君の頬は、寒さのあまり赤くなり吐く息も白い。
「それに縫い物をしていれば炭をいただけるから、暖かくてよいのよ。」
指先がかじかめば縫い物などできはしないのだから、さすがの北の方もその間だけは炭桶にたっぷりと炭を入れてくれるのだ。とはいっても、火桶一つでは部屋全体が暖まる筈もなく、ときどき手をかざしては暖を取って指先を暖めているだけなのだった。
「小侍従も今日は二の姫さまの御用事でこちらにお伺いできませんし、姫君様お一人でお淋しくていらっしゃいましょうがどうぞお赦しくださいませ。」
「魔鈴は心配しなくても良いのですよ、縫い物は好きですし、それに夜になれば少将様が…」
その先が言えずに口ごもり、ぽっと頬を染める可愛らしさに魔鈴もついつい微笑んでしまう。 そこへ女童 ( めのわらわ ) が呼びに来たので魔鈴は急いで戻っていった。

いま縫っているのは二の姫の婿、デスマスクが正月七日の白馬の節会に着る装束で、紫宸殿の南庭に殿上人が参列する中を帝の御前で白馬を先導するという重要なお役目のためのものである。 少将もその父の大納言も列席すると聞いているので、きっと今ごろは大納言邸でも針の得意な女房が仕立てに忙しくしているに違いない。

   これは二の姫様の婿君様の縫い物だけれど、
   いつかは少将様に装束を縫って差し上げたいわ……
   どんなにか、お喜びくださることでしょう

そんなことを心楽しく考えながら針を運んでいると、母屋の方から誰やらやってきた気配がする。 誰の足音か判別しかねていると、
「姫や、いるかね?」
そう言いながら入ってきたのは父中納言である。
「はい、お父様。」
「おやおや、ずいぶんと寒いがこれで大丈夫なのか?」
あたりを見回して、
「いろいろと新しい調度があるね、ちょっと気にしていたんだが、これなら安心だ。」
してみると本人にも、姫をほうっておいたという負い目が有るらしいのだが、これらの調度を魔鈴が駆け回って整えたとは気付かぬらしい。
「お前のことにあまりかまってやれずに済まないとは思っているのだが、ついついほかの用事にまぎれてしまってね。」
咳払いして面映そうにしているのも当然で、この中納言は実の父親であるにもかかわらず、姫の部屋を訪れることは年に数回しかないのである。
なにしろ、 「姫はどうしているかね?」 などと聞こうものなら北の方があっという間に不機嫌になり、 「あの子はわたくしがちゃんと世話をしているから大丈夫でございますよ。 それより二の姫のことを気にかけてやってくださいまし。 あの子はお父様思いで、今日も、ほら、このようなやさしい心持ちのお歌を届けてまいったのでございますよ。 ごらんになってくださいませ。」 などととろけるような口調で甘えかかって、気のいい中納言を手玉に取ってしまうのが日常茶飯事なのだ。
そのくせ、姫君から父親に届けられた手紙は陰で握りつぶしているのだから、始末に終えないのである。 母親が亡くなってのち、やっと手習いを覚えた姫君が可愛らしい文を届けても、そもそも中納言の手元に届かぬのだから返事の来ようはずもない。 それでもめげずに、こんどは返事が来るのではないかと一生懸命に文を書いていた姫君も、いつしか書くのをやめてしまい今に至っているのだった。
「お父様、今日はなにか御用事でも?」
縫う手をとめて姫君が尋ねると、
「いや、とりたてて用はないのだが、ふと、どうしているかと思ってね。 元気なようで、まずはよかった!」
実の親子といえども、ここまで会うことが少ないと話の接ぎ穂もありはしない。 中納言はそのまま座りもせずにそそくさと帰ってしまい、溜め息をついた姫君は再び針を持って縫物を始めた。 少将のやってくるまでに、少しでも先に進めておきたいのである。

「姫の様子を見てきたのだが、あれではあまりに寒いのではないかな?」
北の方が正月の衣装を取り出させてあれこれと選んでいると、中納言がやってきた。
「まあ、どちらへお出かけかと思いましたら、落窪のところへおいでだったのですか?」
眉をひそめた北の方は何枚もの袿 ( うちぎ ) を取り出し、
「あの子は寒くなどはありませんよ、着物は何枚もやっております。 それより、どれがわたくしに似合いますかしら? お好みの着物で新年を迎えたいと存じまして。」
とりどりに美しい袿を当ててみせる北の方はなかなかに麗しく、中納言も見とれてしまうのがいつものことなのだ。
「その濃蘇芳に白梅のがいいんじゃないかね。」
「まあ、ちょっと派手すぎはしませんかしら!これは二の姫によいかと思っていたんですのよ。」
「いやいや、そんなことはない。 そなたにぴったりだ。」
「そうおっしゃるのなら。」
うつむいて頬を染めるところなどはなかなかに可愛く見えて気をよくした中納言が、それでもはっと気付いたようで、
「それにしても寒そうだったが、綿入れでもやったらどうかね?」
と思い出したように言うので、北の方もしかたないと思ったらしい。
「落窪にですか…? あの子には、今仕立てさせているデスマスク様の装束が縫い上がったらご褒美に綿入れを上げると言ってあるのですけれど、中納言様がそうおっしゃるのならあとで届けさせましょう。」
「それがいい。 震えているようでは、いい縫い物はできないだろうからね。 それから正月の着物もやったのかね?」
「それが……」
北の方がわざとらしく溜め息をついた。
「あの子は私のやった着物が気に入らないのか、何枚あげてもすぐに人にやってしまうのですよ。 世話のし甲斐がなくて……」
淋しそうにそう呟いて、たもとで目を抑えたりするのが一見いじらしい。
「それはいけない。 親の気もしらないで、不人情に育ったものだ。」
嘆息した中納言は北の方を慰めにかかるのだった。

夕方になって北の方から綿入れが届き、姫を驚かせた。
「まあ、この装束が縫いあがってからというお話だったのに、どうしたことでしょう?」
居合わせた魔鈴が広げてみると、ところどころ表地がほつれていて、たいそう使い込んだあとが見える代物である。
「姫君様、また北の方様はこれでございます!」
呆れたように言うと、姫君もすっかり慣れているのであろう、
「新しいものなどいただこうものなら、かえって心配ですもの。 ああ、これは暖かくて嬉しいわ。」
いかにも素直に喜んでいるのが、魔鈴にはほっとするやら物足りないやら、複雑な心境である。
そうこうするうちに、暗くなってから少将がやってきた。
「お待ち申し上げておりました。 では、わたくしは下がらせていただきます。」
しとやかにお辞儀をした魔鈴が行ってしまうと、少将はさっそく姫君を几帳の向こうに連れてゆく。
「カミュ……どれほどあなたに逢いたかったことか!」
「わたくしも…」
やわらかく抱かれる姫は、さすがに少将の仕草にも慣れたらしく、もはや震えることも有りはしない。
「おや?今日は違ったものを着ているね。」
「ええ、さきほど北の方様から綿入れをいただきましたの。」
「ふうん……それよりも姫を暖めるのは私に頼ってもらえないものかな? どう?」
「ま…」
薄闇の中でうつむき恥じらう姫が可愛くて、朝まで離さぬと思う少将なのだ。
「そんなことより、父上にお許しをいただいて、そなたを迎える屋敷を建てていただけることになった。」
「まあ、そんなたいそうなことを!」
「今の東の対に迎えても良いのだが、新邸にそなたとともに入りたい。 きっと喜んでもらえよう。 そうしたら、そこで私のために装束を縫ってくれる?」
「ミロ様の装束を……」
少将の腕の中で姫が涙ぐみ、身を震わせた。
「嬉しゅうございます、まるで夢のよう…」
「だから、もう少しここで待っていて……宿直の夜以外は毎晩来よう。 できる限りにカミュを愛したい…」
やさしい口付けが与えられ、人目を忍ぶ夜が静かに更けていった。


                                    ⇒ 続く