時代考証 第三十回


「あれ? これはいったいなんだ?」
夕食から戻ってきたミロが八畳間に入るなり声を上げた。

この離れは、八畳と十畳の続き間、そして四畳半の茶室、三畳の控えの間、そして坪庭つきのたっぷりとした広さの浴室等で構成されており、奥の十畳間が例の行灯付きの寝室となっている。
ミロが声を上げたのも無理はない。 先ほどまでは大きな輪島塗の座卓が置いてあったはずなのに、今はその代わりに少し小ぶりなテーブルが置いてあり、その上にどう見てもフトンらしきものがかかっていて、上面には木目のきれいな厚手の板が載っているではないか。
「なぜテーブルにフトンが? 意味がわからん。 カミュ、お前どう思う?」
続いて入ってきたカミュが、少し考えてからタタミの上まで広がっているフトンの裾から出ている電気コードに目をとめた。
フトンの端を少しめくり上げ中を覗き込んでみる。
「なるほど、これは暖房器具のようだ。 お前も見ればわかる。」
「え?」
ミロが理解しかねているうちに、カミュがフトンに半ば隠されていた座布団に座った。
「ほう! なかなか良いものだ。さ、ミロも早く入ってみるとよい。」
もう一枚の座布団を指し示されたミロが、よくわからないまま座ってみると、これはどうだ!
フトンに隠されていたテーブルの中は暖かくなっており、腿や腰がフトンに覆われてなんとも心地よいではないか。
「驚いたな、これはいったいどうなっているんだ?」
「そういえば食事のときに 『 お部屋にコタツをご用意させていただきます 』 とか言っていたが、このことかもしれぬ。」
「ふうん、そろそろ寒くなってくるからその用意っていうわけか?
 しかし、テーブルとフトンがジョイントするというのは、俺たちには考えられん発想だな。」
「お茶の盆の用意もしてあるところを見ると、日本人はこうしてくつろぐ習慣とみえる。たまには茶でも飲んでみるか?」
そう言ってカミュが盆に伸ばした手をミロが押しとどめた。
「どうせなら俺はもう少し酒が飲みたいね、フロントに電話してみようぜ♪」

この宿に来てからだいぶたつが、ルームサービスを頼んだことは一度もない。
そもそもカミュにそういう発想がないので、英語の出来ないミロには頼みようもないのである。そ れに、部屋でくつろぐというよりはフトンに直行することがほとんどなので、頼む必要もなかったというのが本当のところだったのだ。
しかし、このコタツとやらを見れば話は別だ、この舞台装置で、茶はないだろう。
以前、ほかの離れに注文を受けたらしい酒の銚子を運んでいるのを見かけたことのあるミロは、ここぞとばかりに実行したくなったらしい。受話器を取るとカミュににやりと笑ってみせ、「 サケ プリーズ 」と言ってみたものだ。
どうやら 「 プリーズ 」 だけは覚えたミロの速攻にカミュが呆れていると、なんとか意味が通じたらしく、ミロがニコニコしながら 「 サケ、サケ 」 と繰り返してから受話器を置いた。
「さて、そういうわけだ。 酒が届いたら一杯やりながら時代考証を拝聴しようじゃないか。」
「お前にはかなわんな。だが、言っておくが私は飲まぬぞ。」
「それはないだろう、カミュ。 記念すべきコタツの初体験だ、一口くらいは飲むもんだぜ♪」
「しかし………」
「大丈夫だよ、酔ったら俺が介抱してやるよ。」
「お前………」
カミュが疑わしそうにミロを見る。
「もしかして、それを狙っているのではないのか?」
「ふうん、そう思う? お前、俺に介抱されたくないの?隣にはもうフトンが用意されてるし、そもそもコタツにはフトンがあるし。
 宝瓶宮よりはずっと至近だぜ、なんの心配もいらんと思うが。」
「いや、そういう問題ではなくて……」
赤くなったカミュが真面目に抗弁するのが可笑しくてミロが笑っていると、玄関先に酒が届いたようだ。立っていったミロが盆を持って戻ってくると、カミュが早くも原稿を広げている。
「気が早いな、さては一刻も早く俺に介抱されたくなったか♪」
「……いいから早く座れ、始めるぞ。」
「ああ、わかったよ。 まず、これで唇を湿してから聞かせてくれ。」
ミロが注いだ盃をそっと口に運んだカミュの様子では、ほんとうに湿しただけらしい。

   やれやれ、あとでもう少し勧めるか、せっかくのコタツを楽しまなきゃな♪

コタツの中で今少し足を伸ばすと触れたのはカミュの膝のようだ。
カミュがちらとこちらを見たが、たいして気にならないらしくページをめくっている。

   ほう、これはどうだ!コタツってのは気がきいてるな♪
   もし、ほかに人がいても、気付かれずに手を握ったり、足に触れたりできるってことか!
   明らかに起きているのに、実際にはフトンの中も同然とはな……!
   まあ、時代考証の最中にはやめておいたほうが無難だろう、カミュ考証は、あとだ、あと ♪

「では、時代考証を始める。 ミロ、あまり飲まぬようにな。」
すでに二杯目を開けたミロが素知らぬ顔で頷いた。
「 『 天に在りては 願はくは比翼の鳥と作(な)り 地に在りては 願はくは連理の枝と為らん 』。
 この詩句は、中国・唐の詩人、白楽天の長恨歌の一節だ。
 玄宗皇帝と寵姫楊貴妃との愛情を詠んだもので、時代が異なっている。」

   ふうん、そんなことをよく調べるもんだな!
   しかし、せっかく昭王がお前との仲を詠み込んだ詩だぜ、そう固く考えなくても認めてやってもいいんじゃないか………
   この場の雰囲気ってものがあるだろうに。

「しかし、昭王は、この詩をアイオリアにも他の誰にも言わずに胸に秘めていたようだから、後世に伝えられた筈がない。
 とすると、昭王が作ったという事実が知られぬままに千年ほどのちの白居易が偶然同じ文言で詩を作った可能性もある。
 なお、昭王は詩の意味を尋ねられて言いよどんだのちに簡単に答えているが、実際にはもっと深い意味があると思われる。」

   え? 深い意味ってなんだ?

「昭王の答え方だと、まるで手をつなぐ程度のことのように聞こえるが、
 実際には、比翼の鳥とは、雌雄が各々翼と目を一つずつ持ち、つねに雌雄一体となって飛ぶという想像上の鳥のことで、
 連理の枝とは、一本の木の枝が他の木の枝につき、一本の木のように木目が同じになることをいう。
 すなわち男女の仲が極めて親密なことを指す。 一心同体といってもよかろう。」

   ほほぅ〜♪
   昭王もなかなかはっきり言うじゃないか! 見直したぜ♪♪
   それをカミュにはっきり言わなかったのは、やはり照れということか。
   一心同体か………俺とカミュも毎晩やってるからな、今夜もこれから……♪
   しかし、昭王が二千三百年前に予言していたとは知らなかったな。

「輪廻 ( りんね ) 、本来の意味は生あるものが死後、迷いの世界である三界・六道を次の世に向けて生と死を繰り返すことだ。
 ここに書かれているような、お互いが生まれ変わっていつかめぐり合う、というようなものではない。
 もうすこし詳しく知りたいと思いシャカに尋ねたところ、即時に108MBの返信があったのだが、
 全文読み上げるのもどうかと思い割愛した。お前が聞きたければ読んでもよいがどうする?」
「いや、遠慮しておこう。 仏教の理解は、付け焼刃では無理だろうからな。」
 
   冗談じゃないっっっ!!!
   そんな長大な文を読まれたら朝になるのは確実だ!
   俺の今夜の計画が台無しになるじゃないか。それに、俺が先にコタツで寝るのが目に見えるようだぜ………。

「では、これで今回の時代考証は終りだ。 情緒的記述が多かったので、項目が少なかった。」
「それでも得るものは多かったと思うぜ、まあ、一杯やってくれ。」
「私はそんなには……」
「そういうなよ……」
向かい合っていた位置からカミュの隣に移動してきたミロが慣れた手つきで酒を注ぐ。
ゆっくりと差しつ差されつしているうちに、だんだんと正座していたはずのカミュの姿勢がくずれ、ミロに寄りかかる形になってきた。
「ミロ………私は…もう………」
「ん? どうした………?」
肩を抱き寄せれば熱い吐息がミロの首筋にかかり、そっと手を伸ばすとコタツの中で浴衣の裾が乱れているのがはっきりと感じられる。
「カミュ………まだ隣りに行くには早すぎる……もう少しここで……」
いつもよりカミュの身体が熱を帯びているのは、酒のせいだけでなくコタツの暖かみがいつのまにか効いていたようにも思われる。思わぬコタツの効用に感心しながら力を失った身体をそっと横たえてゆくと、じかに触れるタタミの感触にカミュがびくりと身を震わせた。
「あ……ミロ……こんなところで……」
「いいんだよ……俺はもう少しコタツを楽しみたい……」

   そして、お前も、楽しませてくれ………

カミュがなにか言いかけたが、ミロの唇が柔らかくそれを封じ、あらがうことを忘れさせてゆく。
白い手がミロの背中に回されたころには、すでにカミュの帯が解かれてフトンの裾に落ちていた。
「カミュ……俺のことが好き?……好きなら俺の帯も解いて………」
「え………」
カミュが息を飲むのがわかる。
「早く………解いてくれないとお前を愛せない……」
その言葉におずおずと伸ばされた手が結び目を探り当て、やがて二本の帯が絡まっていった。
「ミロ………まだ灯りがついているのに……」
「ここからじゃ手が届かない……それに今はお前から離れたくない……」
「……私も……離れてほしくはない……」
「目をつぶっていればわからないさ……それじゃだめ……?」
「……ん……」
小さく頷いて固く目を閉じたカミュのいとしさに、ミロはもう一度口付けていった。


                                   ⇒閨の睦言