時代考証 第三十五回


「 では、第三十五回の時代考証を行なう。 デスマスクもそこで聞いていてもらおう。 ちょうどよいところへ来合わせてくれたものだ。
  このあと、乗馬の訓練に行かねばならぬので、手早く行ないたい。
 『 五言絶句 』 、これは中国の詩の形式の一つだ。 中国の文学は、散文よりも詩文が重要な位置を占め、今から三千年ほど前の
 朝廷で奏でる楽歌から地方で歌われたものなどを305編編纂した 『 詩経 』 が中国最古の詩集とされている。
 絶句とは四句で構成される定型詩で、起句・承句・転句・結句からなっており、五言絶句と七言絶句の二種があるのだ。
 五言絶句は、それぞれの句が「二字」+「三字」、七言絶句は「二字」+「二字」+「三字」で構成されている。むろん、それぞれの
 句には押韻の細かい決まりがあるのだが、煩雑なためここでは省きたい。 ここまではよいか?」

この長台詞を聞いても、ミロはいささかもたじろぐものではなく、軽く頷いて平然としているのだが、デスマスクの方は足をもじもじさせて落ち着かぬようである。 

「ここで昭王が詠んでいる 『 春眠 暁を覚えず 』 は、孟浩然 (もうこうねん)の有名な 『 春暁 』 という詩の起句だ。 八世紀前半に活躍した人物で、時代も盛唐であるから燕とは遠く隔たっている。 」
「しかし、昭王は起句だけでそのあとは作っていないんだから、ええっと、燕よりも千年あとに、その孟浩然が偶然同じ起句から詩を作った可能性もあるんじゃないのか?」
「むろん有り得る。 春眠 暁を覚えずとは、『 春の夜の眠りがあまりに心地よいので、朝が来たのも知らずに寝過ごしてしまった 』
の意なので、こういった人類の普遍的感覚はいつの時代も変わるものではないからな。 ここで 『 春暁 』 の全文を揚げておこう。

   春眠不覚暁      春眠 暁を覚えず          しゅんみん あかつきをおぼえず
   処処聞啼鳥      処処 啼鳥を聞く           しょしょ ていちょうをきく
   夜来風雨声      夜来 風雨の声           やらい ふううのこえ
   花落知多少      花落つること知んぬ多少ぞ    はなおつることしんぬ たしょうぞ

もっとわかりやすく訳したほうがよいか?」

「いや、よくわかるぜ!つまり、こういうことだろう、
 春の夜があまりにも気持ちよくてつい寝過ごしてしまったが、あちこちで鳥の声が聞こえてくるところをみると、もう夜が明けたんだ
 ろう。 それにしても昨夜は風雨の音が激しかったから、庭の花がどれほど散ったか気にかかることだ。
なかなかいい風情じゃないか、気に入ったね ♪」

うんうんと頷き満足そうにしているミロを見て、デスマスクは唖然とした。

   ミロは体育会系だと思っていたが、こんなわけのわからん、しちめんどくさそうな詩を聞かされてなにが嬉しいんだ???
   嵐で花が散ったからって、それがいったいなんだっていうんだ??

このときミロが考えていたことがデスマスクにわかるはずもない。 むろんカミュにも、それは同じなのだが。

   ふふふ、春の夜か……いいじゃないか♪
   暑くもなく寒くもないそんな夜にカミュを抱いてだな……ふふふ……こたえられんな♪♪
   おまけに次の句が、花を散らす嵐だぜ!
   これはもう………なんといっていいのか……俺はもう笑いがとまらんよ♪♪
   起句だけでやめておくところが、昭王の品の良さを現わしてるってことだ!

「では、次へゆく。『 鹿毛 』 、これは馬の毛色のことで、全体に鹿の毛色のように茶褐色で、たてがみと尾、四肢の下部は黒だ。
  あとに出てくるアイオリアの 『 連銭葦毛 』 は、栗毛や鹿毛の馬の身体の一部もしくは全体に白い毛が混色したものが 『 葦
 毛 』 、それに灰色の丸い斑点のついたものが 『連銭葦毛 』 と呼ばれるのだ。
 つぎに昭王の鞍だが、さすがに豪華な品だ。 『 青貝 』、これは螺鈿(らでん)に用いる貝のことで、一般的には夜光貝を指す。
 『 螺鈿 』 は、漆工芸技法の一つで、貝殻の真珠光を放つ部分をすりみがき、平らにして細かく切り、文様の形に漆器や木地に
 はめ込んで装飾するものだ。 総螺鈿というからには、鞍の表面全てに美しい色の貝で螺鈿が施されているのであろう。 あまり実
 用的とは思えないが、燕王なら、このくらいの品を用いるのが当たり前ということかもしれぬ。
 覆輪 ( ふくりん )とは、刀剣・甲冑・馬具・笛・陶磁器などの縁を包む金属や革のことで、他の物とも接触による痛みを防止するた
 めのものだ。 装飾ともなるので、ここでは銀を使っている。」

   ふうん、さすがは昭王だな!
   太后がこんな立派な鞍を一対くれたというのも、まるでカミュが現われることを予期してたみたいで嬉しいね♪
   牧場の鞍はごく普通の品だが、それでもカミュが乗ると、俺には馬ごと光り輝いて見えるからな♪
   青貝の総螺鈿か………響きもいいじゃないか……鞍は無理だが、なんとかならないかな?

「アイオリアの鞍の 『 銀砂子 』 、砂子とは、金銀の箔を粉末にしたものだ。銀の粉末を漆の蒔絵にしてあるのだろう。 七宝紋は、
 ちょうどこのページに用いてある。 しかし、燕の時代にはこれらのいずれもまだ使われてはいない。」
「でも、……だろ?」
「そういうことだ。」

   あぁ? 今のは、いったいなんだ?
   なにが 「だろ?」 で、なにが 「 そういうこと 」 なんだ??
   こいつらのやっていることも言っていることも、俺にはさっぱり理解できんぞっ!

「弓だが、当時のものは発掘されていない。 言うまでもないが、竹製品・木製品は土中では保存状態が悪いためだ。 ただし、秦の
 始皇帝陵からは、『弩 (ど) 』 という、銃床のような台を有する弓の青銅製の引き金部分等が出土している。 弓の本体部分は腐
 食してしまい推測することしかできぬ。 ここで昭王の持っている弓は、大弓というのだから自分の身長よりは長いと思われる。
 アイオリアの持つ半弓は、その半分くらいの長さで、狭いところでも素早く引けるのだろう。」
「ふうん、アーチェリーの弓なら知ってるが、あれはそんなには長くないだろう?」
「うむ、日本の弓道で使われている弓は221Cmが標準で、これは世界でも一番長い弓だ。 それに加えて握りは上から三分の二の位置にあるので、正確に射るのには大変な熟練を要する。」
「握りが弓の中心にないんじゃ、素人が考えても的には当りにくいだろうに。 当らない弓じゃ役にはたたんぜ? なんだって、そんな
 物を日本人は使ってたんだ??」
「どうやら、日本人にとって、弓は、武器というよりも神聖な物だったらしく、命中の精度よりも精神統一を図るための手段だったと思
 われる。
「しかし、そんな悠長なことをやってちゃ、いざ敵と闘ったときに相手に当たらんのじゃないか?」
「そこのところが私も疑問だ。 アーチェリータイプの左右均等な設計の弓の方が正確に飛ぶのは、わかりきった真理なのだが。」
「もしかすると日本では、弓は、精神統一と神事にだけ使って、戦争には使わなかったんじゃないのか?」
「いや、1543年に鉄砲が伝来する以前は、刀と槍と弓矢が使用されていた、と文献にあるのだ。」
「ふうん、日本人のやることはよくわからんな。 いや、それは今も同じだが。」

聞いているデスマスクは、だんだん嫌気がさしてきた。

    いったいなんなんだ、これは?
    弓を使ったって書いてあるんなら、そのまま信じときゃいいんじゃないのか???俺ならそうするぜ!!
    それをなんで、二千年もたった今になって、ああだこうだ言う必要がある?
    こいつら、新婚旅行に来たという雰囲気じゃないな………それとも半年もたって、さすがに飽きたのか???
    まさか毎日、こんなことをやってるんじゃあるまいな?

「それより、じきに出発の時刻になる。 すまぬが少し先を急がせてもらう。
『 十二束三つ伏せ 』 、これは矢の長さのことで、握りこぶしの12倍に指三本分の幅を加えたものだ。那須与一という日本の歴史上もっとも有名な弓の名人がこの長さの矢を用いたので、縁起をかついで同じ長さに決めたのかもしれぬ。」
「ほう! その男は、戦場で山のように敵を射抜いたってわけか!」
「いや、海上で揺れる船上の扇の的を、波打ち際の馬上から見事に射たのだそうだ。」
「え? それは戦争とは関係ないんじゃないのか? どうもゲーム、といって悪ければ競技みたいだが?」
「これも800年前の話なので、よくはわからぬ。 先に進むぞ。」

デスマスクは、そっとあくびを噛み殺す。 わざとらしく見せ付けても良かったのだが、カミュに睨まれそうな気がするし、なんといっても一宿一飯の恩義があると、そこは殊勝に考えたのである。

「 『 青鸞(せいらん) 』 、この鳥は書かれている説明の通りだ。 ここここに写真が載っている。問題は、この鳥の生息地がマライ半島・スマトラ・ボルネオなどであることだ。 いずれも燕とはほど遠い。」
「でも、……だろ?」
「そういうことだ。」

   おいっ!またか??? いったい、それはどういう意味だっ?
   こいつら、なにか俺に隠してることでもあるのか?
   しかし、なんとかって鳥がどこに住んでるか、なんてことを隠す必要がどこにある???
   まったくわけがわからんっ!

「デスマスク、思いのほか時間がかかってすまなかった。 私たちは乗馬に行かねばならぬが、もう少し滞在せぬか?」
「いや、せっかくだが遠慮するぜ、これで帰ることにする。」
「それは残念だな、皆によろしく伝えてくれ。」
「ああ、言っとくよ。」
さきに部屋を出てゆくカミュをやり過ごしておいて、デスマスクがあとに続こうとしたミロをつかまえた。
「おい……お前、カミュとはうまくいってるんだろうな??」
「……なっ、なんのことだっっ!!!!」
いきなり言われたミロが真っ赤になった。
「どうも気になるからな、なんだったらアフロに薔薇を届けさせるから、必要なら言ってくれ。 これでも俺は、お前たちのことを考えてるんだぜ♪」
「よ、余計なお世話だっっ!」
「遠慮するなよ。 アフロの温室で新しい品種の薔薇が咲き始めてる。 それというのが…」
デスマスクにささやかれたミロが意外そうな表情を浮べる。
「え?……それは………でも……」
「でも……だろ? いいと思うぜ♪」
返事をためらったとき、カミュが呼ぶ声が聞こえてきた。
「いかんっ、遅れるっ! じゃあな!」

   ふうん……うるさがっているようでも、その気はあると見たぜ♪
   それにしても、初めてカミュの長話を聞いたが、いつもあんな調子なのか?
   ミロのやつ、よく我慢してるな、俺ならとても耐えられんっ!
   あんな固い話ばかりじゃ面白くあるまい、俺がなんとかしてやろうじゃないか♪

慌てて出て行くミロの後ろ姿に面白そうな一瞥を投げたデスマスクが、荷造りを始めた。
今日も雪がちらつきそうな空模様である。