「 蒼薔薇 ( あおばら ) 」
「2月7日はカミュの誕生日なので、ケーキを用意してほしい。」
ギリシャ語でそう書いたメモを渡すと、例の通り、宿の主人がにっこり笑ってギリシャ語の辞書を持ってきた。
これできっとうまくいくだろう、ここの主人は万能なのだ。
今日はカミュの誕生日だ。
今までに何度も祝ってきたが、異国で迎えるのは初めてのことで、なにやら勝手がちがう。
朝、目が覚めると宝瓶宮の高い天井のかわりに、木目のきれいな低い天井が見えて、俺にここが日本であることを教えてくれる。
起き抜けにやさしく口付ける。
「誕生日おめでとう、カミュ。」
「ありがとう。」
ありったけのやさしさを込めてそう言うと、少し頬を染めたカミュが恥ずかしそうに口付けを返してくれた。
「いい天気だぜ。 外は真っ白な雪景色で、お前の誕生日にはふさわしい。 聖域にいたのではありえない光景だ。」
朝食のために離れを出ると、庭も遠くの山も、ここ数日来の雪がいっそう降り積もり、美しい白い世界を見せてくれている。
夏の間は風の吹き抜けた回廊も、冬只中の今は戸を立て回して外気の冷たさを防ぐようになっているのはよく考えて作ってあるものだ。
立ち止まったカミュが窓を開けて手を伸ばす。
「つららがこんなに見事に伸びている。 私は飲まぬが、今夜はこれでロックもよかろう。」
「え?」
「ああ、ミロはまだ試したことがなかったかもしれぬ。 つららでもオンザロックが楽しめるのだ。」
「あ! なるほどね、そいつは粋じゃないか!」
カミュが触れたつららには太陽が当り、白い指にわずかに雫が伝う。 陽をあびて煌めく氷がまぶしくて、俺は目を細めてしまう。 いや、それは雪の白さを背景にしたカミュがあまりに美しく見えたせいかもしれないが。
今日がカミュの誕生日だということは宿中に知れわたっていて、手の空いた従業員が入れ替わり立ち替わり祝いを言いに来た。
朝のうちは宿を発つ客の応対で忙しいのだが、昼には泊り客はいつもの通り俺たちだけになる。
昼食を摂るのも俺とカミュの二人だけで、ようやっと落ち着けるのだ。
洒落たヌーベルキュイジーヌとドンペリで誕生日を祝ったあと、宿の主人が美穂を連れてやってきた。
美穂がワゴンに乗せてきたケーキをテーブルに置く。
「ほぅ、これは!」
カミュが目を見開き、俺はちょっと胸を張る。
真っ白なクリームのシンプルなケーキの中央に赤い苺が小さい円を描き、その回りを大きくカールさせて削ったホワイトチョコが飾っている。
苺の上にはまるで雪のように白い粉砂糖がかけられ、それは俺に、先日カミュが白樺林で降らせてくれた雪を思わせた。
カールしたチョコには金箔が散らされ、あたかもカミュが黄金聖闘士であることを証明しているかのようだ。
頬にわずかに朱をのぼせたカミュが主人に礼を言い、にこやかな会話が交わされる。
なるほど、いつもなら聖域で過ごす誕生日だが、こうして旅先の馴染みの人間と過ごすのもいいものだ。
なんだかアットホームで、これはこれでなかなかいいじゃないか。
美穂が慎重に切り分けてくれたケーキを二人で賞味する。 アールグレイのいい香りが、さらに俺たちを寛がせるのは言うまでもない。
「このケーキはルイ・シャルパンティエのものだ。」
送り主は俺だが、英語ができなくて主人と話ができないので質問をしたカミュのほうがケーキのことについては詳しいというのも妙なものだ。
「ふうん、あの店、北海道にも支店があったのか?」
「いや、一番近いのは東京にある本店だ。 必要なときには航空機のクール便で取り寄せることができるのだが、あいにく今はバレンタイン期間中で、地方発送の注文は受け付けていないということだ。」
「じゃあ、このケーキはどうやって?」
ミロが紅茶を運ぶ手を止めた。
「そこで宿の主人の知り人がたまたま今朝一番の便でこちらに戻ってくることがわかっていたので、わけを話してケーキを運んでもらったらしい。」
「ふうん、それはえらい手間をかけさせたな。 俺がもっと早く頼んでいたら、注文できたのかな?」
「それが…」
カミュが優雅な仕草で苺を口にする。 その紅い唇がじつに魅惑的に見えて、思わず見とれてしまう。
「私が秋に豪雨で増水した川で人を救ったことがあったろう? 実は、ケーキを運んでくれた人物の家族がその中にいたのだそうだ。
その人物もグラード財団に関係あるらしく、そもそもあの豪雨のときに、ここの宿の主人に助けを求めてきた本人らしい。」
「すると、手間どころか、感謝の気持ちでお前にはるばるケーキを運んでくれたってわけ?」
「そういうことになる。」
自分が136人も救ったことを話題にされて照れたのか、それとも紅茶に入れたVSOPが効いたのかはわからないが、頬を染めているカミュがいとしくて俺は心の中でキスを送ったのだった。
その日、夕食を終えて部屋に戻ろうとするとフロントで主人に呼び止められた。
ちょうど俺たちにクール便が届いたところらしく、礼を言って大きい長方形の箱を受け取った。
「なにが届いたのだ?」
「まあ見てろ、驚くぜ、きっと 。」
上機嫌の俺は、箱を抱きかかえるようにして急ぎ足で離れに戻る。 不審顔のカミュを先に寝床に押しやっておいてから、隣室で箱を開けた。
思ったとおりだ、素晴らしいじゃないか!
アフロの気前の良さは、やっぱり典型的O型からくるものに違いない
「いいぜ! もう目を開けても。」
カミュが寝室の明かりを落としていたので、 「 見せたいものがあるから 」 と灯りをつけた俺は、薔薇の花束を抱えて部屋に入った。
「あ………ミロ……その薔薇は!」
「誕生日、おめでとう!」
息を呑んだカミュが目を見開いた。 起き上がったところに蒼薔薇を差し出すと、白い指でそっと蒼い花弁に触れ、顔を寄せて匂いを確かめるように息を吸い込んだ。
「信じられぬ……この世に蒼い薔薇があろうとは………」
「アフロディーテの自信作だ。 まだ株数が少ないから二十本しか切れなかったそうだが、お前の年の数でちょうどよかったよ。」
「アフロも自分のところで楽しみたいだろうに、こんなに切ってくれたというのか………」
カミュが目を伏せたのをきっかけにして、そっと肩を抱き、ゆっくりとその身を横たえる。
「いいんだよ………あいつは人に賛美してもらうことが喜びなんだから……それにO型だし。」
「え?」
「それより、二十本ではお前を花びらで埋めることはできないが、それでもかまわない?」
笑みを含んでやさしく問いかけると、恥じらって顔をそむけるのがたまらなくいとおしい。
「それにせっかくの貴重な蒼薔薇を一晩で使い切ると、さすがにアフロにわるいからな。」
どうせ、仲介したデスマスクが 「 首尾はどうだった?」 と訊いてくるのは目に見えている
薔薇がなくても、俺とカミュの仲にはなんの問題もない
それなら、貴重な花を花瓶に生けて、眺めて楽しむことにしようじゃないか
でもカミュ、同じ貴重な花でも、お前を眺めるだけじゃ俺はいやだぜ………
「ミロ、では早く薔薇を花瓶に……そのままではしおれてしまう。」
「ああ、そうするよ。 でも、その前にお前にキスをしてからだ、せっかくの誕生日だからな、二十回キスしたら必ず花瓶にいけよう、約束する。」
そう言いながら俺は薔薇に手を伸ばし、外側の花弁を一枚だけ取った。
「ミロ……?」
「こうするのさ。」
俺は蒼い薄片をそっと唇でとらえると、そのまま花びらごしの口付けを与えてゆく。 二十を数えるころには白い肌が淡く染まり、甘やかな吐息が俺の想いをかき乱す。
瞬時も離れていたくはなかったが、そこは約束通りに薔薇を生けながらそっと振り返ると、俺を見ていたらしいカミュが慌てて目をそらし、少し乱れた髪をそのままに枕に顔を伏せて恥じ入る様子がいじらしい。
「すこし冷えたから、暖めてくれる?」
わずかの間も惜しんでそばに戻り、そっと耳元でささやいてやると、小さく頷いて俺を抱き寄せてくれた手がしっとりと湿っていて俺をどきりとさせた。
「私も………」
「ん? なに?」
「お前に二十回………キスしてもよいか?」
ためらいがちに許しを求めてくるのが可愛くて、思わず俺は笑ってしまう。
「そんなことを言わなくても、いくらでもキスしてくれていいんだよ。」
「でも、そう言っておかねば、すぐにお前は私を………」
「あ……そうかもしれん!たしかに、二十回も待たない気がする。」
「私だって、時にはお前に……あの……心ゆくまでキスをしたいから………」
最後の方はどうにも小さな声で、とても聞き取りにくいのだ。 まあ、無理もないが。
そうして、カミュは俺にキスをしてくれた。 最初はおずおずと、あとの方では少し勇気を出したらしく、そのやわらかい唇は耳朶にまで及び俺を少し驚かせる。
カミュに耳朶を含まれたのは初めてで、妙にくすぐったい。 俺がくすくす笑うとカミュが困った顔をする。
「ミロ……なぜ笑う?」
「なぜって……お前が可愛いからに決まってるじゃないか。 さあ、二十回終わったぜ、今度は俺の番だ。」
思い切り抱きしめると、一瞬からだをそらせてから深い溜め息をついて俺の背にしなやかな手が回される。
「新しい一年の始まりだ、思う存分愛させてくれる?」
わざわざ訊いてやると、なにも言わずに頬を染めうつむいた。
朝になったら、二人でモーニング珈琲を飲もう
淡く頬を染めたお前のことが、とてもきれいに見えるに違いない
今夜一晩で、お前を最高の紅に染めてやろう、あの薔薇が青ざめて、色を失うくらいにだ
「来て………俺のカミュ……」
俺はいとしいカミュを、もう一度抱きしめていった。
何百年も世界中の園芸家が夢見ていた蒼いバラ。
さすがは黄金聖闘士、ピスケスのアフロディーテ、ついに作出に成功したようです!
美しいカミュ様に艶麗な蒼いバラの組み合わせは、どれほど素晴らしかったことでしょう!
↓ おまけ
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