その5


湯から上がって部屋に戻ると、ちょうど食事の時間になったようだ。 酢の物や煮物が盛り付けられた小鉢や丸皿を詰め合わせた長方形の大きな平箱一つと使い込んだ丸い飯櫃が届けられ、ランプの下での食事となる。
「面白いな! 自分で並べるんだぜ。」
「雪が融けて車が通れるようになればもっといろいろな献立ができるのだろうが、さすがにこの時期はシンプルなものだ。」
カミュの言う通り夕食はかなり簡素なもので、むろん刺身などは出てこない。 だいたい山奥でもどこでも刺身が出なくてはならない、というのは無理な要求で、その土地なりの食材で献立を作るべきだと思うが、俺の考えは間違っているだろうか?
「いや、正しい。 私もシベリアで手作りのイカ墨パスタや、ふきのとうの天麩羅を作ろうと思ったことはない。」
「論旨は正しいが、そのたとえはちょっと極端すぎないか?」
「そうか? しかし、事実だ。」
熱燗を頼んでおいたので、カミュにちょっと注いでやり、俺にも注いでもらって乾杯をする。
「せっかくのランプの宿なんだから、もう少し飲まない?」
「ん……ではもう少しだけ。」
早くも赤くなった頬を押さえながらそっと差し出す杯に半分ほど注いでやると、困ったようにしながら唇を形ばかりつけた。
「俺と離れていた間は、まったく飲まなかった?」
「むろんだ。 私には飲む理由がない。」
「ふうん……つまり、今は飲む理由があるんだ。」
「それは……お前が酒を注文したし…」
「そして、飲ませようと思って俺が注いでやるし、それにさ…」
「……え?」
「わずかしか飲めないお前でも、アルコールが入ればさすがに心の箍 ( たが ) が少しはゆるむ。 このあとで俺に抱かれるにはそのほうがいいと自己判断してるんじゃない?」
「そんな……」
ほんの思いつきであてずっぽうに言ってみたら、みるみるうちにカミュが頬を染めてうつむいてしまったのには、言ったこちらが驚いた。

   ……え? ほんとなのか?
   ふうん……そんなに期待されちゃ、俺としても考えないわけにはいかんな

なんとなく妙な雰囲気になり、言葉少なに食事を終える。木箱に皿などを片付けて廊下に出しておくと片付けに来てくれるそうなので、あとは自分たちでフトンを敷くだけだ。
「…ええっと。 この座卓は、どうしたら……?」
離れはいうに及ばず、今まで泊まった宿は、狭いところでもせいぜい座卓を端に寄せればフトンが敷けた。 しかし六畳間では……?
「こうするとコンパクトになる。」
すいっと座卓の端を持上げて裏を覗き込んだカミュが、手で倒れないように支えながら4本の足をパタンと内側に倒してしまった。
「あれっ、そうなってるのか!」
「日本家屋の畳敷きの部屋は、西洋の概念とは違って居間・食事室・寝室等の機能を兼ねることができる。 そのため、足を折り畳む形状の机が考案されたのだろう。」
「すると、これもモバイルってわけだな」
十二宮の誰が、机や食卓を動かしてその場所に寝ようとするだろう? 居間と寝室と食堂が別の部屋なのは当たり前で、誰も疑問には思わない。
感心しながら畳んだ座卓を壁に寄せ掛け、自分たちでフトンを敷いて、することもほかにないので早々に横になる。 廊下に人が来て器の入った箱を持上げると去ってゆく気配がした。

   それにしても、ほんとに小さい部屋だな……
   十二宮にはこんなに小さい部屋はない、文化の違いっていうのはたいへんなものだ

この部屋には床の間もなく、襖二枚分の押入れがついていて寝具はその中におさまっていた。 古い造りのようで隣の部屋との境は襖になっており、開け放せば十二畳の細長い部屋になるのも西洋の概念からは大きくかけ離れているのだった。
「ふふふ……」
「なにを笑っている?」
「だって、隣との境は襖一枚なんだぜ、まるで黄門様ご一行が泊まる宿みたいじゃないか。」
「なるほど、それは確かに。」
「廊下との境も障子だし、少々風が入ってくるようで寒いが、昔の日本の風情を体感するにはもってこいの宿だ。 だが欠点もある。」
「欠点とは?」
「だって、考えても見ろよ、隣とは襖一枚隔てただけなんだぜ? 若い夫婦ものの隣に独り者でも入ってきた日には、ちょっとまずいんじゃないのか?」
「あ…」
そこまで考え及ばなかったカミュが真っ赤になるのも可愛いものだ。 ちょっと面白くなって、もう少し言ってみる。
「それでも久しぶりの逢瀬だとしたら、隣に気を使ってなにもしないというわけにもいかないだろう。 初めは遠慮して気配を抑えていたのについ夢中になって隣りの客に気づかれてしまい、聞き耳を立てられるというのもよくあることだ。」
「ええっ!」
「というのは時代小説によくある話だ。 俺とお前のことじゃないから安心して。 だいいち、今日の泊り客はほかにはいない。」
くすくす笑うと、カミュの方はだいぶ鼓動が高まったらしく赤い顔をしているのが面白い。

この部屋の暖房は四角い灯油ストーブで、それを部屋の隅に寄せて一晩中つけておくのだそうだが、シベリアで暮していたカミュはすぐに火を消してしまった。
「こうした開放型のストーブは室内の空気を汚し健康によくない。 つけておくなら戸外の空気を取り入れる必要があるが、いささか寒すぎよう。」
「暖房がなくても俺は別にかまわないぜ、お前を抱いて寝れば、暖かいことこの上ないからな。」
「え…」
ぽっと頬を染めたカミュを引き寄せ軽い口付けを与えてゆくと、たちまち洩れる甘い吐息はすでに先を予感しているかのようで、俺の想いを刺激する。
「カミュ………もっとこっちへ…」
「あ…」
浴衣の襟をすっとゆるめて唇を落としてゆくと、先ほどの湯の温かさの残る肌はすでにほんのりと桜色に染まっていて美しい。 感嘆しながら唇を進めていくと、やわらかな灯りに照らされたカミュは恥じらって顔をそむけてしまう。 天井のランプは真下には光を落とさないのでカミュの身体は半ば影に隠れているのだが、夕方からこの明るさの中で過ごしていれば見えないものなどありはしない。
幸い部屋にはまだ暖かさが残り、布団を脇に押しやっても寒くなどはないのだ。
「久しぶりの逢瀬だ………ゆっくり楽しませてもらおうか…」
相変わらず顔をそむけている耳元をくすぐるようにささやいてから、俺を待ち焦がれていたに違いないカミュを思いのままに扱ってゆくことのなんと嬉しく心躍ることだろう。 浅くあえぐカミュのそのしなやかな手が俺の首にからみつき、切なそうに目を閉じて甘い仕打ちに歓びを抑えかねているさまは、俺が毎晩夢見ていた通りのいとしいカミュそのものだ。
「………どう? 俺にこんなふうにされたかったって、告白してくれていいんだぜ。」
もっと恥じらわせようと思って言ってみた。 言葉もなくうつむくものと思いきや、
「その通りだ………どれほどこの日を待っていたことか……」

   ………え?

カミュの予想外の反応に、俺は思わず手を休めて耳をそばだてる。
「ああ……ミロ…………もっと………もっと…」
途切れ途切れに返される言葉に微笑まないではいられない。
「望み通りにしてやろう……たった一人で銀世界にいたお前へのご褒美だ………あらん限りの愛で包んでやろう…」
熱い唇を重ね、流れる髪を梳きながら抱きしめていけば、歓びに震える肌が俺を桃源郷に誘い込む。
「愛してる……こんなにこんなに愛してる…」
「私も…」
外は風が出てきたようで、窓をかたかた言わせながらすこし隙間風が吹き込んできた。

   風と雪とランプと……シベリアの夜もこんな感じだったか……
   愛する土地は違っても、俺とお前は変わらない

せがむカミュを暖かくくるんでから、俺はもう一度口付けていった。