「 雪 花 」( せっか ) その1
ミロは短期決戦を好む。
もともとそういう性格だし、黄金聖闘士という圧倒的な力量がそれを可能にさせるのだ。
今度の任務も一日か二日で片付くと考えていたのだが、案に相違して1週間近くもかかったのはミロにはたいそう不本意だった。
それでもじりじりする気持ちを抑えて慎重にことを運び大過なく終わることができたのは、ひとえに聖域にいる待ち人のことを考えたからにほかならない。
完璧に任務を終えての帰還がその後の喜びを倍加させるのは当然なのだった。
日暮れてから聖域に立ち戻ると雑務、といっても教皇庁への帰還報告を雑務といっていいのかはいささか問題ではあるのだが、ともかく今のミロにとっては雑務としか思えぬ用事を片付けるとその足は天蠍宮に向う。
宝瓶宮のひそやかな気配には目をつぶって早足で通り抜け、自分の宮に飛び込むと心ゆくまでシャワーを浴びた。
血の匂いも汗の匂いもすっかり洗い流してからでないとカミュを抱ける筈がないではないか。
ミロにとって神よりも神聖だったカミュを我が物にしたのはついひと月ばかり前のことで、いまだ初々しい恋人はひたすらに恥じらうばかりでミロのふるまいに頬を染めて震えることしかできぬのだ。
「カミュ………俺のことが好き?」
そう聞けば小さく頷いて、ミロの背に回した手に力がこもる。
「キスしてもいいか?」
べつに許しを求めなくてもよいのだが、あまりの清廉さに訊かずにはいられぬミロがそうささやくと、花の唇が震えて甘い吐息が洩らされる。
「抱かせて………」
その言葉だけで白磁の肌が薄紅に染まり、きれいな目が潤んでくるのがミロには嬉しくてたまらない。
初めての夜から一夜も欠けることのなかった逢瀬が今回の任務で途切れたときはそれはそれはつらかったものだが、過ぎてしまえば宝瓶宮はすぐ手の届く場所にある。
逸る気持ちを抑えてミロが扉を押し開けたときには、満月を数日後にひかえた月が空の半ばに昇っていた。
カミュ………
もはや我が寝室も同然の慣れた扉をそっと開くと、ベッドサイドに仄かな灯りがともされて、いかにも慕わしい空気が部屋を満たしていた。
二日ほどだった当初の予定が一週間にも伸びてしまったことをどんなにか気にかけていることだろうと思い、まず抱きしめて遅参の詫びをささやこうと考えているミロがそっとベッドに近寄った。
たとえ眠っていたとしても、自宮の中に人の小宇宙を感じられない黄金など、いはしない。
ましてやそれが、初めての愛を交わした相手なら、それこそ表のノブに手がかかっただけでも気付かぬということはないのだ。
ベッドに伏せているカミュの気配がやさしく動く。 枕ぎわにゆるやかに流れる艶やかな髪が、苛酷な闘いを経てきたミロの心を和ませる。
かすかな身じろぎに胸を弾ませたミロがそっとかたわらにすべりこみやさしく抱きこんでゆくと、カミュが小さな溜め息を漏らした。
「カミュ………こんなに長く待たせてすまなかった………ついさっき帰ってきたところだ」
「ミロ………」
かすれた声で名を呼ぶカミュはいつもよりも恥じらっているのか、抱かれるままに自分の胸に手を合わせたままでいてミロの背に手を回すことさえしないのだ。
「………淋しかった? 俺のこと、待っていてくれた?」
ミロが抱き寄せた身体は少し冷たくて、それがミロに独り寝の切なさを思わせた。
「お前を思って一人で眠る夜は長かったよ、でも、それももう終わりだ。 これからはまた一緒にいられるから………安心して、俺のカミュ………」
「逢いたかった………私もミロに…」
ささやくようなカミュの声が甘く響き、ミロはもう我慢することをやめた。
「あ…」
熱に浮かされたように白い肌をいつくしむミロは、夢にまで見たカミュの肌身のしなやかさ滑らかさに我を忘れずにはいられない。
こんなに………こんなに美しかったろうか、カミュの肌は………!
なんという手ざわり、なんという素晴らしさ!
遠い地でひたすらに恋焦がれていたカミュの唇が頬が肩が胸が、それを目の前にしたミロの想いを誘い出し夢中にさせてゆく。
「カミュ………カミュ………こんなにこんなに愛してる………!」
「ミロ………ミ………ロ…」
荒い息をつき目を閉じたカミュは言葉もなくミロの腕の中で翻弄されて、幾度も感極まって目を潤ませる。
毎夜思い描いていた甘美な時がミロの心を舞い上がらせて時の経つのを忘れさせたのも無理はない。
そんなとき、月が高く昇って高窓から照らされた露わな肌が雪のように見えてミロをどきっとさせた。
こんなに………こんなにカミュは白い肌だったろうか
あまりに美しくて あまりにきれいすぎて とてもこの世のものとは思えない
思わず口付けてゆくと、滑らかな頬も花の唇も、雪の精のようにひんやりとミロの唇を迎えてくれた。 ミロの愛に恥らって顔をそむける有様がいかにも初々しくて、自分からは恋人の身体を引き寄せることさえできないつつましさがミロを喜ばせた。
思えばそのときにミロは気付くべきだったのだ。
あれだけ重ねて愛されていれば、いかに白い肌でも紅に染まっている筈だということを。
あれほど愛をささやかれれば、いくら慎ましやかなカミュといえどもその身に熱を帯びる筈だということを。
その白く冷たい肌を、水と氷の聖闘士であるカミュの象徴だと考えたミロが未熟だったのだ。
ふたたび肌を合わせていつくしみ始めたミロがあまりの心地よさに我を忘れはじめたその時だ。
「あ…」
息づかいともとれそうな小さな叫びを残して、ミロの首にゆるやかに絡められていた白い腕が力なくしとねに落ちた。
なんの予兆もない急変にミロの心臓が凍った。
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