その2  推理

「ミロ………ミロ…」
数え切れないほど俺の名を呼ぶカミュはよほどあのことが気になるのだろう。 俺にひしとすがっていて、疲れているだろうに寝ようとはしないのだ。
「大丈夫だよ、ここは天蠍宮だ。 俺がずっと起きているから安心して眠ってくれ。」
「ん……」
首をすくめて俺の胸に顔を伏せるカミュはそれでも心配そうなのだ。 当然といえば当然で、眠りについた後いつの間にか襲ってきたものに意識を奪われ、俺と信じ込んだままに時を過ごしてしまったのだ。 それがこの1週間足らずの間に三度も起こったのだから眠ろうとしても眠れないというのが実情だろう。
「では、なにか話をしていよう。そのうちに自然と眠くなるものだ。」
「…だと良いのだが。」
「眠れるさ。 俺の胸は揺りかごだから。」
そう言ってカミュを揺するとやっと笑顔が見えた。 しばらくそうしていたがやはり不安がよぎるのだろう、
「ミロ………私は……ミロ……」
ほんとうは、怖い、と言いたいのだろうがさすがに聖闘士のプライドがそれを許さないのだろう。 口を閉ざしてうつむいてしまう。
「大丈夫だ………大丈夫だよ、カミュ………俺がいるから、なにも心配しなくていいから………」
震えるカミュが切なくてそれしか言えなかった。 やがて眠るだろうカミュを抱きながら考える。

カミュに悪戯を仕掛けたものが物の怪とか怪異といった類のものならよいのだが、仮に聖域の誰かの仕業だとすると事は面倒になる。
俺とカミュの逢瀬を覗き見られるだけでも言語道断なのに、そいつはカミュの身体に触手を伸ばし、俺と思わせた上でさんざんな目に遭わせてくれたのだ。 それも一度だけでは飽き足らず三度にわたってだ。
今後もいつやってくるかも知れず、またそうでなくても昼間どこかでカミュを見かけるたびに、クールな表情の陰に隠された艶めいた姿を思い浮かべ舌なめずりして嗤っているかも知れぬのだ。 極めて不愉快だし、当のカミュにとっては恐怖と恥辱以外の何者でもないだろう。

誰がカミュを狙ったか?
俺を標的にせずカミュを繰り返し狙ったということは攻め的性格を持つ者に違いないのだが、そもそもカミュのような素質を持つものが少ないと思われるのでこれに関しては容疑者を絞れない。では手段から考えてみるのはどうだろう。
実体がないのにカミュを抱いて、俺だと思わせることをしてのけたのだ。 これは普通に小宇宙を操ればできる技とは思えない。実際にやろうと思っても俺にはとても無理だ。
では、テレキネシスはどうだろうか。
以前ムウに聞いたことがあるが、物体を動かすことはできてもその感触まではつかめないという。
「同じ大きさの鉛と木材を動かすとします。 鉛の質量は木材よりはるかに大きいのでより多くの 『 力 』 を必要としますが、木材の場合はそうではありません。 両者の違いは質量だけであって、質感や温度差などは私には感じられません。手でさわるのとは根本的に違います。」
くり返し訪れた犯人がカミュの肌触りや反応に快感を感じていたのなら、テレキネシスではなくもっと違う概念を使ったとしか思えない。 そして、隣りにいた俺がなにも異常を察知できなかったことから考えると………。
異次元技だ!
それに違いなかった。
異次元技を持つものは白銀にはいない。 ましてや青銅やそれ以下の者は論外だ。考えたくないが黄金の中で考えざるを得ないのだ。 策を練れば現行犯を捕らえることはできるだろう。しかしその先が問題だ。

恋人を辱められたからといってその報復として命を奪う事などできはしない。 誰しも心情的には同情し、気持ちはわかると言ってくれるだろうが、こんな私的なことで黄金を減らすことには賛成してくれないだろう。 俺もそれには二の足を踏む。
そして、仮にそいつを誅してもその相手が誰だったかを知ることによりカミュの傷は永久に残る。 今の段階なら加害者を姿の見えない存在と認識しているから恐怖と不安が先に立っているが、ひとたび実行者が特定されたなら自分に忌まわしい行為をした相手が具現化し、仕掛けられた行為がリアルなものになって迫ってくるのは明白だ。 その結果、幼いころから知っていた者がそのような行為をしたことに苦痛を覚え、知らぬこととはいえそれを誘発したおのれを責め、そしてアテナとともに地上を守る黄金をあまりにも私的すぎる理由で一人減らしたことを悔いて一生を過ごしかねないのだった。
では、加害者を八つ裂きにしてやりたいのは山々だが現実としてできることではないので、半殺しの目に遭わせて土下座して命乞いをさせたあとで二度と余計な手出しはしないと誓わせたとするとどうなるか?
カミュとの秘事を擬似体験した人物がこの先もずっと十二宮にいることになり、それはカミュを恥辱と苦痛の極みに追い込んで宝瓶宮から一歩も出ないようにさせるだろう。 ついにはシベリアに行ったまま戻ってこないだろうことが容易に予想される。
できることなら怪異・物の怪であって欲しいが、アテナのお膝元であり、かつて一度もそんなことのなかった宝瓶宮でこのような不確かな異変が起きるとは考えにくいし、カミュに仕掛けられたあまりにも卑劣な行為は人為的なものだとしか思えない。黄金が犯人だったらすべては終わるのだ。

考えた末に老師を頼ることにした。
むろん他の黄金のことも考えてはみた。 例えばサガの実力は圧倒的で実行者を捕らえるのは容易いだろうが、なにしろ異次元技を操れるのだ。 まさかとは思うが念のため除外することにした。 アフロの人柄は大いに信頼しているが、あまりに年が近すぎて俺たちのことを言うにはさすがに気恥かしさが先に立つ。 いろいろ考えてみると難しい。
その点老師ならば酸いも甘いも噛み分けたお人柄なのはわかっている。 こういう色事の話は年配者が相手の方が話しやすいのだ。 二十歳の俺たちの関係など、はるかに年下の若輩のままごとにしか見えなくて微笑ましいと思ってくれそうだし、実力的にもたいていの相手なら文字通り赤子の手をひねるようなものだろう。
というわけで意を決して久しぶりに天秤宮に行き扉を叩く。
「なんじゃな?」
「あ……」
気軽な返事とともに扉を開けてくれたのは聖戦を生き抜いた伝説の聖闘士、童虎だった。