その4  方針

「するとカミュが呼んでも、聞こえなかったのじゃな?」
「はい。 精一杯叫んだそうですが、なにも聞こえませんでした。 カミュの声に気がついたのは……あの…すべてが終わってからです。」
俺は、怪異の気配が完全に消え失せてから、という意味で言ったのだが、童虎はそういう意味には取らなかった。
「そう正直に言わんでもよい。 そうか………カミュも気の毒なことじゃったの……」
「………え?」

   あ………もしかして俺の今の台詞を違う意味に取ったのかっ?!
   違う〜〜〜っ、俺はそんな意味で言ったんじゃなくて!
   でも、今さら訂正したら、かえってみっともないんじゃないのか?

つい頭の中にあらぬ映像を思い浮かべてしまい顔が赤くなる。 それをまた童虎に見られてしまい、こんどは耳まで赤くなる。

   あ〜〜………俺がいま想像したことを童虎、いや、老師も絶対に想像したに決まってる
   カミュが知ったらなんと言うか………

「結界は張っていたのか?」
「は………室内だけです。 まさか、あの………今度のようなことがあるとは思いもしなかったので、室外からの干渉を防ぐというよりは室内の気配を外に洩らさないようにするといった程度のもので………ぁ……」
室内の気配。 それすなわち、俺とカミュの艶めいた会話やその他諸々の物音、及び、濃い色に染まった小宇宙などのことである。 言ったそばから、そんな恥かしいことを想像されているのかと思うと気が遠くなる。 幸い、そこは年の功で童虎は顔色一つ変えなくて俺をほっとさせる。 アフロやサガだったらこうはいかなかったろう。
「ふむ………しかし、寝入ったあとは結界を解いたのであろう?」
「はい、それはたしかに…」
「そこにつけ入れられたのかのぅ? 怪異にせよ人為的なものにせよ、この聖域でよからぬことがあるというのは看過できぬ。 事がおおごとになれば畏れ多くもアテナのお耳にも届きかねん。」
「えっ!」

   冗談ではないっ!!
   アテナに知られるくらいなら、この場で老師に懺悔して何もかも打ち明けさせてもらうっっ!

「それは困ります! このミロ、どのようなことでもいたしますのでなにとぞご内聞にお願いします!」
気分的には平身低頭したいくらいである。 ここが和室であったら畳に頭をすりつけていたに違いない。
「わかっておる。 おぬしも嫌じゃろうが、そんなことになればカミュは即座にシベリア永住を決意するからのぅ。」
俺が怖れているのはそれなのだ。 
この件の解決についても、俺に任せてほしい、と言っただけで、老師に相談するなどとは一言も言ってはいない。 それだけでカミュが閉じこもって出てこなくなることは明白だ。
「ともかくカミュにこれ以上ダメージがないようにしませんと。」
「うむ、まずこれ以上襲われぬこと。 そしてすべてが明らかになったときにショックを受けぬようにすることが肝要じゃな。でないと宝瓶宮が無人となり、おぬしも今後つらいことになる。 それはなんとしてでも避けたいものじゃ。」
「は……あの、犯人の目星は……」
「それはなんとも言えぬ。 ただ、おぬしの話を聞いた限りでは………いや、わしの推測に過ぎん。 言う段階ではない。それよりも今後の方策じゃが。」
やはり老師も人為的なものと考えているらしい。 怪異であればその原因が取り除かれればほっと安心するのに、すべてが明らかになったときにカミュがショックを受けぬようにするということは、これが人為的なものであると半ば肯定しているも同然なのだ。
「今日からは天蠍宮におると言ったな。」
「はい、宝瓶宮はカミュがちょっと……」
「では、天蠍宮でこれまで通りに過ごせ。」
「………あの……これまで通りといいますと?」
「なに、特別のことはない。 夜になったらカミュを抱いて過ごせ。 それとも昼間もそうしておったか?」
「………そ、そ、そ、そんなことはっっ!」
「夜だけか?」
「もちろんですっ!」
稀に例外もあるが99%までは夜なのでつい力いっぱい肯定してしまい、気絶しそうになる。 たしかにアテナに知られるくらいなら何もかも告白するとは思ったが、夜にカミュを抱いています、とはっきり認めるのは恥かしすぎた。 俺の心理的ダメージもそうとうなものだ。
「昨夜に続いて今夜も来るとは限らぬが、用心に越したことはあるまい。 わしが見張っていて、彼奴がやってきたらひっつかまえてやるゆえ安心するがいい。 現行犯じゃ。 否応は言わせぬよ。」

   ………見張る?
   ………それに、現行犯って?………え?

「お前がカミュを抱いて、そのあと眠ったところを見計らって襲われとるのじゃろ。 どちらも疲れておるから狙いやすかったのじゃろうな。 同じ状況を作ってやれば彼奴は必ずやってくる。 昨日はカミュが異常に気付き騒いだゆえ、ほとぼりが冷めるまで手は出さぬかも知れぬが、三度も来て味を占めとるからの。 よっぽどカミュが……いや、これは余計なことじゃな。 いずれそのうち天蠍宮にも現れる。 また、そうでなくてはつかまえられなくてこちらも困る。 今夜から天蠍宮に泊り込むゆえ、そのつもりでおれ。」
「しっ、しかしっ!」
「捕らえられぬでも良いのか?」
「………いえ……それは困ります……」
「結界は今までと同じに張るがよい。 なあに、気にすることはない。 わしももう年じゃ。 若い者のプライバシーに踏み込むような真似はせぬ。 そんなことより今までどおりにカミュをいたわってやるがよい。 かなりダメージが大きそうじゃからの。」
「は………」
「彼奴がいつ来るかはわからんのう。 一週間や十日位はかかるかも知れぬ。 退屈しのぎに定石の本でも持ってゆくことにしようかの。」
気絶しそうな方針が立てられて絶句する。 老師が部屋の外に居るのがわかっていてカミュを抱かねばならぬのだ。 いくら結界を張っているから気配が洩れないといっても、聖戦を生き抜いた童虎のことだ。 俺如き若輩が張った結界などなんの効果もなくて中の様子を察知できたりして!おそらく老師にはそんな気はないだろうが、俺とカミュが中で何をやっているか、つい思い浮かべてしまうだろうことは想像に難くない。
そう思うと顔から火が出そうだが、といってほかにどうしようがあるというのだ?
相談の結果、カミュがおよそ行きそうにもない裏手の部屋に老師が滞在し、夜になって俺が結界を張ったら寝室の近くで待機する。 そしていよいよ結界が解かれたら犯人を待ち受けるということになった。
むろん老師は気配を完全に絶っているのでカミュにも気付かれることはない。
「うむ、完璧な作戦じゃな、腕が鳴るわい! 必ずつかまえて見せるによって安心するがよい!」
「は………では戻りまして、お泊りになる部屋の準備をいたします。 」
「うむ、夕方までには行こう。 ………それまでは抱かぬであろうな?」
「もちろんですっっ!!」
「はは、冗談じゃよ。 若い者は可愛いのぅ。」
「………」
ほんとに老師にはかなわないのだ。