その5  日常

「ミロ………」
しなやかな腕が俺の首に絡められる。 やさしく応じてやりながら、つい周りの気配を探ってしまうのも当然だろう。

   今日で三晩目か………いつになったら終わるんだ?

老師が天蠍宮に滞在を始めてから俺たちの夜は様変わりである。 最近のマイブームはワイルド系だったのだが、立て続けにカミュが何者かに不快な目に遭わされてしまったためそれにはやはり二の足を踏む。 おまけに老師の存在がある。

   ワイルド系はやや強力だから、万が一にも結界から外に小宇宙が滲み出したら見え見えだ!
   いくらなんでも老師にそんな気配を悟られるわけにはいかんっ!

カミュの方もあの経験を思い出させるような台詞や仕草は避けているので、これまでとは一転してやさしい情緒あふれる逢瀬が続いているのだった。 要するにソフト & マイルドということである。
それはそれで基本路線だからいいのだが、困るのは日中からカミュが俺にしっとりと寄り添う傾向が顕著だということだ。 ともかく不安がぬぐえないらしく、長椅子に座っていれば肩に頭をもたせかけてくるし、ワインを飲めばさりげなく口移しを望んでいるのがありありとわかる。
今までならなんということもなく自然体で応じていた愛の仕草の一つ一つが老師の観察の対象になっているのではないかと思うと気が気ではないのだが、むろん、これらの細やかな愛情の交流のたびに結界を張ることなどできるはずもない。
夜に結界を張るのはずっと以前から俺の役目と決まっているが、むろん結界を張ったことはカミュにも容易に感じられるので、いままではフリーだった日常のちょっとした愛の交歓にいちいち結界を張ったりしたら不審を持たれること受けあいなのである。
「ミロ………」
「ん……」
まさか、よせ、とも言えずさらりと応じてやるのだが、いったい老師はどこまで気付いていることか。 俺としては定石の本の東洋の神秘的奥深さにすがりたいところだが、年寄りの好奇心がそれに打ち勝つ可能性も高いのだ。 老師には、夜しか抱きません、と大見得を切ったが、気がついてみれば抱擁や軽いキスは日常茶飯事だった。 そしてもっと予想外のこともあった。
老師の密かな監視の元での最初の晩が緊張のうちに明けてとろとろとまどろんでいたとき、カミュがすり寄ってきたのだ。 無意識に抱き寄せながら甘い口付けを交わし艶やかな髪の感触を楽しんでいると、カミュがそれ以上のことを求め始めたではないか。 色めいた感覚が攻め寄せる。

   おい、待てっっ!! 老師に感知されるっ!

ドキッとして慌てて結界を張ろうとし、いやいや、朝っぱらからそんなものを張ったら老師になにをやっているか悟らせるだけだっ、と思い、しかし張らなければ丸見えだっ!とおおいに焦る。 結局、結界を張ったのは10秒ほど経ってからで、心拍数は上がるしカミュの甘い吐息は首筋にかかってくるし、それまでの色濃い小宇宙が老師にわからぬはずはないとおおいに落ち込んだ。
「ミロ………ミロ…」
甘い誘いかけは実に嬉しい。 控え目なカミュには珍しいことで、いかに俺を頼り愛しているかの証しではあるのだが、老師が、ほほぅ………夜だけではないのじゃな、と思うのは明白だ。

   あ〜〜、もう一生 頭が上がらない………何もかも知られたような気がする
   考えてみれば、夜も抱いて朝も抱くのが俺たちのパターンだった………

ひそかに溜め息をついている間もカミュのやさしい手が唇がもっともっとと誘いをかける。

   おいおい、そんなことを………!

こうなったらしかたがない。 開き直ってカミュの望みに応じることにした。 どうせ知られているのだからと諦めて、結界を張ったのをいいことに朝のカミュを楽しんだ。
朝には朝の良さがある。 俺を見詰める蒼い瞳はどこまでも澄み切って清らかで、紅に染まった頬は明るい日の光の中でこそ美しい。 もう二度と誰にも渡さない。
「愛してる………俺のカミュ……」
「ミロ………」
そうして心ゆくまで愛してやったので結界を解いたのは一時間ほどたってからになり、定石の本を開いていた老師を感心させ半ば呆れさせたのだった。