◆ 第十章 昼寝
昼寝をするという案に我ながら感心していた俺が考えていたのはカミュと手をつないで寝るとか、なにかお話を聞かせてもらいながらその深くやさしい響きの声にうっとりと酔いしれることだった。
しかし、現実は俺の予想とは違っていた。
深く考えもせず自分の部屋に戻るのだと思い込んでいた俺が連れて行かれたのは隣りのカミュの部屋だった。
ええ〜〜〜〜っっ?!
なるほど、俺を預かっているつもりのカミュにしてみれば、自分の監督下で小さい子供を寝かせるのは自分の部屋であるべきなのだ。
「ここが私の部屋だよ。 さあ、入って。 ジョアン。」
俺の部屋の前を通り過ぎたカミュは、ドアを開けるとまず俺から先に入るように促した。
玄関先まで入ったことはある。 今朝のカミュが俺のところに来たようなものだ。 しかしそこから先は俺にとっては聖域で、インテリアとか家具の配置とか、几帳面なカミュがどんな部屋に住んでいるかは長い間の謎であり憧れだったのだ。
そこに今の俺が足を踏み入れようとしてる? それも目的は昼寝で、それはつまりカミュのベッドに寝るということで!! ああっ、心拍数が上がる!
「部屋の造りがミロのところとは反対、つまり裏返しのようになっているからちょっと変な気がするかもしれないね。」
どきどきしながら小さい靴を脱ぎ、端っこの方にきちんとそろえてから廊下を奥の方に進んだ。
行儀を良くしておかないとカミュに嫌われたら一大事だからだ。
机とベッドの位置は俺の部屋と正反対だがごく当たり前の場所にある。 ワンルームに水周りのついた寮の部屋は広さとしてはゆったりとしているほうだろう。 なにしろうちの学園は設備やメンテナンスの点でも一流なのだ。
壁には緻密なタッチの植物画が数枚掛けられ、実にセンスがいい。
二人掛けの小ぶりのソファの前にはこれまた品のいい木目のロウテーブルがあり、何冊かの本がきちんと積んである。
きれいに整えられたベッドカバーの美しい瑠璃色が俺の目を惹いた。 流麗なペイズリー柄でいかにもカミュにふさわしい。
こんなことでもなければずっと入れなかったかもしれないカミュの部屋のあちこちにどきどきしながら立っていると後ろからカミュの声がした。
「外から帰ってきたのだから、お昼寝をする前に手を洗ったほうがいいね。 洗面台はここだよ。」
ほんとに保護者になってるな、と思いながら俺の部屋とは逆の配置の洗面台に行く。
ハンドソープのボトルもかかっているタオルも、とても男一人の住まいとは思えないほどすっきりと整頓されていてカミュの好みを偲ばせる。
ふうん………ここまできれいに住んでるのか!
俺も片付けているほうだが、カミュの方がはるかに上を行ってるな………
元に戻った暁にはもっと気合を入れて掃除をしよう!
もともとが楽天的な性質なので、ずっとこのままだったら………という可能性は今日のところは考えないでおくことにした。 考えて元に戻るという当てがあるのなら別だが、わざわざストレスをためこむ必要はさらさらないからだ。
「あ………先にトイレに行く。」
図書館で行ってはいたが昼寝の前にも行くのが筋だろう。 どきどきしながらカミュの部屋のトイレに入ったが、動悸が高まったのもそこまでで、俺の思いはやはりほかのほうに飛んでいく。
くそっ、どうして俺がこんな目にっ!
第二次性徴はどこに行った??
どうしてガキの身体っていうのは、どこもかしこもこんなに小さいんだっ?
どうしても見慣れなくて愕然とするのは仕方がない。 ひそかに溜め息をつきながら手を洗い、部屋に戻るとカミュがミルクを暖めて待っていた。
「外は寒かったから少し暖まってからベッドに入るといいね。」
「うんっ!」
ほんとにカミュはやさしい! 小さい子供の世話なんかしたことがないだろうに、理性的な判断で過不足なく世話を焼いてくれるのはたいしたものだ。
「お砂糖を入れたほうがよかったかな?」
「う〜んと………そうする♪」
同じ台詞をムウが言ったのなら、 「虫歯になるからお砂糖なんか入れちゃいけないんだよ! 知らないの?」 と断固 突っぱねてやるのだが、カミュが親切にもそう考えてくれてるのに断るなんてことをする気はさらさらないのだ。 ミルクに砂糖なんか入れたことはなかったが、俺は喜んでカミュの提案を受け入れた。
「甘〜い♪」
「そう、よかったね!」
おい………こいつはいくらお子様のためでも甘すぎるんじゃないのか?
もしかして、加減を知らないとか?
それでもカミュが俺のために入れてくれたのだ。 この甘さが将来の俺たちの仲を祝福してくれることを祈って俺は一滴残さず飲み干した。
振り向くと、なんとカミュがシーツとピロケースを取り替えている!
「さあ、すっかりきれいになったから、ミルクを飲み終わったらお昼寝をするといい。」
きれい好きっていうのは褒めたたえるべき美徳だが、俺はお前の寝ていたベッドにそのまま寝たかった〜〜!
たった五歳の子供にそこまで気を使わなくても!
せっかくのお前の残り香が〜〜!
「ん………」
ちょっとがっかりしながらもぞもぞとベッドにもぐりこむと、それでもカミュの甘い髪の匂いがそこはかとなく漂っている。
俺の襟元にフトンをきちんと寄せてくれたカミュがお休みを言ってから机に向ったので一応は言ってみた。
「カミュは寝ないの?」
「私は大人だからお昼寝は必要ないんだよ。 ここで勉強しているからジョアンは安心して眠っていいからね。」
やさしく言ったカミュは俺に背を向けて椅子に座ると図書館から借りてきた部厚い本を広げた。
テレビも一応はあるものの、ニュースくらいしか見ないのかもしれない。
「あのね………夜はね………カミュと一緒に寝たいな。」
当然のつもりで甘えるように言ってみたら、カミュが驚いたように振り返った。
「でも、それまでにはミロが戻ってくるから大丈夫だよ、ジョアンは心配しなくて大丈夫。
今夜はミロと一緒に寝られるからね。」
あ………忘れてた〜っ!
俺は自分が当面は元に戻らないと決め込んでそれを前提として行動しているが、カミュはほんの夕方くらいまでの一時預かりの気分でいるに違いない。
カミュの後ろ姿をのんびりと眺めながらぬくぬくとベッドの感触を楽しむという絶好の機会を楽しむはずだった当初の予定は吹っ飛んだ。 何とかしてミロが戻らない理由を捏造しないと、生真面目なカミュのことだ、行方不明者捜索願いを所轄の警察署に出しかねんっ!
一心に勉学にいそしむカミュの後ろ姿を見ながら、俺は自分の失踪の論理的裏づけを探すのに必死になって頭をめぐらせていた。
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