◆ 第十二章  崩壊


子供というのはしかたのないもので、カミュの後ろ姿を見ながら幸せにひたっていた俺を睡魔が襲ってきた。 というよりもいつのまにか眠ってしまい、カミュに揺り起こされたのだ。
「………あれ?」
「ジョアン、そろそろ起きようか。 あまりたくさんお昼寝すると、夜に眠れなくなってしまう。」
「ん〜、抱っこする!」
本来は 「抱っこされる」 というのが正しいと思うが、俺が今まで見聞したところによると小さい子供はこう言うのではなかったか。
「おやおや、ジョアンはほんとに甘えんぼなんだね。」
やさしく言ったカミュは俺をひょいっと抱き上げてくれた。 成功だ!

   う〜ん、なんて気持ちいいんだ!
   あったかくってユラユラして気分は最高だぜ♪
   こういうのを抱っこフェチっていうのか?

満足してニコニコしていると、カミュの肩越しに壁に掛かっている植物画が見えた。 ホオズキやヒマワリの絵で小さい子供が興味を持つには向いている。
「あれ、見たい!」
指差すとカミュがそばに寄ってくれた。

   ………あれ?
   これって印刷じゃなくて肉筆みたいに見えないか?

「これ、誰が描いたの? すっごく うま〜い!」
「これは私が描いたのだよ、ホオズキとヒマワリは去年の夏で、こっちのヤマブドウは秋に描いた。」
「え〜〜〜っ、カミュがこれをっ! 知らなかった!」
「そうだね、ジョアンが知っているはずはないね。 まだ誰にも言っていないし。 」
驚きのあまりジョアン的ではない言葉が出てしまったが、幸いカミュは気にしなかったようだ。
あれほど成績がいいからにはかなりの時間を勉強に割いている筈だが、植物画をやっているとは想像もしなかった。 よっぽど効率よく勉強しているのに違いない。
「さあ、それよりもジョアンの服を買いにいこう。 夕方になると寒くなるから早いほうがいいね、風邪を引いたらたいへんだよ。」
「うんっ!」
寝る前に脱いでおいたムシキングの靴下をもう一度はくと、俺はカミュと手をつないで商店街を抜けて駅前まで出かけていった。 幸いなことに今度は誰にも出会っていない

「子供の服を買うのは初めてだからあまりよくわからないけど、このお店が良さそうだね。」
いつも通り過ぎていた店だがたしかに子供服専門店に違いない。 売り場面積がかなり広いので、ここなら俺好みの服がありそうだ。
中に入っていくと、カミュがいかにも慣れない様子であちこちを見ているのに気付いた年配の女性がすぐにそばに寄ってきた。
「いらっしゃいませ、なにかお探しですか?」
「この子の服を一揃いほしいんですが。」
「はい、冬物でよろしいですね?」
「ええ、下着も一緒に見立てていただけますか?」
「かしこまりました。」

しばらくするとてきぱきと店内を歩いていた店員が両手でたくさんの服を抱えて戻ってきた。
「少々お値段がよくなりますが、こういったお品物の方が縫製もよろしいですし、あとあとまで着られます。 ほかにお値打ち品もございますが、いかがなさいますか?」
「あ……この中から選びます。」
ほんとに日本語は曖昧・婉曲・ファジィな言語だと思う。
値段がいいとか、お値打ち品とか、高いんだか安いんだかさっぱりわからない言葉を駆使して会話が成り立つんだからな。
見てみると、そこに並べられたのはエル ・ ナイキ ・ アディダス ・ リーバイスなどのお馴染みのブランド品で、俺は今の今までアディダスやリーバイスが子供服を出してるなんて考えたこともなかった。
「こちらも子供服専門メーカーのお品で売れ筋ですが。」
もう一度売り場のほうから幾つかの品を持ってきた店員が広げてみせる。

   miki HOUSE ? 美樹の家?
   美樹って誰だ?  聞いたことがないな?
   ファミリア………これも知らないな、俺はクマには興味がない

「ジョアンはどれがいい? 好きなのはあるかな?」
「う〜んと………これがいい♪」
迷わずリーバイスのGパンを指差した。 恐ろしく小さく見えるがサイズは良さそうだ。
「では、これを。」
「あとは NIKE でいい。」
「詳しいんだね、ではみつくろっていただけますか?」
Tシャツやトレーナーや肌着や靴下を相談しながら選ぶとずいぶんな値段になった。 かなりの額にどきどきするが、カミュの経済状態が良好なのは普段の様子を見ていればわかるし、5歳のジョアンが妙に気を回すのも不自然だ。
「お洋服買ってくれて、どうもありがとう。」
カミュの手をひっぱってそう言うと、
「よかったね。 さあ、これで服は揃ったから、今日のご飯の材料を買って帰ろうか。」
にっこり笑ったカミュに頭を撫でられた。

「ハンバーグは好きかな?」
「だあい好き!」
実際に好きだし、カミュが俺のために作ってくれるものなら湯豆腐だろうとレバニラ炒めだろうと天上の美味だ。
挽肉や野菜をいろいろと買って帰ると、カミュが印刷したレシピを見ながら料理を始め、俺も言われたとおりに混ぜたりこねたりしながら二人でハンバーグ作りにいそしんだ。

   ふふふ………二人っきりでハンバーグか♪
   さながら愛のハンバーグだな………俺はぜひともお前が成形したほうを食べたいぜ♪

ほかにサラダとコーンスープを作り、食卓に着いたのは6時を過ぎた頃だ。 暖房が効いた部屋は十二分に暖かく、幸せ気分が増してくる。
「いただきま〜す!」
「うまく焼けてるかな? おいしいといいのだけれど。」
「とってもおいしいよ!」
本気でおいしかった。 レシピ通りに忠実に作ったハンバーグはジューシーで熱々でほっぺたが落ちそうになる。
「カミュのは僕が丸めたんだよ、おいしい?」
「ああ、とっても!」
俺の方が手が小さいので、大きさを見ればどちらが作ったものかは一目瞭然だ。
「こっちも食べてみるといい。」

   あ………

カミュが小さい一切れをフォークで刺して俺の口に入れてくれた。 おおにこにこで飲み込んで、お返しにカミュの口にも入れてやったのは当然だろう。

   二人でハンバーグの交換とはね♪
   ほんとに愛のハンバーグだっっ!!

すっかり満足した俺が後片付けを手伝うと、カミュが誉めながら皿を洗ってくれる。 ふふふ、ほんとに新婚夫婦みたいじゃないか♪ それにお楽しみはこれだけじゃない。
「それじゃ、お風呂に入って寝ようか。」
そう言ったカミュが浴槽に湯を入れ始めた。 もう、ドキドキである。 落ち着けっ、落ち着くんだ、ミロっ!
「一人じゃうまく洗えないだろうから一緒に入ろうね。」
「うんっ。」

   あ〜、俺、どうしよう!
   こんなことをして倫理的に問題はないだろうか?
   もしかして万が一、浴槽に抱っこされて入っているときに元の身体に戻ったりして??
   いや、そんなことがあるはずはないし、もしそうなったら、そうなった時のことだ
   テレビや漫画みたいに記憶喪失のふりでもするか?

ワクワクしながらパジャマの用意をしているとカミュの携帯が鳴った。

「もしもし………ええ、そうです。………………えっ! そうなんですか!………………でも………………はい、そのほうがいいですね………わかりました、できるだけ早く行きます。」

   ………え? なんだ?

嫌な予感がして胸がどきどきする。
電話を切ったカミュが俺の方を見てすまなそうに言った。
「急用ができてしまって、朝まで帰って来られないと思う。 ジョアンにはほんとにすまないけれど、ほかの人に預かってもらわなくてはいけなくなって。 よく頼んでおくから大丈夫だよ、用事が終わったらすぐに迎えに行くからね。」
「えっ……?!」
絶句している俺の背中をなぜながらカミュがどこかに電話をかけた。
「実は用事ができて今夜一晩留守にしなくてはいけなくなったのだけれどジョアンを預かってもらえないだろうか?………………そうだ………もう食事は済ませたし、あとはお風呂に入れて寝るだけだからだいじょうぶだと思う。………………ありがとう、恩に着る。」
安心したように溜め息をついたカミュが俺を抱き上げた。
「ほんとに急なことでごめんね、ジョアン。 図書館で会って一緒にお昼を食べたから、ジョアンも知っている人だよ。 よく頼んでおいたから安心して。」

   頼むっ、アイオロスだと言ってくれ!
   俺はアイオリアと一緒に風呂に入るんなら、諸手を上げて歓迎するぜ!
   風呂掃除でも台所片付けでもなんでも引き受けるから!
   アイオロスに こぶとりじいさん を読んでもらって、おとなしく天使のように寝るから!

   サガでもいいっっ、年上の魅力で俺を虜にしてくれてかまわないからっ!!
   この小さい手でサガの背中を流させてもらう!
   指圧でもマッサージでもなんでもするからっっ!

しかし現実は無情だった。
「ムウの部屋は隣りのB棟だ。 これから一緒に行こうね。」
世界は俺の足元から崩れ落ちた。