◆ 第二章 栄養ドリンク
夢を見てるんだ、きっと!
何度そう思ったかわからない。
時計を見るとまだ七時半で、カミュと約束した時間まではあと一時間半ある。
自分の幼い身体を検分することに見切りをつけた俺は、シャワーを浴びたらきっと目が覚める、と無理矢理思うことにして浴室にいった。
くそっ、シャワーヘッドに手が届かないっ!
これが現実だったら俺は泣くぜ!!
ちょっと考えてから、ホースの上の方をつかんで何とかシャワーヘッドを掛け金具からはずすことに成功したのは幸いだったが、シャンプーしていても手も小さければ頭も小さくて、自分で洗っていて心もとないのだ。
きっと元通りになる、絶対だ!
そう思いながらごしごしと身体を洗った。
熱いシャワーを頭から浴びて目を覚まそうと努力した。
小さい身体を隅から隅まで洗い、やけに大きいバスタオルで十二分に水気を拭き取った頃には、さすがに俺も不本意ながらこの現実を受け入れなければならないことを認識したものだ。
浴室の鏡に映る俺はどこからどう見ても五歳くらいの男の子で、筋肉と呼べそうなものは見当らず、まるっこい肩やふっくらした頬がいかにも子供らしい。
おまけに第二次性徴なんぞ、どこを捜してもありはしない。
屈辱だっ! これが屈辱でなくてなんだというのだっ!
あの男らしかった俺はどこに行った??
五歳なんて、男のうちには入らないっっ、 これがほんとうに俺なのか??
これからいったいどうすればいいんだっ?!
渦巻く疑問とこれからの不安を抱えながら部屋に戻った俺は、原因の追究もさることながら、まず衣服の問題を解決しなければならなかった。
裸ではどうしようもないし、頼りないことこの上ない。クローゼットを開けても五歳児の服なんてないのは火を見るよりも明らかだ。
困り果てたとき、クローゼットの隅にきれいにラッピングされた包みがあるのに気がついた。
「しめた!これなら着られる♪」
それはトラキアの親戚の子が学校に上がるというので、そのプレゼント用に早手回しに買っておいた服なのだ。
従兄弟のソティリオに 「 日本の服はセンスがいいから 」 と頼まれて、子供服なんか買ったことのない俺は首をかしげながら一人で六本木に行って、品のよさそうな子供服の店に入り、親切な店員の助けを借りてなんとか品物を選んでおいたのだが、まさか自分のために役立つとは思いもしなかった。
男の子用でよかったぜ!
もしも女の子用だったら………ああ、ゾッとする………
下着のないのがどうにも心もとないが、この際そんなことは言っていられない。
呆れるほど短い袖や小さすぎるような気がしたズボンに足を通すと、悔しいほどぴったりだ。
くそっ、嬉しいんだか、哀しいんだか、わからんな!
やっと服装がまともになった俺の思考は、こんなことになった原因と今後の身の処し方に飛んでいく。
ともかくこんな病気は聞いたことがないし、理由があるとすれば人為的なものに違いない。
そう考えたとき、ふと思い出したことがある。
もしかして………ムウのやつじゃないのか??
昨日の夕方、ムウの在籍する遺伝子物理学の研究室に立ち寄った俺に、
ムウが飲ませてくれたあの飲み物になにかあるとしたら………?
「これ、なに?」
「栄養ドリンクですよ。 有効成分としてアミノエチルスルホン酸、塩酸チアミン、リボフラビン、塩酸ピリドキシン、ニコチン酸アミド…」
「ああ、もういい、わかったよ♪」
そう言って気軽にぐいっと飲み干したあれになにかの薬物が入っていて、俺が新薬の臨床実験に使われたとしたらどうだろう………?
今から思えば、
「どうです?ミロ。 私の配合した味は口に合いましたか?」
などといって探るように見ていたのも怪しいではないか。
「う〜ん、普通の味だと思うぜ。」
と言ったら妙にがっかりしたように見えたのも、俺に何らかの変化が起こるのを期待していたようにも思われる。
仮にムウの仕業だとしたら、予想していなかったに違いないこの驚くべき結果に、やつは飛びついてくるに違いない!
「これはとんでもないことに! いいえ、あれはごく普通の栄養ドリンクです。
この私が徹底的に研究して、きっと元に戻れるようにしてあげましょう♪」
とか言って、俺の身体の血や細胞の検体を嬉々として採取して卒研かなんかにするに決まっているのだ。
ムウに飲まされた薬との因果関係なんて俺には絶対に立証できないのだから、訴訟される恐れもなく、やつには痛くも痒くもない話ではないか。
なにしろムウは、去年の夏に院生のサガが多重人格らしいことを知ると、半ば強引に被験者として研究室に軟禁状態にしてまで検査しつくし、その結果を論文にまとめ上げて精神衛生学会に嬉々として報告したという前科があるのだからな、油断はできんっ!
8歳も年上で異邦人大学始まって以来の天才との誉れも高いあのサガを口先三寸で丸め込んで意のままに操ったのだぞ!
そんなやつの毒牙にかかったら五歳の俺などひとたまりもない!
あのムウに知れようものなら、仮に俺の幼児化がやつのの 「 栄養ドリンク 」 になんら関係がなくても、同じ結果を招くに違いない。
成人が子供の肉体にメタモルフォーゼするなんていう世界中を震撼させるシチュエーションをあのムウが見逃す筈はなく、あんなやつに知れたが最後、俺の自由はないも同然になるだろう。
親切顔をして保護者を買って出たムウに身柄を拘束され、あちこちいじりまわされてやつの研究意欲を満足させるなんて絶対にお断りだ!
ムウへの疑問は棚上げにして、次に考えたのは今後の身の振り方だ。
ここに隠れていてもすぐに生活物資が底を尽くのは目に見えているし、異邦人学園高校三年生のミロの部屋に五歳の子供が出入りすれば怪しまれるのは必定ではないか。だいいち、日曜の今日と明日の創立記念日、そしてその次の建国記念の日はいいとしても、水曜の授業に出なければ、安否の確認のため部屋に人が尋ねてくるのは知れている。
風邪を引いたと電話しようにも、この声ではますます怪しまれるに違いない。
身元引受人がトラキアにしかいない俺がこの姿のままで当面暮らすとすれば、早晩誰かの保護下に入らなければならないのは明白だった。
誰かに助けを求めるにしても、この現状を話して、よき理解者として俺を助けてくれるのは誰だろう?
カミュに話したら、どうなる………?
カミュに頼るにしても、その際には余計な研究心など持たずに心底から俺を世話してくれるのでなければ実に困る。
真相を話せば、あのカミュのことだからひどく心配してうちの大学の付属病院に連れてゆき、親切心から俺を助けようとしてそれこそあらゆる手を尽くすかもしれなかった。
そうなれば相手がムウでなくても入院、検査のコースを辿るのはわかりきっている。
こんなことが報道されれば、世界中から学者やマスコミが駆けつけてきて大騒ぎになるし、病院側が報道管制を敷けば敷いたで、やはり俺の自由は奪われるだろう。
はっきり言っておくが、俺はそんなのはまっぴら御免なのだ。
しかし、真相を話さなければどうだろう??
五歳の俺の立場をうまく取り繕って説明し、カミュを納得させることができたら………
そこまで考えたとき、ドアのチャイムが鳴った。
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