◆ 第三章 カミュ
はっとして時計を見ると、もう九時五分前になっている。
一瞬、居留守を使おうかとも思ったが、どうせカミュとは会わなければならないのだ。
正体を明かして元に戻る方法を一緒に考えてもらうべきか、それとも子供として押し通すか、どちらとも決心のつかないままに玄関に向った俺は背伸びをしてやっとの思いでチェーンをはずすとロックを開けた。
まっすぐ前を見ていたカミュの視線が驚いたように下に向けられ、当惑の表情が浮かぶ。
「あ………君は………?」
俺の方もカミュの背の高さにびっくりしてしまい、すぐには言葉が出てこない。
五歳児からは大人がこんなに背が高く見えるなんて思いもしなかった。
「ええと………あの……」
そのとたんだ!
「 子供の頃のミロだ、 これは驚いた!小さい頃のミロにとてもよく似ているけれど、親戚の子なのかな?
」
カミュの手が上から伸びてきて、いきなり抱き上げられた俺がどんなに仰天したか察してほしい。
突然、視界の真ん前にカミュの顔が来て、その距離およそ10センチ! 俺を見ている蒼い目のあまりのきれいさに気が遠くなりそうになったとき、今度はぎゅっと抱きしめられて、甘い髪の匂いが胸いっぱいに広がった。
カ………カ、カミュ〜〜〜っっ!!!
そ、そんなことをされては俺は………俺は〜〜っっっ!!
「名前はなんというの? 教えてくれないかな? 私はカミュ、ミロの友達だよ。」
気も動転して心臓がバクバクいっている俺の耳にカミュの声がやっと聞こえてきた。
…名前っっ??!!
そんなものは考えてもいなかったぜ!
ええっと………早く言わないと怪しまれるっ!
ここに至って、カミュに正体を明かして協力してもらうという案は銀河の向こうに吹っ飛んだ。
もう、理屈もなにもない。 カミュに抱かれた陶酔感が俺を酔わせ、もっとこうしていたいという気を起こさせたのだ。
「あの……名前は…」
思いもしなかった質問にうろたえてあたりを見回したとき、壁にかかっている額に目が行った。
ジョアン・ミロ!
ジョアン・ミロはスペインの画家で、同じ名前なのが面白いといって、去年の誕生日にアフロディーテが贈ってくれたのだ。
「ジョアン………っていうの。」
子供のしゃべり方は難しい。 五歳くらいの子はどんな言葉を使っていただろう?
幸い、声はいかにも子供らしいのでおそらく問題ないだろう。
「いい名前だね、ジョアン。 それでミロはどこにいるのかな? 君はミロの親戚なの?」
カミュが俺の身体を揺らしながらやさしく聞いてきた。 子供相手のせいかにっこりと微笑んでいて、そんなカミュを見たことがなかった俺をどきどきさせる。
「………ええと、どっかに出かけたけど、どこだかわかんない。」
そうだ、これに限る!
たった五歳の子供が大人の行動をすべて把握している必要はないんだからな!
五歳から見れば、十七歳のミロは大人に違いない!
あとの推理はカミュに任せよう
その推理があまりにも俺に都合が悪いときには、ちょっとした思い出しをして軌道修正すればいい!
ええと、それから俺とミロとの関係は??
親類に決まってるから………そうだ!
商用で日本に来たソティリオ夫婦が俺に子供を預けてあちこちを見て回ってるというのはどうだろう?
ワインの輸出ということだったらありそうなことだ。
幸い、カミュには従兄弟の子供に服を買ってやった話だけはしてあるからな、
ソティリオの名前も知ってるはずだし、かなり信憑性が高いんじゃないのか?
それにしても、一緒に服を買いに行かなくてよかったぜ♪
入学祝いの品をいま着てるんじゃ、理屈に合わないからな
「それで、ミロは君の……おじさんなのかな?」
俺の返事が遅いのでカミュが重ねて聞いてくる。
おじさんっ……?!
それはたしかに、ソティリオの子から見れば俺は叔父といってもいいだろうが、カミュの口から言われると違和感100%なのだった。
「う〜んと、僕…のお父さんはソティリオっていうの。」
「ああ、やっぱり! で、日本には遊びに来たの?」
五歳の子供だったら、たぶん 「 僕 」 というのだろうと思う。 俺というのはちょっと向いてないような気がするし、たぶんカミュの好みにも合わないように思われた。
それにしても次から次へと質問が飛び、気の休まる暇がない。 カミュに疑念を抱かせないようにして俺の存在を受け入れてもらわなければならないのだから、ここはもう一頑張りだ。
「お父さんとお母さんはワインのお仕事で日本に来ていて、その間ここで待ってるの。」
「ああ、なるほど! まだ小さいのに、一人で偉いね!ところで私はミロと図書館にいく約束をしていたのだけれど、ミロが何時ころ出掛けたかわかるかな?」
あいかわらず俺を抱いているカミュは案外子供好きなのか、えらく優しく聞いてくる。
「ええと、あのね………」
……なんと答えよう?? そうだ、ここはやっぱり…!
「ん〜、よくわかんない。 」
「え?そうなの?」
ちょっと眉を寄せたカミュは俺をそっと降ろすと、なんと携帯を取り出した。
携帯っっっ!!!!
俺はさりげなくカミュのそばを離れ、見えないところまで来ると脱兎のごとく駆け戻り、できる限り急いでベッドの枕元の携帯を引っ掴んだ。
⇒