◆ 第二十三章 TDL 7 〜 イッツ・ア・スモール・ワールド 〜
イッツ・ア・スモール・ワールドというのは、ディズニーランドの創始者、アメリカのウォルト・ディズニーが思い描いた理想の世界を現わしているのだそうだ。
1964年のニューヨーク世界博覧会にユニセフから出展の依頼を受けたウォルト・ディズニーが、ユニセフの理念の
「平和な世界」 とは 「子供の世界」 であると考えて製作したアトラクションが元になっているのがこのイッツ・ア・スモール・ワールドで、ほんとに中は子供の人形であふれてる。
大人の姿は影も形もなくて、最初から最後まで世界各国の民族衣装を着た子供の人形が歌ったり踊ったりしている中を水路にしたがってボートが進む。
余りの量に圧倒されて男の俺としてはあきれるばかりなのだが、ここまで徹底すれば、それはそれで悪くもないかなと思う。
概観は水色やピンク、オレンジ、白なんかのきれいな色の城のようで、色調が押さえてあるのでくどい印象はない。
以前うっかり入って人形だらけだったのには唖然としたが、今日はジョアンとしてカミュと一緒に入るのだからまあいいだろう。
あのスペースのあとだから、ちょっとした癒しになるかもしれない。
元気にチュロスを食べたので、まさか抱っこしてもらうわけにも行かないだろう。
手をつなぎながら進んでいくと、行く手に目指す建物が見えて来た。
「ほら、あの建物がイッツ・ア・スモール・ワールドだよ。」
「わぁ、きれいだね! お城みたい!」
行列ができているというわけでもなくて、入り口に吸い込まれてゆく人の後についてゆくと通路にそってほとんど止まることなく進み、すぐにボートに乗ることができた。 どんどん歩いていたのだから待ち時間があるとは言えないだろう。
「なんだかプールみたいな匂いがするね。」
「そうだね、きっとこの水に消毒のための塩素が入れてあるんじゃないかな。」
「塩素ってなあに?」
「塩素とは…」
ここでカミュなりに子供向けに噛み砕いた塩素の説明が行なわれ、けっこうわかりやすいのには感心した。 研究者向きかと思ったが、案外、教師にも向いているんじゃないのか?
ここのボートは一度に20人くらいが乗れる。 空いているのでほどよく間を空けて乗り込んだ。 ちょっと暗いトンネルを抜ければそこから先はもう子供の世界だ。
「わぁ〜、こんなにたくさん!」
わかってはいるものの、ともかく人形、人形、人形だ。 過去の記憶を思い出し、ここまですごかったかなとあらためて感心してしまう。
「あそこでスケートやってるよ! あっちでギターひいてる!」
カミュに寄りかかりながら右に左に目をやれば、不思議なことに飽きるということがない。 そこは高校生の知識を利用して各国の産物や芸能、民族衣装を思い出しながら鑑賞するとなるほどよくできているのだ。 といって、男子高校生がそこまで感心することもなかろうが。
「カミュはさっきのジェットコースター、恐くなかったの?」
人形は賑やかで平和な雰囲気を醸し出している。 各国語で歌われる 「小さな世界」 の歌をBGMに、俺はカミュとの個人的会話を進めることにした。 デスたちもいないことだし、少しは二人だけのプライベートな時間を楽しむべきだろう。 向こうは向こうでよろしくやってるに決まってる。
「う〜ん、それはちょっとは恐かったよ。」
「落ちちゃうって思わなかった?」
「それは思わなかった。 ジェットコースターは安全だから。 落ちると思ったら心配でとても乗れないけれど、大丈夫だよ。 ジョアンももっと大きくなったらきっと恐くなくなるよ。」
「ぼくのこと、恐がりだって思う?」
「ジョアンはまだ小さいから恐くても当たり前だよ。 大人だって、恐くて乗れない人はたくさんいる。
隣りに座ってたのに、気がつかなくてごめんね。」
俺の肩を抱き寄せたカミュが頭にキスしてくれた。 ほんとにカミュはやさしくて。
「ビッグサンダーは楽しく乗れたのだから大丈夫。 スペースはなにも見えなかったから恐かっただけだよ、気にしなくていいよ。
私だって五歳だったらきっと泣いたと思うよ。」
「うん……」
今から思えば、ちょっとみっともなかったかなと思う。 しかし、あのときは大人の理性で安全を確信しようとしても、それをはるかに上回るレベルの恐怖に襲われたのだ。 人間の根源的恐怖は理屈では解決できないと思う。
ゆらゆらと進む船は同じメロディーに包まれて世界をめぐってゆく。 視線と同じ高さの家や人形だけでなく、天井からもきれいな装飾が下げられていて、てんでにくるくる回ったり上がったり下がったりを繰り返してる。
「ねえ…さっきアイオリアのお兄ちゃんが言ってたけど……」
「え?」
「カミュは女の人とミロと、どっちが好き?」
言ってしまった! どうしようかと迷っていたが、ここで聞かずにはいられなかった。 いったいカミュはあのときなにを言おうとしたのだろう?
「え……私は…」
「ぼくは女の人よりミロのほうが好きだよ、だあいすき!」
少しはフォローになるかと思ってこう言ってみた。 自分のことをどう呼ぶべきか考えたが、ミロでいいだろうと思う。
カミュがカミュなのだから、ミロはミロだ。
「そうだね、私もミロのほうが好きだよ。」
にっこり笑ってそう言ったカミュに頭をなでられた。
う〜〜〜ん、子供相手だから簡単にあしらわれたような気もするが、ほんとはどう思ってるんだ?
それはまあ、五歳の子供に本心を打ち明ける理由もないが
「ぼくがおうちに帰っちゃったらミロと仲良くしてね、きっとだよ!」
「約束するよ、ジョアンとこんなに仲良しになったんだからミロとも仲良くするよ。」
俺にできるのはこれが限度かもしれない
きわめて曖昧だが、これ以上はどうしようもないだろう
………いや、待てよ?
「あのねぇ、ミロはカミュのこと、好きだよ。そう言ってたよ!」
「……え?」
「あっ、あそこでなわとびしてるっ!」
照れ隠しに左に見えてきた人形を指さした。 ものすごく恥ずかしくてカミュの顔が見られない。
耳がほてって熱くなる。
おい、ミロ!
ジョアンとしてできるだけのことはやったからな、あとはお前に任せる!
男ならガツンと行け!
自分で自分を励ました。 行く手に日本の人形が見えてきて、日本語の歌が聞こえてきた。
世界中どこだって 笑いあり涙あり
みんなそれぞれ助け合う
小さな世界
「ジョアン、ギリシャに帰ってもまた日本に来たら会おうね。 またディズニーに連れてきてあげるよ。
そのときはきっとスペースも恐くなくなってるよ。 」
「うん…」
世界はせまい 世界は同じ
世界はまるい ただひとつ
どんなに世界が狭くなろうとも会えないときは会えないのだ。
俺は目をこすった。 涙が出たのは,、そうだ、きっと塩素が目に沁みたせいに違いない。
無理矢理そう思った。
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