「ほんとに俺が悪かった。 すまない、この通り謝る!」
ジョアンになった経緯を話しながら何度この台詞を言ったかわからない。 いまさらムウに、たった今カミュにばれたと言いたくなかったこともあり、この場で自分がジョアンであることを証明しようとした俺は、入浴時に見つけたカミュのホクロの位置について正確に発言し、そんなホクロの存在を知らなかったカミュを驚かせたのだ。 ほんとはこんなことは言いたくなかったが、いまさら二人でムウのところに行って、寝た子を起こすようなまねはしたくなかった。
「ホクロって…」
絶句したカミュは黙って洗面台に行きドアを閉めた。 しばらく待っていると、赤面して戻って来て、
「ある。 ………お前の言った通りの場所に、ほんとうに。」
そう言って黙り込んでしまった。
「あの………ほんとにすまなかったと思ってる。 明らかにプライバシーの侵害だ。 なにも知らないお前に、とんでもなくいけないことをした。」
仮にこれがデスだったとしたら、双方ともこんなに悩まなかったろう。
遊んでやったジョアンが実はミロだったとわかったら、デスのやつは唖然としたあと、ひどく面白がって根掘り葉掘りといろんなことを聞いてきたに違いない。 一緒に風呂に入ったことについても笑い飛ばして、
「くそっ、まったく気付かなかったぜ! さぞかし大人の身体に見惚れたろう! アメフトで鍛えてあるからな! そうとわかっていればガキとの違いを見せ付けてやったのに惜しいことをした!」
くらいのことを言いそうだ。 しかしカミュにそれは望めない。
そのころの俺の気持ちを知っているカミュとしては、ジョアンに裸を見られたことは屈辱以外の何物でもないだろう。 その後付き合うようになってからは、なにかにつけて俺がカミュの身体を思い浮かべてあらぬ空想に耽っていたと指摘されても否定できないのだ。
言っておくが、付き合い始めて3年が経つが、一緒に風呂に入ったことなどもちろんないし、カミュの背中のホクロが見えるような状況にもなってない。
………え?たんに暗かっただけではないのか、だって?
そんなプライバシーにかかわるようなことはここでは言えない。
「するとお前はこれまでの3年間ずっと、私がジョアンのことを思い出して懐かしがっているときに、相槌を打っている振りをしておきながら内心では私を笑っていたということか。」
「それは違うっ! 俺はジョアンの話題が出るたびに冷や冷やしながらお前に申し訳ないと思い続けていた。 俺は自分からは一度としてジョアンの話をしたことがない。 俺はほんとうは……」
喉が絞められるようで声が変な感じだ。
「ほんとうはお前と一緒にジョアンの話をしたかった。 ジョアンでいる間、どんなに幸せで楽しかったか、お前に話して記憶を分かち合ったらどんなによかっただろう。 一緒にハンバーグを作ったり、買い物したり、そしてディズニーに行ったことは宝石のような思い出だ。」
俺は唇を噛んだ。
「でも言えなかった。 明らかに俺はお前を騙したし、小さい子供になったのにつけこんで、お前と風呂に入ったりして……俺って最低だ………。元に戻って告白したあとで、言ってしまえばよかったのかもしれないと今にして思う。 でもあんまりお前がジョアンを好きになっていて、まるで小さい弟ができたみたいに可愛がってくれたので、お前の夢を壊すようでそれもできなかった。 でも……どんなに言い繕ろったところで、やっぱりお前を騙したことにはかわりない。 俺は卑怯者だ。」
思いにまかせてしゃべっているうちに涙が出てきた。 カミュはさっきからじっと俺の話を聞いていて、どう思っているのかわからない。 これでカミュとの仲も終わりかもしれないと思い、言いようのない寂しさがこみ上げる。
「ミロ……」
うつむいた俺が涙を一粒こぼしたとき、カミュの声が聞こえて来た。
「私にとってもジョアンとの思い出はきれいな宝石のように輝いている。 いつも胸の中にあって色褪せることはない。 だから…」
カミュが俺の手を引いてソファーの隣に座らせた。 このときの俺はまるで叱られた子供のように床に正座していたのだ。
「これからはお前と………ジョアンのことをいろいろ話せることが嬉しい。」
「え……」
「私がジョアンを好きなのは、お前の親戚だということもおおいに関係していたと思う。 ジョアンを預かることでお前を助けてやれることが嬉しかったし、それまでの親しい友人という枠を越えてお前とごく特別な共通の話題を持てることに胸がふくらんだ。 ジョアンが、私とお前をつなぐ絆になる思ったのだ。」
「それって………」
「確かにお前に騙されていたけれど、最初からミロだと打ち明けられていたら事態はまったく違っていただろう。 私は心配で心配で夜も眠れなかったろうし、ムウのところに一緒に駆けつけて善後策を協議し、しかるべき大病院にひそかに入院させて検査と治療に明け暮れただろうと思う。」
「……やっぱり?」
「そうに決まってる! だいたい、子供の身体になることが奇跡に等しいのに、数日後にさらに薬を飲んで副作用もなく元の身体に戻ったというのが天文学的確率の奇跡中の奇跡だ! 幼児化したあと放置していた間に変化が固定化して二度と元に戻れなくなる可能性も考えられた。 とんでもないことだ! のんきにディズニー見物に行っていたお前が信じられない!」
一気にまくし立てたカミュの気迫に押されて、そういえばそうかなと思う。 俺は楽天的過ぎたかな?
「いや、副作用ならあった。」
「え? どんな?」
「子供になったときは眠っている間の変化だったから、朝に目が覚めたときはすべてが終わっていて副作用があったかどうかはわからないが、元に戻るときは大変だった。」
そう、あの時はほんとに死ぬかと思ったのだ。 あきらかにスペースよりも危険だろう。
「お前を送り出したあと、薬を飲んでベッドに横になっていたらだんだん身体が熱くなってきた。 ムウは俺に薬をくれたときに、発熱、悪寒、嘔気があるかもしれないと言ったが、かもしれないなんて生易しいものじゃない。 全身が重くなって痙攣して頭がガンガン痛くなってきて、そのうちに本気で吐き気が来た。 でも、洗面台に行くことさえできなくてものすごく苦しんだ。すごかったぜ!」
「そんな危険なこと……! 助けを呼ぶべきだろう!秘密がどうのと言っている場合ではないっ!」
「お前はそう言うが、携帯に手を延ばすことすらできなかったし、ご丁寧に枕元には何が入っていたかわからない空き瓶があって、なにか得体の知れない薬物を飲んだことは明らかだ。 思いっきり誤解される要素たっぷりだ。 ましてや真っ裸だからな。 こんな姿で見つかりたくないと思ったよ。 」
「………え? なぜ裸?」
カミュが顔を赤らめた。 服を着た俺が横たわっていたと思っていたらしい。 カミュの論理的思考は実際面が抜けている。
「だって、ジョアンの服を着たままで大きくなったら困るだろう? あれはナイキだから縫製がしっかりしていてますます苦しいに決まってるじゃないか。 服をバリバリって破くのもいやだが、きっとそれまでの間はすごく痛いと思う。」
「あ………そうだな………いや、そんなことより副作用はどうなったのだ?」
「うん、塗炭の苦しみにじっと耐えていたら一時間くらいして徐々に治まってきて、気がついたら元の身体に戻ってた。 ほっとしてシャワーを浴びて自分の身体を心ゆくまで確かめて急いで服を着て登校したよ。 すぐに元に戻って遅刻する旨の電話をかけようと思ってたのに、一時間遅れでかけたからちょっとまずかったが、一時間目の間に連絡できたからぎりぎり間に合った。 で、三時間目の始まる3分前に教室にすべり込んだってわけ。」
「ふうむ……」
聞いているだけで疲れたらしいカミュが大きなため息をついた。
「わかっているだろうが、死んでいたかもしれないのだぞ。 ほんとに危ないことを………」
「もし、お前がジョアンにもう一度お別れを言いたくなって戻っ来てたら大パニックだったろうな。 いや、ほんとにあんな姿で発見されたくないね。」
「それにしてもムウはなぜそんな危険な薬をお前に黙って飲ませたのだ? きわめて危険だ!」
そこに思い至ったカミュはきわめて不快そうで、もしも俺に後遺症が残っていたら訴訟に持ち込んだと思う。
「もちろん、落ち着いたところで俺もそのことについて問いただしてみたよ。 身体が幼児化することも大問題だが、もしかして脳が幼児化して元に戻らなくなったらおしまいだからな。」
「で、ムウはなんと?」
「あれは細胞を活性化させる新薬の開発プロジェクトの一環なんだそうだ。 つまり老化の速度を遅らせると考えてもいい。 人類の夢の新薬だ。 むろん、そんなすごいことはムウだけでできるものではなくて、うちの医学部のシオン名誉教授のチームが国から多額の予算をとってやっている研究だ。」
「えっ、あのシオン教授が!」
カミュが驚くのも無理はない。 定年退職後も遺伝子関連の研究にすぐれた業績を上げ続けているシオン名誉教授は次のノーベル賞間違いなしといわれている天才的頭脳の持ち主で、日本どころか世界の遺伝子研究の権威としてその名が知られている。
「で、試薬を作っているんだが、なかなかうまくいかない。 黙って飲ませたのは、それが薬だと知って飲んでしまうと心理的に構えてしまって血圧や心拍数にすぐに影響し正しい結果が得られないためだそうだ。 飲めばすぐに自覚できるほどの効果があるはずなのに俺が平気な顔をしていたので、今度もなんの効果もなくて失敗だったとムウは考えたらしい。 それまでに1000以上の成分の異なる薬を作って一向に成果が上がらなかったので、なにも変化の現われない俺のことはムウも気にしなかったんだよ。」
「それにしてもいい加減な………」
カミュはまだ不満そうだ。 それは無理もないが。
「でも、翌日に俺が行方がわからないことを知り、おまけに目の前にはミロのミニバージョンのジョアンがいる。 これはおかしいと思って探りを入れて、それでも俺が白を切っているので、ええと………コンピュータにウィルスをばら撒いてみんなに召集をかけて俺からお前を遠ざけて俺を預かれるように細工した。」
「えっ!!」
「でも、お前たちが思ったよりも早くウィルスを片付けたんでジョアンを調べることができなくなったムウは、その足でシオン教授のもとに駆けつけて、いわゆる解毒剤の研究に師弟で没頭したんだそうだ。」
「ムウはシオン教授の弟子なのか?」
「うん、それには俺も驚いた。 院生だってなかなかお眼鏡にはかなわないのに、高校生の身で愛弟子とはよっぽど将来性を見込まれたんだろうな。 で、俺がディズニーで泣いたり笑ったりして楽しくやっている間に世界的権威が丸一日かかって解毒剤を作り、それをもらって飲んで元に戻れたんだよ、俺は。 ほんと、ノーベル賞ものじゃないのか、あの研究は。」
「ふ〜〜ん……」
まじまじと俺を見つめたカミュは当初の怒りもどこへやら、俺が無事な姿でここにいることを奇跡中の奇跡だと思ったようだ。
「それにしてもほんとに無事でよかった………お前にもしものことがあったら……」
「ごめん………ほんとに心配かけた。 元に戻ったからいいようなものの、変な後遺症が出たら一生の問題だからな。 もちろんムウには今後は被験者にはなりたくないと言っておいたから二度とこんなことはない。」
「それは当たり前だ。」
ほっとした様子のカミュに聞いてみる。
「で、あのう………俺って、許してもらえたのかな?」
「ん………もういい。 お前の苦労話を聞いていたらなんだか気が抜けた。」
「ええと………それはどうも……」
「ところで、なぜジョアン?」
「え? ああ、それはお前にいきなり抱き上げられて心臓がバクバクいってるときに急に名前を聞かれて焦っちゃって。 まさか抱かれるなんて思ってもみなかったから、打ち明けようか迷っていた気持ちが瞬時にふっ飛んでさ。 で、横を見たらジョアン・ミロの版画がかかってたからそれでジョアン。」
「安易だな。」
「しかたないよ、名前を聞かれるとは思わなかったし。」
「もしピカソがかかってたら、パブロか?」
「いや、それはないだろう。 あまりにもスペイン風で俺もいやだ。 ジョニーとかジョンならギリシャにもあるからジョアンでもいいことにした。」
「私もジョアンでよかったと思う。」
「やっぱり? なかなか可愛いだろう?」
そんなことを言って笑いあっていたらデスからメールが来た。
「今度の創立記念日にディズニーに行かないかって誘いだが、どうする?」
「え、ディズニーに?」
元に戻ってからディズニーに行ってみたかったのだが、なかなか機会がなくて時間だけが過ぎていた。
「創立記念日なら平日だから比較的空いてるし、魔鈴とシャイナは友達の結婚式に呼ばれてるからデスは暇なんだそうだ。 アイオリアも来るから、久しぶりにジョアンのことでも思い出しながら楽しくやろうっていうことらしい。」
カミュがなんと言うかなと思っていたら、行くと言う。
「お前のこともわかったし、これで気持ちよくきりが付きそうに思う。」
「じゃ、そう返事しておく。」
このときの俺はカミュが何を考えているかまだわかっていなかった。


                                  
                                                      ⇒ 小説目次へ戻る