◆ 第九章 学食
学生食堂は敷地の中央近くにあり、ガラス張り二階建ての日当たりのいい建物だ。
カミュはムウの目を気にしたのか俺と手をつないでくれそうになかったので、おとなしくついて歩くことにした。
くそっ、ムウさえ来なかったらカミュと二人きりで昼をゆっくり過ごせたのに!
だいいち俺は朝食抜きなのだ。 起きてすぐに身体の異変に気がついてからすでに5時間が経ち、空腹なことこの上ない。
日曜の今日は授業がないので学食にはあまり人がおらず俺をほっとさせる。 校門のところのような騒ぎはもう御免なのだった。
「ジョアンは何がいい? ハンバーガーもあるし、カレーやナポリタンもあるけれど?」
ハンバーガーは昨日食べたばかりだが、今ここでカレーを食べて服にはね飛んだら困ったことになる。 むろんナポリタンなど論外で、この服以外に着替えるものがないのだからここは用心に越したことはない。
「ハンバーガーにする! ええっと…フライドポテトもいい?」
「もちろんいいよ、ほかにはいいの?飲み物は?」
ここで俺は考えた。
いつもならビッグマックとチーズバーガーとフライドポテトにサラダにアイスコーヒーくらいが定番なのだが、いったい五歳児はどのくらいの分量で足りるのだろう?
ハンバーガー1つとフライドポテト、それからソフトドリンクのSくらいのものなのか?
たしかにこの身体では胃も小さいだろうが、う〜む、気分的に物足りんっ!
カウンターの前でちょっと考えているとムウが横から口を出した。
「それならハッピーセットがいいのでは?この店舗でも扱っているらしいですよ。」
………ハッピーセットって………なんだっけ?
「ああ、それが良い! ジョアン、飲み物はオレンジジュースかな?」
「ううん、爽健美茶!」
ふるふると首を振った俺は、最後に残された自由選択権を行使することにした。 ハッピーセットがなんだか知らんが、どうせセット価格で何十円か安くなるのだろう。 今回の靴やそのほかの出費についてはあとできっちりと返すつもりでいるのだが、カミュに余計な負担をかける必要などさらさらないのだ。
「ただ今、おじゃる丸が付いてきますが、どれになさいますか?」
バイトの女子高生の爽やかな声が聞こえ、考え事をしていた俺はなんの気なしに顔を上げた。
目の前に差し出されたボードには、わけのわからんミニキャラのおもちゃらしきものが四つ
見本のように付いている。
「え…………おじゃる丸って………」
茫然としていると、
「お姉さんが困っているから、ジョアン、はやく選んだほうがいいですよ。」
ムウに催促されてやむなく一番ましそうな 「 ツッキー&こおにトリオ 」 というのを指差した俺は、自己のアイデンティティーを激しく傷つけられた気がして落ち込むしかなかった。
カミュもムウも、タンドリーチキンセットを頼み、幸せそうにトレイを受け取っている。
「おや、ジョアンはおじゃる丸が嫌いなんですか?」
嫌いも何も、俺はこのおじゃる丸なんてものは一切知らん! 好き嫌い以前の問題だ!
なんだ、あの非人間的に大きい目は!
だいたいムウはなんでそんなものを知っているんだ?
「あんまり好きじゃない………」
「今はおじゃる丸ですが、来月はドラえもん、その次はキティちゃんに変わるそうです。
キティちゃんはともかく、ドラえもんのときになったらまた来るといいですね。」
俺は真っ赤な顔をして首をふると、ハッピーセットのトレイをカミュがテーブルに置いてくれたのでさっそくそこに腰掛けた。
おじゃる丸のことは忘れて、ここは食欲を満たすに限る。
しかし、テーブルが高いっっ!!
俺の胸の上辺りにふちがある。
「食べにくいかな?」
カミュが気の毒そうに言い、俺は慌てて首を振る。
「このくらい平気!」
ハンバーガーを一口噛むと自分の口の小さいのがよくわかる。 噛み取った口の形が小さくて俺がそっと溜め息をついていると、ムウがカミュに俺の失踪のことをあれこれと訊き始めた。
「いや、失踪というのは大袈裟で、ただ連絡がつかないだけなのだ。」
「しかし、図書館にいく約束があったのに、なんの連絡もなく姿を見せないというのは妙ですね。」
カミュはいまのところ納得しているのだから、脇から余計なことを吹き込んでもらいたくはないものだ。
「なにか急用ができたのだろうと思う。 そのうち連絡があるだろう。」
幸いカミュは、俺がいないことをさほど重要視してはいない。 少し残念でもあるが、ムウの前で事を大きくするのは望ましくない。
だいたい幼稚園児じゃあるまいし、この年齢の男がたかが半日現れないからといって心配するほうがおかしいのだ。
「ナゲットについているフルーツカレーソースが美味しいから、ジョアンも、ほら、食べてごらん♪」
「いただきま〜す!」
やっぱりカミュはやさしい! 俺は大きく口を開けた。
「おや? 君はさっきの!」
後ろから声を掛けられて反射的に振り向くとそこに立っているのはサガとアイオロスなのだ。
「やあ、カミュ、この子は君の知り合いなのかな?」
「ええ、ミロの甥なのです、今日は私が預かっています。 ほら、ジョアン、こんにちはを言って。」
「こ…こんにちは!」
慌てて立ち上がった俺は、急いでナゲットを飲み込むのにちょっと苦労した。
カミュがこんな親まがいのことを言うとは予想していなかったのだ。
「いや、私はさっき会っている。お話し会に来てくれたしね。」
「私もだ。 ちょっと難しい本を読んでいたのには驚かされたよ。」
うわっ、やめてくれ! ムウが何を考え付くかわからんっ!
しかし俺の思いとはうらはらに、アイオロスが 「 百年前の日本 」 の写真集について話を始め、それからムウがチラチラと俺を見始めたような気がしてならないのだ。
「ほう! そんな難しい本をジョアンが!」
「モースの業績のページですって!ふうむ、とても子供の興味を引きそうな内容ではありませんね………!」
まじめにこぶとりじいさんを聞くべきだったのだろうか。
みんなが感心したように俺を見つめ、しかもそのうちの一人の目には猜疑心があるようで俺は段々いたたまれなくなってきた。
「カミュ〜、もう帰りたい! お昼寝しようよ〜。」
いささか沽券にかかわるが、子供って昼寝をする生き物じゃなかったか?
「子供は背伸びしたがるということだし、大人の真似をしたがるのではないでしょうか。」
あっさりと結論づけたカミュが立ち上がってトレイを持った。
「僕も自分のを持つ♪」
「落とさないように気をつけて。」
「うんっ!」
純真な子供を信じてくれるカミュに惚れ直しながら、俺はムウとサガとアイオロスにバイバイと手を振ってカミュと一緒に外に出た。
昼寝をしたあとは、カミュに五歳児の服を買ってもらわねばならないのだ。
その計画を練りながら俺は今度こそカミュと手をつないで寮に向っていった。
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