その4   「 通訳 」

初級者コースを最優秀の成績で終了したミロとカミュは当然のごとく中級者コースへと進んでいった。
「素人が生半可なところでやめるのはよくない。専門家に習ってこそ正確な技術を身につけることができる。」
「それにバッジテストも受けたいしな。早く上の級に行きたいよ。」
バッジテストとは全日本スキー連盟の行うアルペンスキーの技能テストだ。下から順に五級から一級までがあり、さらにその上にはテクニカルプライズとクラウンプライズがある。
初級者コースの講習の中で3級までは合格しているが、2級と1級は検定会で合格する必要がある。 一般的には一級合格で十分すぎるほどだが、むろんミロが狙っているのはクラウンプライズだ。
「黄金が下の級に低迷していられるか!俺は今シーズンのうちに一級まではクリアしたい。」
「わかった、わかった。」
むろんカミュもそのつもりだ。

中級者コースのコーチ陣はミロとカミュの噂をとっくに知っており、二人の進級はおおいに歓迎された。ほかの受講者も友好的で、ギリシャ人の二人が日本語に堪能なのに驚き、ギリシャ美術についての質問が雨あられと降ってくる。もちろんカミュが完璧に答えるので何も困ることはない。
ギリシャに旅行したことがある何人かは観光地やレストランについての思い出を語り、そっちのほうにはミロが的確に対応することができた。

中級者コースを自由に滑れる技量が身についたので、二人とももう楽しくてしかたがない。ちょっとしたギャップめがけて突っ込んで、ほんの数メートルではあるが小さくジャンプするのもいいものだ。
「う〜ん、もっとジャンプしてみたい!これだけでも浮遊感がたまらないのに、何十メートルも跳んだら最高だぜ!」
「オリンピックの見すぎだ。我々素人がその域に到達するのは無理だろう。」
「でも俺たちは一般人じゃないぜ、黄金だし。」
「だからといって…」
「やってみたくない?とてつもないスピード感を味わえるんだぜ。着地をびしっと決めたときの気分を想像してみろよ。」
「ううむ…」
むろん、カミュもやってみたいに決まっている。といって、このスキー場にはそんなコースはないので、今はおとなしく普通の滑りを楽しんでいる。

そんなある日、スキースクールのない土曜日に二人がいつもの通りに滑っていると、やはり外人らしい男性の二人組がいるのに気が付いた。やたらうまいなと思っていると、ちょっと近付いたときにしゃべっている声が聞こえてきた。
「あれって…」
「イタリア語とスペイン語が混ざっている。ユニークだ。」
「ふうん、どこかで聞いたことがあると思ったが、デスとシュラってわけか。」
「他人だが。」
「わかってるよ、単なる比喩だ。」
20代後半らしいその二人はミロの目から見ても滅法うまく、スキーウェアも洒落ていて注目を集めているようだ。バンクーバーオリンピックのノルディックを連日見ている日本人には彼らがオリンピック選手に見えているのかもしれない。
「なんか悔しいな!あっちのほうがうまい!」
「きっと何年もやっているのだろう。始めて半月の我々と比べるのが間違いだ。」
「なんで、そう達観出来るかなぁ、悔しいと思わない?」
「全然。」
ほんとは少し悔しいのだが、それを理性で完全に押さえ込んでいるだけの話だ。

そんな状況を変えることになったのは昼時だ。昼食のためにスキーを外し、指定の場所に立てかけて店の中に入るとなにやら人だかりができている。
どうしたのかと近寄ると、例の二人組が注文カウンターの前でなにやら交渉しているのだが、あいにく、というか当たり前だがスタッフにはまるで通じない。スキー客の中の英語のできる何人かが話し掛けても、これまたほとんど通じないのだ。
「おい、あれ、なんとかならないか?」
「やってみよう。」
カミュが寄って行き、まず英語で話し掛けてみた。日本人の英語の発音がイタリア人やスペイン人に通じるとは限らないからだ。しかし、さっぱりである。ふたりのうち年長の、たぶんイタリア人と思われる男は少々はわかるようだが、意志の疎通ができるには至らない。ギリシャ語もだめだったのでこんどはカミュがフランス語で話し掛けてみるとこれが正解だった。
「ああ、よかった!フランス語なら得意なんですよ、地獄に仏とはこのことだ!」
男の顔が輝いた。フランスやイタリアに仏はいないが、日本語に翻訳するとこのような意味になる。
「ああ、これってフランス語だ!テレビでは聞いたことがあるけど、本物を聞いたのは初めてだ!」
「ほんとに音楽みたいだ!いやぁ、実にきれいなもんだな!」
周りの日本人たちがざわめいた。 ミロにしてもカミュのフランス語を聞くことは滅多にないし、こんなふうに長い会話をしているのは聞いたことがない。カミュ本人も嬉しいらしく、感情を抑えているようでも頬がわずかに紅潮しているのがミロにはわかる。
まわりの日本人がミロとは違う意味で感心しながら聞いているのも面白い。ミロの耳は出会ったときからフィルターがかかっているのでカミュのフランス語が天上の音楽に聞こえるが、日本人にも音楽に聞こえるらしかった。
そんなわけで周り中が聞き耳を立てているが、誰も意味がわからないのだからプライバシーの侵害になるはずもない。日本人たちも、なにもわからないのだから聞いていても失礼には当たらないだろう、と考えているのは明白だ。むしろ音楽を聴いているつもりなのかも知れなかった。むろんミロにもなにもわからないのだが、こんな状況で交わされる会話は決まっている。
「日本にはたびたび来るんですが、言葉はからっきしだめで。でも北海道で滑りたくてなんとかなるかときてみたら、やっぱりだめでした。」
「日本には英語の通じない土地もまだまだ多いですから。メニューにお困りですか?」
「ええ、日本料理が苦手なんで、なにかイタリアンかスパニッシュはないかと思って聞いてみてもさっぱりで。」
ここで大袈裟に手を広げてみせたので、まわりの日本人がいかにも外人らしい仕草に喜んでいるのがミロにはわかる。滞日6年になろうとするミロとカミュには外人らしさが抜けているようで、美穂に聞いてみても日本人的だとよく言われるのだ。
「イタリアンは…スパゲティーならありますね、やや北海道的ですが。つまりシーフードパスタです。」
壁のメニューに眼を走らせたカミュが見つけたのは帆立スパゲティーだ。写真があればともかく、日本語で書かれていてはわかるはずもない。
「あ〜、シーフードもだめなので。ほかにはありませんか? 」
「ええと……ではスパゲティナポリタンはどうでしょう?」
ナポリといえばイタリアだ。しかしそれは間違いだった。
「それが……」
男が笑い出した。
「日本に来るたびに勧められるんですが、イタリアではスパゲティにケチャップをかけないんですよ。あれは日本のソウルフードで。」
「えっ?」
あまりにも日本人がスパゲティナポリタンを愛好しているようなので、万が一と思ってイタリアの友人たちに聞いてみても誰一人そんな料理法は聞いたこともなく、みんな笑い転げるのだという。

   スパゲティナポリタンが日本料理?? そうなのか?

カミュにも知らないことはあるものだ。困り果てたカミュがもう一度メニューを見上げて発見したのは明らかにイタリア料理代表といえるものだった。
「では…ああ、ピザがあります!」
「よかった!ピザは僕の大好物です!」
べつに自分の責任でないのだがカミュはほっと胸を撫で下ろす。
「ナノもピザでいいかな?」
振り返って聞いたのはもちろんもう一人の連れに対してだ。こちらのほうが若いらしく、くっきりとした眉が印象的な好男子だ。
「それでいい。」
と言ったのは明白で、フランス語のできる男が頷いた。
「ではそれを二つお願いします。」
カミュが自分たちの分も含めてピザを4つ頼み、一件落着である。ことが終わったとみた見物人が散り散りになり、二人組もほっとしたようだ。


                                    



                 
きわめて珍しいことに、ほかの外国人が登場しました。
                 でもオリジナルキャラではありません。
                 れっきとした……おっと、この先はまだ秘密です。