その7   「 招待 」


ナノを助けるためにテレポートを思いっ切り披露したミロは、猛スピードで駆けつけてきたヤルノから質問攻めに合い、でもフランス語ができなかったのですべてをカミュに任せることにした。たとえフランス語ができたとしても数秒間で三回のテレポートは身体に負担がかかりすぎていて、それどころではなかっただろう。
ビンディングをはずして立ち上がったナノが無事なのはすぐにわかったので、倒れ込んだまま動けない様子のミロが頭でも打ったのではないかと心配したヤルノは、手袋をはずすとミロの頸動脈に手を当てて脈拍を調べたり耳元で名前を呼んだりして今にも服を脱がせて傷を確認しそうな勢いだ。
「いや、あの、そうじゃなくて………カミュ、説明してやってくれ…」
そのころにはあとから滑り降りてきたスキーヤーが何事があったのかと集まり始めてきたので、カミュが、
「いえ、ちょっと転んだだけですから大丈夫です。ご心配なく。」
と明るい表情で釈明をしている。救急隊を呼ばれたら面倒だ。
「う〜ん………さすがにちょっときつい……身体がなまったかな…」
連続二度はよくあることだ、珍しくはない。つい先日も有楽町でやっている。
しかし、聖衣なしで連続して三回、それもそのうち二回は人を抱えたままというのは無茶な行為だ。これが戦場だったら自らの死を招きかねないだろう。ここまで小宇宙を消耗して疲弊した身体では攻撃どころか防御さえも不可能に近い。
黄金ならこのくらいは軽いのではないかと考えるのは大きな間違いで、自分だけが任意の場所にテレポートするならいざ知らず、この場合は転倒したナノを抱えるためにミロは滑っていた姿勢から瞬時に態勢を変える必要があった。斜面を滑っている姿勢のままでナノの横にテレポートするだけでは何の役にもたたないのだ。
テレポートした瞬間に百分の一秒をはるかに切るレベルで腕を伸ばしてナノを抱え、次の移動先に狙いを定めて再びのテレポートをする困難さはカミュにしかわからない。ほんのわずかでも遅れれば二人の身体は岩に叩き付けられて悲惨な結果になるだろう。ストックは手首にストラップで一巻きしてあってすぐにははずせないし、足には長いスキー板がついている。抱えられるナノも同様だ。
どう考えても嬉しい条件ではなかったのに、それをものともせずに無事にナノの身体をつかまえられたのは奇跡に近いとカミュは考える。
「いや、奇跡なんかじゃないね。実力だよ、実力。黄金が奇跡に頼るような真似はしない。」
あとからミロはそう言ったが、本当に奇跡に近い事をミロはやってのけたのだ。
「説明は私がするから、休んでいるといい。」
少々頬を染めたカミュがヤルノに事情を説明している間、何が起きたのかよくわからないでいるナノの横でミロは雪の上に倒れ込んだままカミュの流れるようなフランス語を聞いていた。抜けるような青空がとてもきれいだった。

「少し時間がかかるそうですが大丈夫だそうです。ぜひおいでください。」 
「でもそんなにしてもらっちゃ、申し訳ないし。」 
「カミュ、雪の露天風呂があるって言ってくれ。」 
押し問答に終止符を打つこの一言が効いてヤルノとナノは登別の宿にやってきた。 雪の上の説明ではとても納得してもらえないと考えたカミュはミロと相談して二人を離れに招くことにしたのだ。
温泉にはたいして関心のないナノと違って、雪の露天風呂はまだ未体験だったヤルノは相当嬉しかったらしい。露天風呂で雪見酒ができるという話をミロから聞いて好奇心いっぱいで、娯楽室に貼ってあるポスターを前にナノにしきりになにか力説しているのがフロントからもよく見える。 
「普通は日本酒だと思うがワインも頼めるだろう。」 
「丈の高いワイングラスは不安定ゆえブランデーグラスがいいのではないか?それともショットグラスか?」 
「ショットグラスは小さすぎて飲んだ気がしないと思うが。」 
「そうか?」 
気持ち良さそうに湯に浸かっている湯浴み客の横に徳利と盃を乗せた盆が浮かんでいるというまことにけっこうな図柄のポスターに惹かれたミロがスタッフを呼んで身振り手振りで同じことを注文してからどれだけ経つだろう。 
「きっとヤルノは面白がるぜ。俺の知る限り、あんなことのできる国は他にはないからな。おまけに周りは雪ときてる。最高だよ。」 
「あれはよい。なんとも言えぬ風情がある。」 
雪の露天風呂にはカミュも何回か入ったことがある。女性の泊まり客しかいないとわかったときにミロが誘ってくれるのだ。いまだにカミュは他の客と一緒になる可能性のある時は入浴しない。 
「それにしても、寝るのは俺たちのところだから問題ないけど、よく食事が間に合ったな。それもイタリアンとスパニッシュだぜ。日本食はすべてダメっていうのも珍しいな。」 
「今日は早い食事時間を希望する宿泊客が多かったため遅い時間なら厨房に余裕があり、やや品数は少なくなるかもしれないが用意できるとのことだった。それに同じ和食を二人分追加するのは材料の都合で無理なのだが、全く違うものならかえって楽なのだそうだ。」 
幸い今夜の主菜は十勝産黒毛和牛霜降りロースのステーキで、ソースをバター醤油から洋風のものに変えればよいのだからなにも問題はない。 鮹と胡瓜のはりはり和えとか鮑のバター焼きをどう変更するかについては板前の采配に任せておこう。 
「とは言っても大変なことにはかわりがない。あとで気の利いたものでも持っていったほうがいいな。」 
「うむ。」 
そんな発想をするところは全く日本人と変わらない。 
 
宿帳に必要事項を書いてもらって、日本語で記入する箇所を代筆してから離れに連れて行くと二人ともその広さに驚いたようだ。 
「こんなところに泊まったことがないな!日本には何度も来てるけどホテルばかりだし。」 
「日本風の旅館は初めてですか?」 
「僕は泊まってみたいんだけど、いつもチームで行動してるから無理なんだよね。」 
「チーム?」 
「仕事のチーム。個人行動は推奨されないんだ。だからいつも判で押したようにホテルばかりだったから、こういうのは嬉しいな。ベッドがないってことはもしかして…」 
「夜はフトンで寝ます。」 
カミュが押入れを開けて見せた。 
「ナノ!フトンだぜ、フトン!やっぱり来てよかったよ!Grazie、カミュ!」 
日本料理はだめでも温泉やフトンは大歓迎らしい。 
 
「じゃあ、ヤルノと風呂に行ってくるから。」 
「では私はナノを家族風呂に案内しよう。」 
浴衣とタオルを持った四人がフロントの前を通り掛かると宿の主人に呼び止められた。 
「カミュ様、これをお使いになったらいかがでしょうか。」 
「これは?」 
手渡されたのは手の平くらいの大きさの電子手帳のようなものである。 
「翻訳機です。簡単な会話でしたら入力しただけで他言語に翻訳して音声も出ます。」 
「ほぅ!」 
「この機械は14ケ国語に対応していますが、イタリア語、スペイン語、フランス語、ギリシャ語もその中に入っていますのでお役に立ちますかと。日本語を入力しなくても、イタリア語 ⇔ ギリシャ語のような翻訳も可能です。」 
「それは便利な。お借りしてもいいですか?」 
「観光協会から2台貸与されていますので、ぜひお使いになって見てください。」 
頷いたカミュがヤルノに翻訳機の説明するとまたまた驚かれた。 
「信じられないな!日本人って、次から次へとすごいものを発明するけど今度は翻訳機?!」 
横から覗き込んだナノにヤルノが説明をしているそばからカミュが翻訳機を操作した。 
「Fui de Grecia 」 
液晶表示を見せながら音声が流れる。ナノが唖然とし、ヤルノがくすくす笑いだす。 
「おい、なんて言ったんだ?」 
「私はギリシャから来ました、だ。」 
ナノがカミュとヤルノに操作を教えてもらいながら Ho capito ! と入力すると、 
「わかりました。」 
と翻訳機が答えた。 
「これって面白すぎるよ!ほんとに日本人ってユニーク!」 
ヤルノが満面に笑みを浮かべる。 
「僕もそう思う。」 
翻訳機がナノの言葉を代弁した。 


                                    



        
なにが便利って、やっぱり翻訳コンニャクでしょう!
        「僕は日本食はだめなんだ。」  BY ヤルノ&ナノ
        思わぬ弱点が!!
        「ドラえも〜ん!」