その10   「 修復 」

泊っていたホテルを引き払ったヤルノとナノは日本に滞在する残りの五日間を離れで過ごし、昼間はスキーに出かけてゲレンデにシュプールを描いて楽しんだ。そのうちの一日は女性客しかいないことが分かったので、今度はナノが露天風呂に押し込まれた。
「いいよ、別に!外の風呂なんて入らなくても、僕はそもそもシャワーでいいんだから!」
「ダメだよ、せっかくの機会なんだから。ほら、カミュが浴衣を持って待ってるだろ。ほんとに最高なんだから!ゲストは地元開催のホストの期待にこたえなきゃ!」
ぶつぶつ言うナノをカミュに引き渡すとヤルノはミロと家族風呂に向かった。この間のバラ風呂が面白かったので今日もなにかないかと期待したが普通の風呂なのに少しがっかりする。
さっさと服を脱ぎ浴室に入るといつもの通りにお互いに背中を流す。何度も入った日本の風呂で日本人同士が背中を流しあうのが面白かったのでミロに聞いてみたところ二つ返事で了解が取れたので、ここに滞在している間は裸の付き合いに一つ行事が加わったのだ。
「ほんとにいい身体してるね。ギリシャ彫刻っていうやつかな。」
背中を洗いながらぴしゃぴしゃと肩甲骨のあたりをたたくと、何を言われてるのかおぼろげに察したミロがぐっと両肩に力を入れて見事な筋肉が盛り上がる。笑いながら役割を交代し、今度はミロがヤルノの筋肉をほめあげてまことに裸の付き合いは結構なものなのだ。

   カミュとばかり入っていたからこういうのは想像もしなかったが、なかなかいいじゃないか
   言葉がわからなくたって、たしかに気持ちは通じてる
   そうだ! 明日は温泉パスポートを使ってヤルノをあちこちの風呂に案内しよう
   きっと喜んでくれるに違いない

楽しい計画がミロをわくわくさせる。気分よく湯の中で手を揺らめかせているといいことを思いついた。果たしてヤルノは知っているだろうか。
両方の手のひらを握り合わせて湯の表面ぎりぎりに沈め、手のひらの間の水を親指の付け根の隙間からピュッと押し出してヤルノにしぶきをかけたのだ。どこかの温泉でこうやって遊んでいる親子を見かけて、ふうんと思ってこっそり練習していたのが役立った。
「Oh !」
いきなりのことにあわてて水をよけたヤルノがやり方を知りたがり、手の組み合わせ方や水を飛び出させるコツをやって見せると、さっそく何度か練習して要領をつかんだようだ。
「Bravo !Io sono interessante !」
水のかけっこに打ち興じるところは二人とも子供のようだ。カミュとナノが見たらさぞかしあきれることだろう。

   いいんだよ、面白いんだから!
   幾つになっても男は童心を持つってほんとだな

水鉄砲を持たせたら二人とも本気でやりあったに違いない。ちょっと見てみたい気もするが、この場になかったのは残念なことである。


ナノが露天風呂から戻ってきた。さっそくヤルノがつかまえる。
「で、露天風呂はどうだった?」
「どうももなにも、驚いたよ。雪の中で入浴なんて信じらんない!あんなのあり得ないよ!」
「で、気分は?」
「うん、すごかったし、そうだね、よかったと思う。あんな経験は日本じゃないとできないのは間違いないな。2008年にサン・モリッツでニックが雪上走行してたけど、あれ以上のインパクトだね。」
「だろ、しかも貸し切り!観客なしで物足りなかった?」
「この場合は観客なしが最高だよ。写真を撮られちゃまずいだろ。」
そのあとカミュが入りに行って、雪の露天風呂を楽しんだ。

翌日は温泉パスポートを使ってミロがヤルノを湯巡りに連れて行った。岩風呂、ローマ風呂、千人風呂、壺風呂、そして最近になってできた純金風呂はヤルノをいたく驚かせた。
「う〜〜ん、すごすぎるんだけど!ドキドキしてちっともくつろげない!」
ここは温泉パスポートの対象外なのを、ミロが宿の主人に頼み込んで特別に入れてもらったという代物だ。
「よろしゅうございます。特別なお客様ですので、私から直接申し込んでおきましょう。」
「悪いね、よろしく頼みます。」

   俺も一回は入ってみたかったし、よかったな!
   うん、これも国際交流の一環だろう

なにしろ黄金の風呂である。ここよりは天蠍宮にあるほうがふさわしいとしか思えない。これにカミュが入ったらどんなに贅沢な眺めだろうか。

   それとももしかして、すでに双児宮にあったりして?

実際に入ってみるとなんだか落ち着かなくて、ひのきの浴槽の肌触りが懐かしい。

   それもかなり使い込んで角が取れてて表面が毛羽立っているようなのが望ましいな
   ああいうのが肌になじむんだよ
   あとでヤルノの意見を聞いてみよう

スコーピオンのミロ、通である。外人扱いするのはやめたほうがいいかもしれない。いや、すでにやめているような気もする。

ミロとヤルノが温泉三昧に浸っているころ、カミュとナノはスキーを楽しんでいた。翻訳機も携帯してはいるが、スキーをする分にはなにも困りはしない。
昨日の事があったカーブは寒波が来たわりにはまだ雪が降っていないので土が露出したままになっており危険なことは相変わらずだ。中学生くらいの子供を連れた親子が滑ってきて突然に現れた荒れた個所に驚いて慌ててコースを変えて転んでいるのがカミュの目に入った。

   やはり無理かもしれぬ…

ナノを先に行かせておいてあたりに誰もいないことを確認すると素早く手袋をはずして手掌を向ける。素手のほうが小宇宙の発現には都合がよい。露出面の広さは10uほどで、わずか数秒で降雪を終えるとすぐそばに近寄って穏やかに拳圧を加えて圧雪を完了する。
仕上がりを確認しすぐにナノを追っていくとリフトのそばでカミュを待っている姿が見えた。
「どうしましたか?」
「私は転びました。」
翻訳機のやり取りはあまりにも礼儀正しくて笑いを誘う。ふたたびリフトに乗って上に向かい、あのカーブまで滑って来るとナノが驚いたように修復面をストックで指し示した。
「Parezca ! Me recupero !」
そういわれても返事のしようがあるはずもなく、そのまま下まで滑るとナノがさっそく翻訳機を取り出した。
「私が転んだ場所が直っています。なぜでしょう?」
「私も見ました。それは不思議です。」
不思議、という割にはあまりに泰然としていてナノにはかえって不自然に見える。

   でも全然不思議そうじゃないけど?
   普通はもっと驚くだろ?
 
凍気を使うところは見せないものの、そのあとのフォローはカミュの得手ではないようだ。冷静すぎてかえって不自然であることに本人は気付いていない。
ミロなら腕組みして首をかしげて 「おかしいな?修復する管理スタッフなんか見かけなかったけど?」 くらいのことを言ってから、「それにしても、直ってるなら安全に滑れるからよかったじゃないか。」 と無難に話を終わらせることだろう。もっとも翻訳機を使ってしゃべるのは面倒ではあるが。
首をかしげたナノがリフトに向かい、すぐにカミュも修復のことは忘れてしまった。