その11   「 説明 」

その日の夕食でこの話が持ち出された。
「それでさ、あの露出面がすっかりきれいに直ってたんだよね。 そのすぐ前に横目で見ながら滑って、たった20分くらいで直せるはずないだろ?きれいに圧雪までされてたんだぜ。ヤルノはどう思う?」 
「あり得ないね。コースの途中のカーブを修復するのはかなり手前から規制をかけて安全を確保してからじゃないとできないし。ナノの勘違いじゃないのか?」
「そんなはずないよ、カミュに聞いてみて。」
ヤルノのフランス語の疑問をカミュが通訳する。
「…ということだ。どうしたものだろう?」
「ふうん…」

   これを見越して夜中に直してくれば良かったな
   ナノが疑問に思うのは当たり前だし…

結論が出ないままで食事はにぎやかに終わった。

離れに戻り思い思いにくつろいでいるとヤルノが言った。
「ところでテレポートのことだけど、ナノがどうしても納得できないって言うんだよね。僕もそう言われればそうだけど、当のナノはなにも自覚がないから理解できないって言うんだ。だいいち、どうしてそんなことができるわけ?」
「ええと、それは…」
あの時に質問攻めにあって、その場ではテレポートの原理についてざっと説明したのだが、それで納得できるならたしかに苦労はないだろう。それにテレポートができる理由についてはなにも触れてはいない。
「どうしたらよかろう?ヤルノにはなぜテレポートができるのかと聞かれたし、ナノに至っては実感がないのでまったく納得できていない。」
「う〜ん、そうだな……正直言って俺がナノの立場だったら、とても納得はできないぜ。ここの主人や美穂があっさりと納得したのは、俺たちが聖闘士だって知ってるからだろ。アテナ神殿に奉職してるから神の御加護でいつの間にかできるようになった、って言ったらダメかな?」
「神話の時代ならそれで通用したろうが、現代ではいかがなものか?それに二人とも論理的な思考の持ち主で、そんな曖昧なことで納得してくれるとは思えない。」
「じゃあ、生まれ持った超能力。」
「無理だ。私たちはSF小説の主人公ではない。」
「すると、本気で説明する?宇宙人だと思われてもまずいし。」
「それしかなかろう。」
「聖域とか聖闘士はフランス語でも問題ないだろうけど、小宇宙はどうやって訳すんだ?」
「…なんとかする。」
そっとため息をついたカミュがヤルノに話し始めた。
「En fait, nous sommes Saint.」
「… Oh ?」

   俺にも意味がわかるな
   ……え? って言われたんだよ、当たり前だが

輪島塗の座卓の向こうとこちらで質疑応答が続いて、それをヤルノがスペイン語に直して話すものだから話は延々と長くなった。ナノが、「え?」 とか 「それってどういうこと?」 とか 「僕は信じられないね。」 とか言っているらしいのは明白だ。

   そりゃそうだろうな、子供じゃあるまいし、俺だってすぐには信用しない
   聖域や聖闘士やアテナの存在を話だけで理解してもらおうっていうのは虫がよすぎる
   たった一つの証拠と言えば……やっぱりあれだろう

「論より証拠、百聞は一見にしかずってことだな。」
「え?」
「俺を見て、って二人に言って。」
フランス語とスペイン語がいきわたったところでミロが位置を変えた。 座卓の対角線の場所に一瞬で移動したのだ。
「C'est incroyable !」
「Es increible !」
翻訳を聞かなくてもわかる。唖然とした二人は信じられないと言ったに違いない。
「ほら、お前もやれよ。」
「えっ、私もか?」
「俺ができるのはもともとわかりきってるだろ。いまさら隠しても仕方ないんだから情報公開するほうがいい。凍気でゲレンデを修復したのは説明しなくてもいいからさ。」
「いや、それはもう話してある。」
「あ…そう。」
そしてやや頬を染めたカミュがさっきまでミロがいた位置に予告もなく移動したものだから、またまた驚嘆の叫びが起こる。
「うそっ! なんでっ?!」
「カミュもできるのっ?!」
「…だそうだ。」
ミロが翻訳機を手に取った。
「 Este es el telepuerto.」
これがテレポートです、というスペイン語だ。 ヤルノはかなり納得しているが、ナノにも理解してもらいたい。まさか怖いとは思われないだろうが、せっかくできた友達に奇異の目で見られるのは願い下げだ。
ナノが翻訳機を手に取った。みんなの視線が集中する。ナノはなにを言うのだろう?
「トレーニングすると誰でもできますか?」
「いいえ、素質がないと無理です。」
「とても羨ましいです。助けてくれてどうもありがとうございます。」
ナノが手を伸ばしてきた。固い握手が交わされる。ヤルノとカミュも握手をして同盟はさらに強固なものとなった。

四人が夕食に出かけていた間に奥の十畳にはミロとカミュの、手前の八畳にはヤルノとナノの布団が敷かれてあるのはいつものことだ。おやすみを言って、襖を閉める。
「自分のことをほかの人間に話すのは初めてだったから、ちょっと変な気がする。」
「私もだ。こういうことは考えてもみなかった。」
「ここにいてスキーなんかやってるから普通の人間でいられたけど、これがギリシャで聖衣姿を目撃されたらとても友達にはなってもらえなかっただろうな。あまりにも現実離れしてるから声もかけてもらえないだろう。俺たちだってそういうときはテンション高いし、心身ともに聖闘士になりきってるから普通の会話ができるかどうか疑わしいし。というより一般人との不必要な接触は避けてすぐにその場を離れるだろう。」
「……そうだな。」
「携帯のアドレス交換した時に気がついたけど、登録してあるのはこの宿と牧場とスキースクール、それからグラード財団と城戸邸だけだった。あとは黄金が数人。ああ、俺たちが入院した病院もあったな。ごく普通の個人の名前が一つもないのには我ながらあきれたね。ちょっと問題だと思わないか?」
「そうか?」
「そうだよ、もう少し世間とつながりを持ったほうがいいと思う。ヤルノとナノと知り合いになってよかったよ。」
サン・モリッツのヤルノの自宅にワインを贈るときにはメールができるほうが都合がいいということになり、四人で携帯を開いたのはさっきのことだ。
「ミロが gold−scorpion1108……と。で、カミュが gold−aquarius207…ふうん、ちょっと変わってるね。え?自分の星座?ああ、なるほど!そういうつけ方もありだね。ふうん…」

   なんか珍しがられてるような気がするけど、まさか乙女チックだなんて思われてないだろうな?
   世間じゃ、どういうのが普通なんだ??
   当たり前のように決めたけど、俺たちのって変わってるのか?

日本では若い世代は趣味や娯楽に関係した言葉を使うケースもあるが、中高年ではほとんどが自分の名前を少しアレンジしたアドレスだという。世間一般の人間のアドレスを一つも知らないミロには自分たちのアドレスが一般的かどうかはまったくわからない。

   やっぱり世の中のことを知らなさすぎるな、俺たちは
   社会勉強が必要だよ、うん
   携帯の電話帳に個人名がまったくなかったのも問題だ

その人間関係が希薄な電話帳にあらたにヤルノとナノの名前が加わったことにミロはほっとする。少し社会化したような気がした。

襖の向こうでナノとヤルノが小声で話している。
「あの二人のことだけどさ、」
「なに?」
「一緒に来てくれたら安心なんだけどな。」
「それはそうだけど、無理な話だ。」
「わかってるけど、いてくれたらと思うよ。」
「もし彼らがいたらナノはもっと無茶するだろ?危ないよ。」
「そんなことしないよ。僕だって限界は心得てる。ぎりぎりのラインを突いてるだけだ。それでも不可抗力ってこともある。そのときにいてくれたら…」
「そうだな……その通りだ。」
それきり話は途絶え、二人はそれぞれの思いにふけっていた。