その2   「 入校 」

さて、いよいよスキー教室に通い始めると二人ともスキーの面白さに夢中になった。もとより静よりも動の似合う二人なのだ。雪の北海道にいながら無為に過ごしていた日々が悔やまれる。
入校申し込み時に渡されていた教則本に教師魂をおおいに刺激されたカミュと、どの受講者よりも先に課程をクリアしようという意欲に燃えたミロの思惑が合致して学習が進んだため、入校前日には初級の基礎技術の内容は完全に把握できていた。
「俺たち黄金が一般人に遅れをとるわけにはいかんからな。あとは実践に移すのみだ。どんなときでも黄金はトップクラスの存在であるべきだ。」
気分はもはやプルシェンコである。フィギュアに興味はないと言ってはいるが、同じ金髪というのも同族意識を呼び起こしているのかもしれないとカミュはひそかに思う。

そんなわけで、キックターンやプルークボーゲン、パラレルなどの基礎知識を十二分に理解した二人が雪上で実践するのは思いのほか簡単なことだった。
キックターンとはスキーの方向転換法の一つで、初心者がまず習得しなければならない基本の技術だ。片足を高く蹴り上げてスキー板を垂直に立ててから反対方向に倒す。それから身体のねじれを直すようにしながらもう一方の板を同じ方向に揃えるのである。
「これってなんだか面白いな。かかとを立ててパタンと下ろす。なんか笑える。」
「そうか?」
と言いながらカミュも笑っているのは、そのうちに氷河に教えることでも考えているのかもしれない。さぞかし優秀なインストラクターになることだろう。
「大きな声では言えないが、キックターンって足が長いほうが楽にできるんじゃないか?」
「私もそう思う。」
ギリシャ語なので、大きな声でもなんら問題はないだろう。回りが成功したり失敗している中で、数回やって納得した二人は次の指導を今か今かと待っている。
いよいよ緩斜面に移動してプルークボーゲンの段階に入ると二人の優秀さが誰の目にも明らかになってきた。バランス感覚抜群なので体勢が崩れることもなく、すぅっと斜面を降りてくる。初心者がしばしばやってのける、板だけが前に進み、あれよあれよという間に尻餅をついてしまうという失敗にも無縁である。
「黄金が尻餅なんかついてられるか!全国のファンが泣くぜ。」
「わかった、わかった。」
むろんカミュの辞書にも尻餅という文字はない。
「スキーブーツって、すごくよくないか?外側が強化プラスチックで軽量だし、内側がクッション性のある柔らかい素材でできてるから当たりがすごくいい。おまけに分厚いソックスまで履くんだぜ。聖衣のブーツなんか、ここだけの話だが、履き心地がいいとはお世辞にも言えないからな。」
「同感だ。といって聖衣装着時にラムウールのインソールを使用するような暇もない。あのブーツのフィット感のなさには私も困っている。」
「だろ!あればかりは神話の時代のままじゃ困るんだがな。こんどムウに、なんとかならないか相談してみたほうがいいかもしれん。」
一般人には慣れつけなくて違和感のあるスキーブーツだが、二人にとってはきわめて快適だ。
「すごく運動性がいいな。テレビで見てたときには、どうやってブーツと板を固定しているのかと思ったけど、うまくできてるよ。ビンディングをはずすのも簡単だし。シベリアは平地だから滑降は無理だが、クロスカントリーみたいに移動するのは可能だと思うぜ。こんどやってみたらどうだ?」
「考えておこう。」
頷くカミュは氷河とアイザックを引き連れて30キロの遠征をすることも可能かと胸を踊らせる。どんなに足腰の鍛練になることだろう。
初日の午後にはプルークターンやパラレルターンの指導が始まった。新しい技術を習得するのはワクワクするもので、幼いころの修業を思い出す。
「なんか、ものすごく簡単にできるんだけど、俺って天才?」
「いや、このくらいのことは誰でもできよう。聖闘士の修業ではあるまいし。」
その後ろで何人もが転んで、起き上がる拍子にまた尻餅をついている。助けようと手を差し出した者もついでに転ばされて悲鳴が上がる。その中で二人の膝の使い方や重心の移動も申し分なく、指導するコーチ陣をいたく感心させた。受講者の中ではピカイチである。
「プルークよりパラレルのほうが明らかに面白いな。ステップターンやカービングターンも早く教えて欲しいんだが。というより俺は直滑降をやってみたくてたまらない。」
「三日目で直滑降は早過ぎはしないだろうか?」
「カリキュラムは個人個人で異なるべきだろう。いくら初心者対象のスキー教室とはいえ、能力に差がありすぎるとは思わないか?」
「それは確かに。」
三日目になってもプルークボーゲンが覚束なくて転ぶことが多い若い女性と、早くも直滑降に意欲を燃やすミロとでは差がありすぎる。東京から来た女子大生、地元の主婦グループ、およそスポーツとは縁のなさそうなアキバ系の男性、雪のない亜熱帯の国からやってきて観光がてらスキーを習ってみようという女性たちなどの中にあっては、二人の聖闘士の抜群の運動神経がコーチ陣の注目を集めたのは当然だ。今シーズン一番の、いや、ここ数年で最も傑出した注目株である。できることなら日本国籍を取得してもらって強化選手として育成したい。

「きゃあっ、これって吹雪でしょ!すっご〜い!」
「吹雪の中にいるって素敵ね!あとでブログに書かなきゃ!」
「こういうのって、横殴りの雪っていうのよ、初めての経験よ!感激〜!」
女性たちがうろたえ騒ぐのがミロとカミュには珍しい。
「これが横殴りだったらシベリアのブリザードはライトニングボルト級だな。ガードを怠ると本気で吹き飛ばされる。ここのは雪が降って風が吹いてるだけだと思うが。」
「やや強い風程度以上の風が雪を伴って吹く状態を 『 ふぶき 』 と言い、強い風以上の風だと 『 猛ふぶき 』 と言う。『 やや強い風 』 とは風速10〜15メートル、『 強い風 』 とは風速15〜20メートル未満の風を言う。」
「ふうん、そんな決まりがあるのか。で、これはふぶきに該当するのか?」
「いや、該当しない。」
多少吹雪いてきても、シベリアのブリザードに比べればそよ風にしか思えない二人はまったく動じない。ゴーグルもなかったシベリアのことを考えると、快適すぎてつい笑ってしまう。思えばシベリアでは無茶をしたものだ。