その3 「 上達 」
聖闘士の二人は礼儀も正しければ日本語の受け答えも完璧なので指導者にもきわめて評判がよい。飲み込みも早く、腕はめきめきと上がっていく。四日目にはとうとう教えることがなくなったので、中級者のカリキュラムを教え始めているほどだ。
「すごいね〜!君たち、ほんとに初心者?」
「ええ、スキーはこの教室が初めてです。」
軽やかに緩斜面を滑り降りてきたところをコーチに呼び止められたカミュが答えているすぐそばに見事なシュプールを描いて降りてきたミロが鮮やかにエッジを効かせて停まってみせた。赤いウェアに金髪のミロは、真っ白いゲレンデでいかにも目立つ。カミュと同じことをしていてもミロはなせだか派手に見え、本人にその気はないのだが、回りのスキーヤーの注意を存分に引き付けている。野球で言えば王と長島のようなものだろう。
「おい、カミュ!今度は中級者コースで競争しないか?ギャップがあって面白いらしい。ちょっとは遠慮してやってもいいぜ。」
「なにを小癪な!」
眉を上げたカミュが向き直って声を改める。
「では、失礼してちょっと行ってきます。」
軽くお辞儀をしたカミュがミロと一緒にリフトに向かう。受講五日目の今日の午後は、それぞれの到達レベルに合わせてマンツーマンで指導を受けたり初級者コースをプルークボーゲンでゆっくり降りてきたりと別行動になっている。
ミロとカミュの二人は、無理せず慎重に滑ることを条件に、中級者コースに行くことを許可されたのだ。これは初級者教室ではきわめて稀なことである。
「二人乗りのリフトっていうのはじつにいいな。世界に自分たちしかいない気がする。こんなふうに真っ白な音もない世界を昇っていくのはなんとも言えない気分だな。足をゆらゆらさせるのも、のんびりとして寛げるし。」
リフトが揺れて危険なので、よい子はこのような真似をしてはいけないだろう。ミロも危険なほど揺らしはしない。
「シベリアの雪は平地に積もるばかりだったが、山の雪は変化があってよい。それに暖かい。」
リフトの真下は谷になっていて、針葉樹に積もる雪がなんとも美しい。シベリアではお目にかかれない光景だ。こんな地形では谷からの風が雪を吹き上げてくることも多く、そんな光景も二人の目を楽しませた。
「雪が上に降ってるぜ。その向こうは普通に降ってるから不思議な感じだな。」
「おかしな表現だが、私にもたしかにそう見える。」
「真冬のシベリアより40度以上気温が高いし、スキーウェアまで着てるから楽勝だよ。身体がよく動く。シベリアでTシャツ腕まくりしてたって噂があったが、ほんとか?」
「いや、あれは…」
「若さゆえの過ちか?」
「かもしれぬ。」
カミュが苦笑する。もう一度弟子を育てるようなことになったら、スキーウェアを着用する魅力には抗しがたい。
山頂近くでリフトを降りると、下とは違ってかなり吹雪いている。
「ふぶきか?」
「ふぶきだ。」
「ゴーグルって、すごく便利だな。風も雪も目に全然当たらないんだぜ、大発明だよ。ダブルレンズやトリプルレンズだと結露も防ぐ。弟子を育ててるときにあったらよかったと思わないか?」
「聖闘士の修業にゴーグルか?」
「だめ?ミラータイプなんか、かっこいいぜ。」
「ううむ…」
スキーウェアにミラータイプのゴーグルをつけて対峙するシベリア師弟。惰弱だと言われないだろうか?
リフトから降りたスキーヤーが話をしている二人の横を次々と滑り降りてゆく。日程の限られた旅行客はわずかの時間も惜しんで少しでも多く滑ろうとするものだ。
「なあ、そろそろ上級者コースで直滑降って、だめかな?」
「無謀だ。」
「なにもそんなにはっきりと断定しなくても。」
「自分をスビンダル選手と同じに考えぬことだ。豊かな経験に裏打ちされた実力と無謀とは違う。」
「あっ、俺にそういうことを言う?それじゃ、ついてきてみろよ!」
ストックを持ち直したミロが滑りだす。金髪がなびいてパウダースノーが舞い上がる。
「なにを!」
すぐにあとを追ったカミュの姿もあっという間に見えなくなった。
「コーチ!あのギリシャから来た外人さんたちはどこかしら?」
「あの二人なら中級者コースに行ってるよ。あれがそうだろう。」
山頂は吹雪いてよく見えないが、指差す先の斜面の上から赤と青の小さな点が滑り降りてくるのが見えてきた。
「え〜〜っ、あんな難しいとこなんて、とても行けないわ!」
「あたしも絶対無理〜!」
「なんで同じ初心者なのに、あんなに上手なの〜?!ものすごく速くないですか?」
一斉にため息が漏れる。
「さあさあ、練習は?明日が最終日だから、皆さん、頑張ってくださいね!」
「はぁ〜い。」
「初心者教室終了式のあとで、そこのホテルで打ち上げが予定されてます。いわゆるアフタースキーだけど、参加希望の方はあとで用紙に記入を…」
「参加しますっ!」
「私も!」
「私もお願いします!」
素敵な外人さんに話し掛けるのを躊躇しているうちに最終日を迎えることになってしまった彼女たちには最後のチャンスだ。開校式で超美形のミロとカミュに胸をときめかせたのはいいが、すぐにレベルの違いが明確になりカリキュラムが別になってしまったため、話し掛ける度胸も暇もなく今日まできてしまったというのが実態だ。
ミロとカミュの参加を期待した女性たち全員が打ち上げ参加を希望して、それを知った男性陣もすぐに出席を決めたというから現金なものだ。たいていは半数も参加しないというのだから、ミロカミュ効果は絶大である。
「ああ、いい気分だ!白い静寂の世界の中で風を切る感じがなんとも言えない!爽快って、こういうのを言うんだな!」
「ターンのときのエッジの返しが早過ぎないか?」
「そうか?お前こそ体重のかけかたに難があると思うぜ。もっと前傾姿勢をとったほうが空気抵抗が少ないだろう。」
「いや、現在のレベルでは適正だ。」
戻ってきた二人が互いの滑りに検討を加えているとコーチがやってきた。
「いやぁ、初心者教室にこんな優秀な生徒さんが来るのは久しぶりですね。明日の終了式のあとの打ち上げはどうなさいます?中級コースの説明もありますし、国際交流も図れますよ。」
「いえ、私たちは打ち上げは…」
「明日は、来シーズンのロシニョールのニューモデルの製品情報とデサントのニューウェアの見本も紹介する予定です。」
「ああ、それいいな!」
ミロが興味を示した。
「それから地球温暖化の影響が今後の降雪にどのくらい影響を及ぼすかについて北大の研究者がまとめたレポートがあるんですよね。」
「ほう!」
カミュの目が輝く。
数日間で二人の性格を読み取ったコーチの勧誘が功を奏し、打ち上げはたいそう盛況となったということだ
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このスキー場に美形の外人さんが頻繁に現れるという噂はあっというまにWEB上を席巻し、
スキー人口の減少に歯止めをかける好材料としてたいそう歓迎されたということです。