す ま じ き も の は 宮 仕 え  2

                               人形浄瑠璃  「菅原伝授手習鑑」 より
      【 大意 】 人に使えるというのはいろいろと気苦労が多くてつらいものだからするべきではない



「明日の午前中に聖域から定例の文書伝達の使者が来るので、ギガント、お前に送迎を頼む。」
「聖域からといいますと誰が来ますので?」
「ええと、」
ラダマンティスが書類をめくった。
「今度はミロだ。スコーピオンだな。」
「私には荷が勝ちすぎます。どうかほかの者にお命じ願います!」
「なぜだ? 使者の送迎など今までに何度もやったことがあるだろう?」
「いえ、あの、それは…」
「上司の命令に逆らうのか、などと大人げないことは言わん。断ってもよいが理由を話せ。」
「はぁ……あの、実は…」

「………なるほどな、そういうわけか。」
「はぁ…この件につき報告をしなかったのをお詫び申し上げます。いかようにも御処分をお願いいたします!」
「気にすることはない。任務完了後の休暇中の出来事だ。黄金二人と出会ったといっても、双方ともに私用の休暇中でトラブルもなかったのだから報告義務はない。」
「はっ、恐れ入ります。」
「それでは送迎はバレンタインにやらせよう。安心するがいい。」
「どうもありがとうございます!勝手を申して申し訳ありません。」
「うむ。」
ギガントは心の底からほっとした。話の分かる上司を持って幸せだとつくづく思う。バレンタインほどではないが、この上司のためならいつ死んでも悔いはない。

翌日、ラダマンティスの配慮により非番になったギガントはこれでミロに会わずに済むとほっとして寮の私室で寛いでいた。通常、使者は公的書類を持ってくるだけなので長くても滞在は数時間程度だ。かねてからの経緯があるので、長居したがる者はラダマンティスと仲のいいカノンくらいしかおらず、たいていは鳥が飛び立つようにすぐに帰ってゆくからだ。
ミロがやって来てもなんの心配もないとなると、思い出すのは地上の温泉のことだ。あの心地良さが忘れられないギガントが、もういちど行けたらいいんだが、と思っていると隣室のパピヨンのミューがやってきた。
「ああ、ギガント、いてくれてよかった。ちょっとお願いがあるんですが。今夜は夜勤なんですけど、朝から熱があってだるくてしかたがないので、よければ替わってもらえませんか?こういう時は蛹になっているほうがいいんです。」
「ああ、かまわんさ。夕方からならOKだ。」
「急にすみませんね。なんでも今日は聖域からの使者が来てるらしいんですけど、夕方までには帰るでしょうから夜勤者には関係ないと思いますよ。」
「えっ? 使者ってミロだろう!?夕方までって、なんでだっ?いつもならすぐ帰るのに?」
のんびりと寝っ転がっていたギガントはぎょっとした。

   夜勤は17時からだが、もしかしてばったり会ったらどうする?

ギガントは眩暈がしそうになった。思いっきり顔と名前を知られているのだ。さらに恐ろしいことに、あの夜に隣の部屋にいて濃厚な小宇宙を察知してしまった記憶がよみがえる。あれに比べれば、いきなり襲いかかって返り討ちに会ったことなどたいしたことはないような気がしてくる。。聖戦では負けたが自分の力を試したかった、とでも言って頭を下げれば、気のいいいミロはたぶん笑って水に流してくれるに違いない。しかしあの夜のことは…!
いったん替わりを引き受けた手前、断るのも具合が悪いが、会いたくないものは会いたくない。
「そういえば珍しいですよね、聖域の聖闘士が半日以上もいるなんて。もっともカノンだったらラダマンティス様のところに来たついでにそのまま泊まるときも多いですけど。」
すごいことをさらっと言うミューは、カノンについては全然気にしていない。 もっと気にしたらどうなんだ、とギガントは思うが、もはやカイーナではカノンの存在は暗黙の了解となっているので誰も口には出さないのがお約束だ。心から敬愛する上司を取られて思い出したようにむくれるバレンタインをみんなで慰めるのがデフォルトである。
「そりゃあ、カノンはそうだろうが、なんでミロが夕方までいるんだ?書類を持って来るだけだろう?」
ギガントの知るところではミロも冥界には不愉快な印象を持っているはずだ。
「ハーデス城でラダマンティス様が三匹の黄金をコキュートスに蹴落としたっていう話があったが、たしかあれってムウとアイオリアとミロだったよな? ミロとしてはそもそも冥界になんかには1秒たりともいたくないんじゃないのか?」
「私もそう思ったんですけどね。今回はミロだけじゃなくてもう一人一緒に来てて、噂ではその聖闘士がこっちの植物とか地質とかに興味があって調査したいっていうんで、パンドラ様にお伺いを立てたら許可が下りたらしいです。すごいバラの花束を手土産に持ってきてたらしいですから、あれがお気に召したんでしょうね。私たちには使えない手です。」
「植物の調査だぁ?なんだ、そりゃ?」
ギガントは首をかしげた。
植物にはてんで詳しくないが冥界にはろくな草木がない。太陽が射さないせいもあるのだろうが、花は小さくて地味、木の葉は赤くも黄色くもならずにいつまでたってもくすんだ緑のままで味気ないことおびただしい。珍しいものといえば食虫植物の進化型で危険極まりないタイプのもあるが、その手の植物は見つけ次第焼却することになっているのでこの頃はとんと見かけない。
むろん美味しい果実などはどこを探しても見当たらないし、いい香りのするハーブさえない。それらのすべては神々が棲むエリシオンにのみ存在し、冥闘士は足を踏み入れることさえかなわないのでギガントも見たことがない。
「俺もこないだ地上に行ったときはあまりにきれいなんで驚いた。すっかり忘れていたが、あんなだったかなぁ?朝焼けとか夕焼けとかもあるし、夜になれば月も昇る。」
温泉に浸かったときの気持ち良さも思い出したギガントだが、そのことは同僚には内緒にしているので言葉にするのは我慢する。ついでに夜になって隣の部屋で行われていたことも脳裏に浮かんだが、そっちのほうはますます極秘事項で口が裂けても言えることではないし、ラダマンティスにもそこのところは一切伝えていない。それを聞いてカノンのことを連想したラダマンティスが狼狽したりしたら、それこそ不忠というものである。
「そこらに咲いてる花は色とりどりだし大きくて香りもいい。それに果物の種類がすごくて、ありゃあ、まるでエリシオンだぜ。果物売り場なんか宝石の山のように見えたからな。そんな贅沢極まりないこの世の楽園みたいなところに住んでるやつが、なんだって冥界の植物なんかに興味を持つんだ?」
「わたしにも理解できませんね。物好きなんだと思います。」
「で、そのもう一人のやつって誰だ?」
「さあ?それは聞いてません。関係ないですし。」
「それはそうだが。」
ミューはまるで気にしていないが、ギガントとしては絶対にカミュであってほしくない。カミュが人当たりのいい人物だということはよくわかっているが、隣の部屋でミロとカミュの親密すぎる小宇宙をたっぷりと味わされてしまった手前、どうして顔を合わせられよう。恥ずかしくて顔から火が出そうだ。あの冷徹極まりないという噂のシャカに会うほうがよっぽどましである。
「どっちにしても夜勤者とはすれ違いでしょうから、見かけるかどうか?行ったときにはもういないかもしれないですよ。」
「そうだな、たぶんそうだろう。」
びくびくしてもしかたがない。ギガントは気にしないことにした。万が一ミロがまだ残っていても、宿直室に籠っていれば顔を合わさないですむはずだ。