そんなある日、たいへんなことが起こった。
昼休みにみんなでサッカーをしていると、突然若い男がやってきた。 カミュと同じくらいに背が高くてきれいな金髪だ。 俺はそっちのほうを見ていなかったので気がつかなかったが、セルゲイとニコライが興奮して、ほんとに突然現れたのだと不思議なことを言う。
「ほんとだよ! 誰もいなかったのに急に出てきたんだよ!」
「きっと魔法使いだよ!」
「まさか!」
ともかく突然やってきたその男は、サッカーをしていたカミュにつかつかと歩みよると腕をつかんで振り向かせ、
「カミュ!」
と名前を呼んだあと、聞いたことのない言葉で親しそうになにか話し掛けたのだ。

   えっ、カミュの知り合いか?!
   この人はカミュが誰だか知っているんだ!

ちょっとだけ知っている英語ではなさそうなのはわかったが、いったいどこの国の言葉だろう?
驚いているみんなには構わず熱心にカミュに話し掛けた男は、カミュが困ったように、
「確かに私はカミュですが、ご用件はなんでしょうか?」
と言ったのを聞いて唖然としたようだ。 興奮したようにまくし立て、それに対してカミュはこう答えた。
「いいえ、私はここから離れるわけにはいきません、子供たちを教える義務がありますから。」
はっと気がついた。 するとカミュは相手の喋った言葉がわかるのだ。 でも返事はロシア語でしてる! そして相手はたぶんロシア語がわかってない! 男がカミュの両肩をつかんでなにか言いながら揺すぶった。
そのころになってやっとこの事態の意味するものに気付いたみんながわっとカミュを取り囲み、大事な先生の手を引っ張って連れて行こうとする男を睨み付けた。
「カミュ先生はぼくたちの先生なんだから!」
「そうだ、そうだ!先生を守れ!」
いちばん気の小さいアンナまでが先生にしがみつき離れようとしないのを見た男は、困ったような顔をして溜め息をつくとなにか独り言を言って姿を消した。 そう、文字通り消えたのだ。 これには全員仰天し、大騒ぎになった。
きゃあきゃあ言っている小さい子たちを押しのけてカミュに
「さっきの人は何を言ってたんです?」
とたずねると、
「それが、私のことを知っているらしくて、しきりに一緒に帰ろうと誘われた。」
「やっぱり!では、あの言葉がわかるんですね!」
「え?そういえば……」
カミュが眉をひそめた。
「でも、先生の返事はロシア語でしたけど。」
「それは……私はロシア語しか話せないから…」
なんとなく不安げなカミュが黙り込み、俺も心配になった。 きっとあの男はまた来るだろう、このままで終わる筈はないのだ。

そして男の行動は思いのほか早かった。 その放課後にまた現れたのだ。 しかも今度は一人ではなく連れがいた。 俺と同じくらいの年に見えるやっぱり金髪の男の子だ。 なんで金髪ばかり来るんだろう?
そのときはもう午後も遅くなっていて小さい子たちはとっくに家に帰ったあとで、教室には俺とカミュがいるだけだった。 俺もいつもならそろそろ帰っていたろうが、あんなことがあったのでカミュのことが心配で一緒に帰ろうと思って残っていたのが幸いだった。 でなかったら、カミュは誰も知らない間に連れて行かれてしまったかもしれない。
男の登場にどきっとしていると、今度は連れの男の子がカミュにちゃんとしたロシア語で話し掛けた。
「お久しぶりです、我が師カミュ、俺のことがわかりますか?」
「いや、君のことは知らないが、私が知っているはずなのだろうか?」
カミュはもどかしそうだった。 それはそうだろう、自分の身元を知っているらしい人間が現れたのだ。 困った顔をしたその子が俺に話しかけてきた。
「どなたか、ここの責任者はいますか?」
「責任者ではないけど、俺がいちばん年長で少しは事情がわかるけど。」
名乗り出て、氷河というその子と長いあいだ話をしてやっと事情がわかってきた。

カミュは彼等と一緒の仕事をしていて旅先で行方不明になり、手分けして探してやっとここで見つけたのだという。 話をつき合わせてみると、カミュが行方不明になってからここに現れるまでに二日経っていて、その間どこでなにをしていたのかはわからない。 カミュが住んでいたのはギリシャだそうで、地図でしか知らない遠い国なのには驚いた。 きれいなロシア語を話すので、てっきりロシア人だと思っていたのだ。
「ギリシャだって?!オリンピック発祥の地で古代文明の国だ!どうしてそんな遠い国から?!じゃあ、あの言葉はギリシャ語?」
「ええ、カミュはロシア語も話せるので、こっちのほうで仕事があって。 行方不明になってとても心配していたので見つかって安心しましたが、まさか記憶をなくしているとは!」
「ええ、自分の名前しか覚えてないですよ、カミュは。」
俺も一生懸命に、なにか思い出すことはないかとカミュにたくさんの質問をしたけど、全部むだに終わっていた。 だからカミュが先生になってからはすっかり安心して、ずっと村にいてくれるような気になっていたけど、考えてみればカミュにはカミュの生活があったはずで、そっちに戻るのが正しいのは言うまでもない。
俺と氷河が打ち解けてそんなことをしゃべっている間、最初に現れた金髪の男のほうはちょっと離れたところからカミュをじっと見ていた。 視線を気にしたカミュはちらちらとそっちのほうに目をやるのだけれど、なにも思い出せないらしくて落着かない様子だ。
金髪の男が氷河を呼んだ。 氷河はカミュが村に来てからのことを、俺に聞いた通りに男に話したのだと思う。 二人はしばらく話し合ってから氷河が男を紹介した。
「彼はミロ、カミュの親友です。」
ミロという男が手を差し出してきた。 言葉がわからないのでなんともしようがないが、とりあえず握手だけはできた。 大きくて暖かい手だ。
ミロが氷河に何回もロシア語のありがとうを教わってから、俺にちょっと変わった発音で礼を言ってきた。 あまりうまくない発音なのが自分でもわかっているらしく苦笑いしていて、ちょっと親しみが持てた。
それから氷河になにか言ったミロが、また突然姿を消したのだ!いったいどうなっているんだ?!