「UFO」  その4


そんな経緯があって、二人が聖域に戻ってきたのは昼過ぎのことだ。
聖域に帰って自分の足で自由に闊歩するのが嬉しいミロと違って、カミュはミロに非難がましい目を向ける。 初めは気にしていなかったミロも時間が経つにつれて一言いいたくなってきた。
「俺のことばかり非難してくれるが、もしもいったんことが起こった場合に黄金が足にギプスなんかしていて緊急時の対応ができると思うか?その時になって慌ててムウのところに駆け付けて治してもらおうっていうのは甘いんじゃないのか?非常召集がかかって聖域にいる全員が聖衣を装着して集まっているときに俺が足にギプスをして松葉杖をついて現れたらどんな目で見られると思う?」
「う…」
たしかにぞっとしない光景だ。できることならカミュでさえその場にいたくない気がする。
「ムウだっていつも暇を持て余しているわけじゃなかろう。 たとえほんの少しの間でもムウを待っている間に地上に取り返しのつかない被害が出たらどうするんだ? 治療中は俺とムウの2人がその場に拘束されるから、その分だけ地上の守りは手薄になる。 これはけっして望ましいことではあるまい。」
「それは…」
「だから骨折なんてろくでもないものは、たとえ医療機関にかかってカルテや診察券を作られていようとも、可能な限り迅速にムウに治してもらっておかないと地上の存亡にかかわると俺は思う。 新聞の報道は無視すればいい。 そんなことより地上の平和のほうが大事なのは明々白々だ。 アテナと地上を守るのは俺たち黄金に課せられた最重要な義務だろう。 俺の言うことは違っているか?」
「いや、正しい。」
「だろ! じゃあ、俺はなんら非難されるいわれはないわけだ。」
ミロは胸を張る。 論理でカミュに勝つことは珍しい。 だが、このままで終わるわけがない。
「しかし、」
「え?」
「その理論は確かに正しいが、今になってそれを持ち出してきたのはどういうわけだ?」
「ええと…それは…」
「あの朝ムウのところにテレポートしたのはギプスが鬱陶しくて我慢できなかっただけで、地上の危機云々はあとから思い付いた理屈のようにも思われるが? 衝動に駆られてテレポートしただけではないのか?」
「そ、そんなことは俺はっ…!」
「まあよい。 確かに黄金がギプスをしていては非常時に間に合わぬ恐れがあるのは事実だ。」
「それなら俺の判断は間違ってはいないだろう。」
「しかし、日本に住んでいるのにもかかわらず、唐突に聖域にテレポートして完治した身体で戻ってきては困る。 急遽、後始末に奔走した私の身にもなってもらいたい。 やむを得ず二人で聖域に戻る前に、病院、保険会社、観光協会に連絡して、いったん帰国して治療に専念し、完治してから再来日することを説明して了解してもらうのにかなり時間を費やした。 それも、電話では本人確認ができないというので、お前が署名捺印した 私を代理人とする旨の委任状と、私の身分証明のためのパスポートを持って直接私が出向いて了解を取らなければならなかったのは知っての通りだ。 急なことだったので必要な手続きがわからず、宿の主人に事情を話して相談に乗ってもらい、繁忙期の日中なのに2時間も手を煩わせた。 召集がかかっていたわけではないのだから、事前に私に相談してもらえればもっと余裕をもって対処できたろう。」
「うん…」
「幸いなことに宿の主人は白羊宮のごく近くにも行ったことがあるらしく、ムウのことも遠くからではあるが見たことがあるというので話が早くて助かった。」     
※ 宿の主人は辰巳です
「えっ、そうなのか!ふ〜ん、人は見かけによらないものだな。」
「感心している場合ではない。」
「はい…」
「それから、病院からは、後遺症がないか診察する必要があるから再来日したら必ず外来受診するようにと言われている。」
「でもムウの治癒に後遺症なんてあるはずが…」
「そう思っているのは我々だけで、世間はそうは思わない。 骨折による疼痛や関節可動域の制限があれば保険金の算定にも影響してくるので、後遺症の有無については保険会社も必ず確認するのだそうだ。 それを怠ると後々トラブルになることが多いので保険会社はとても神経を使っているとのことだ。」
「う〜ん…」
「まだある。 お前が医療機関にかかったのは二日だけだったが、その際に支払った医療費は保険から支払われるので、領収書を添付して請求しなければならない。」
「そんなのは、ほっとけばいいじゃないか。 金には困ってないし、余計な事務手続きは省いたほうがエコになって世の中のためだ。」
「そうはいかぬ。 念のため宿の主人に聞いたところ、交通事故の被害者が請求を放棄した話は聞いたことがなく、もしそんなことをすれば、ギリシャの並外れた大金持ちか、或いは後ろ暗いことに手を染めている裏稼業の人間だと思われてマスコミが我々の身元の洗いだしに躍起になる可能性もあるという。」
「えっ!」
「ゆえに面倒なようでも一般的な手続きを踏むのが穏当だろう。 むろん領収書は私が保管している。 自由診療のため全額自己負担だから世間的にはかなり高額で、これを放棄すればますます目立つ。 余計な詮索は受けたくない。 大手マスコミがギリシャで我々の身元を探り始めたら面倒だ。」
「あ〜、疲れる…」
「疲れるのはまだ早い。 さきほど、グラード財団を通じて美穂からメールがあり、それによるとお前宛てに加害者からの詫びの花束と菓子折り、観光協会からの花束と見舞い状、そのほか市内及び近隣市町村から生花ほかの宅配便が多数届いているという。」
「え? 加害者と観光協会はまだわかるが、その宅配便ってのはなんだ?」
「私もわからなくて美穂に問い合わせてみたところ、差出人がすべて女性であることから、お前の怪我のことを知ったファンからの見舞いの品ではないかということだ。」
「…は?」
「おそらく新聞記事の、ギリシャからの観光客で市内に滞在中の二十歳の男性、というのがあの宿に滞在しているお前のことだというのが知れ渡り、見舞いを贈ることが燎原の火のように広まったのではないだろうか。」
「燎原の火って……」
「昨今ではメールやブログなどオンラインによる情報のやり取りが極めて顕著なのは知ってのとおりだ。 念のためギリシャ・交通事故・金髪等で&検索してみたところ、200件以上ヒットしてすべてお前のことだった。」
「えっ!」
「すべて同情的なものでフォントの向こうの悲鳴が聞こえるようだった。 お前が受傷したときにその場に居合わせた者のブログもあり、微に入り細にうがってあのときの状況が詳述されている。 コメントが山のようについていて、その中には私に関する記述もあった。 自分で見てみたらどうだ?」
「いや、それは遠慮する………」
「美穂も、最初の一つ二つはお前の知り合いからの宅配便だと思って受け取ったが、あとからあとから届くため、これはもしかすると、と思ったそうだが、お前本人も不在で確認することが出来ず、私的な知り合いからの可能性もあるので受け取りを断ることもできず今に至っているという。 ちなみに昨日までの総数は136個に達しており、離れの床の間はそれで埋まっているそうだ。」
「俺は日本で私的に知り合った女は一人もいないっ! いいか、ただの一人もだっ!誤解するなよっ!」
「大きな声を出さずともそんなことはわかっている。 私は別に嫉妬して言っているのではない。 問題は、これらの個人的な見舞いについてお返しをする必要があるかどうかということだ。」
「えっ!」
「美穂の言うには、日本では見舞いに限らず、贈答の品にはそれなりに返礼をするのが習慣だというのだ。 この場合も返さねばならないのか美穂に聞いたところすぐに主人に相談してくれて、面識もないのだから品物で返す必要はなく、丁重な謝辞を書いた礼状でよいのではないかということだった。」
「え……そんなものを書くのか?」
「郷に入っては郷に従えだ。 むろん手書きの必要はない。 印刷で十分だろう。」
「当たり前だっ! 俺が手書きの手紙を書くのは後にも先にもお前だけだっ!宛名もパソコン入力にするからなっ!」
「わかった、わかった。」

結局、机の前で手紙の文面に苦慮しているミロを見かねたカミュが日本のサイトからあっさりと 「 実用 ・すぐに役立つ手紙の書き方と文例集 」 というのを探し出して提示して見せ、この件はやっと終わりを告げた。 むろん、日本語フォントもカミュがダウンロードしたのだが。

その日の夕方、サガから業務連絡が届けられた。
「おいっ、久しぶりに自分の宮で寛げるかと思ったのに、なんだ、この日程表はっ!」
「しかたあるまい。 ながらく留守にしていたのだから義務を果たすのは当然だ。」
「でも連続30日の教皇庁勤務だぜ!」
「私もご同様だが、不服か?」
「いや、それならいい。 で、夜も一緒ね! たしかに後遺症がないか確かめてもらおうか。」
「ん…」

むろん後遺症などはなく、双方ともたいそう満足したということだ。


                                     




         もし、ヒーローが怪我をしたら?
         誰しも夢見るこんな設定を実行に移したらこうなりました。
         皆様、怪我には気をつけましょう。