我が屋戸の秋の萩咲く夕影に 今も見てしか妹が姿を |
大伴田村大嬢 (おおとものたむらのおおいらつめ) 万葉集より
【歌の大意】 我が家の庭の萩が咲き乱れる秋の夕暮れ
こんな夕暮れに あなたの姿をみたいものだなあ
「遅くなってすまなかった………」
一日遅れでミロが戻ってきたとき、カミュの姿は庭にあった。
長かった夏もようやく秋の気配を漂わせ、色鮮やかな夏の花に代わってわずかばかりの秋草が淋しげな色を見せている。
振り向いたカミュの夕陽に照らされた掾iろう)たげな横顔が、ミロには懐かしく思われた。
ほんの二日、会わなかっただけなのに………
「カミュ…………」
そっと抱きしめ、艶やかな髪に顔を埋める。
夏の名残りの蝉が再び鳴き始めた。
「前に話したことがあったと思うが、俺の故郷はトラキアだ。すぐ北側はブルガリアになる。」
ミロがワインのグラスを窓から差し込む夕陽にかざすと、白い壁に真紅の影が揺らめいた。
「親はとうの昔にいないが、そのあとは聖域に来るまで叔母が面倒を見てくれた。
これが優しい叔母でね………俺がどんなに悪さをしても、笑って許してくれた。
あんまり優しいんで、かえって、迷惑をかけちゃいけないと自分から行儀をよくしようとしたものだ。
そうはいっても、あまりうまくいかなかったがな。」
グラスを透かして見たカミュが真紅に染まり、そっと微笑んだのがわかった。
「俺が聖域に来るとき、叔母は笑って送り出してくれた。
そのときはそう思ったが、あとから考えればひどく泣いたに違いない。
俺の知らないところで泣いていたんだと思う、なにしろ優しい人だったからな………。」
ミロが目のふちをそっと指で押さえた。
「黄金聖衣を得るまでは聖域から一歩も出なかったし、そのあとも叔母に会ったのは一回だけだ。
天蠍宮をそうそう留守にするわけにはいかんからな、こう見えても俺は真面目なんだよ。」
笑おうとしたミロだが、あまりうまくいかなかったようだ。
「3年ほど前に、やっと都合がついて、短い時間だったが村に寄ってみた。
懐かしかったよ、10年以上たつのに全部覚えていた。叔母が家から飛び出してきて、俺を見て目を丸くしてね。
それから抱きしめてくれたんだが、俺の方が遥かに背が高くなっていたんで驚いていたっけ。
帰り際にはワインを持たせてくれたが、あれには参ったな、なにしろ荷物といえば聖衣櫃だけなんだぜ。
まさか聖域にワインの瓶を提げて帰っていくわけにはいくまい?
そこで考えた末に、聖衣の隅に瓶を忍ばせた。歩くたびにカチャカチャいって冷や汗をかいたものだ。」
懐かしそうな口調で言うミロは、すでに瓶を半分ほど空けている。
「何も飲んでいないんだな、カミュ……一口飲んでくれ、叔母の作ったワインだ。」
そう言われて、はっと気がついたカミュがグラスを口に運んだ。
「俺の村では、どこの家でも自家用のワインを作っている。叔母のワインも美味いぜ、人柄の通りで、かなり甘口だがな。」
ミロは自分でワインを注ぐと、瓶のラベルをカミュに見せた。
「村独自のデザインのラベルにそれぞれの家の家長がサインをするんだよ、ほら、ここにあるのが叔母のサインだ。
そして、今年のワインからは、おれの従兄弟の名前が書かれることになる………。」
「ミロ……………」
「カミュ………こっちに来て……」
その言葉に、グラスを置いたカミュが素直に従った。
隣にすわらせたミロが、すぐに肩を抱き寄せる。
「カミュ………おれの村には親族が大勢いる。伯父の一家も健在だし、従兄弟たちもいい奴ばかりだ。
今度、暇ができたら一緒に行かないか? 秋には葡萄の収穫をして、そのあとは葡萄棚の下にテーブルを並べて収穫祭だ。
陽気に歌って、ワインをあおるんだ。お前は俺の横に座って、にこにこして眺めてりゃいい。
俺の親友だといえば、みんな歓迎してくれるのは間違いなしだ、なあ、そうしよう
!」
「ミロ……」
「お前にもう親族がいないのは知っている。
だから………俺がお前の親族になるから……一番近い親族になるから。
そうすれば、俺の村もお前の故郷になる理屈だろう、そうしよう、カミュ………」
抱かれていたカミュがふいに顔をそむけたが、間に合わずにミロの胸が濡れたようだ。
「叔母にお前を会わせたかったな………
きっとあの叔母のことだ、食べきれないほどのご馳走をお前の前に並べて困らせたに違いない。
それから俺の様子を根掘り葉掘り聞いて、もっとお前を困らせてさ………。
お前の方がしっかりして見えるんで、この子をよろしく頼むって言うんだぜ、きっと。」
ミロが低く笑った。 笑いながら泣いていた。
夕陽の色が翳り、グラスの中に影を落としていった。
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ミロ様帰郷篇・第一弾